第89話 中将様の側近
天正十二年、四月。
俺は、岐阜にいた。四年ぶりに、信忠に会う。
信忠は、二十七になっていた。部屋に入ってきたとき、俺は少し驚いた。
(大きくなった)
体格ではない。存在が、だ。
「日向守。久しいな」
声が、変わっていた。低い。そして、落ち着いている。
板が、浮かんだ。
織田信忠 二十七歳
統率78│戦術82│政務実務80
人望75│学習適応88│制度理解80
◆特記事項
記録 95
独自判断 70
父からの自立 55
固有スキル〈裁可〉
俺は、息を呑んだ。
(上がっている)
独自判断、二十二から七十。父からの自立、十五から五十五。俺が坂本で見た「もし違うておれば」の若者は、もういない。
「日向守。顔を上げよ。――痩せたな」
「は」
「倒れたと聞いた。そなたの家中から、報せが来た」
(誰だ)
「斎藤利三だ」
俺は、動きを止めた。
「『殿を止めてくださいませ』と書いてあった」
俺は、額を押さえた。
「申し訳ございませぬ」
「謝ることはない。良い家臣だ。――主を止める家臣がおるのは、良いことだ」
四年前なら、こうは言わなかった。
「中将様。変わられましたな」
「そうか。――日向守。そなたも、変わった。弱くなった」
「弱く、でございますか」
「四年前のそなたは、隙がなかった。何を聞いても、答えが返ってきた。――今は、『分かりませぬ』と言う」
「申し訳ございませぬ」
「良いと申しておる。日向守。四年前、わしはそなたが恐ろしかった。――完璧な者は、恐ろしい」
俺は、腹の底で受けた。
(そうか)
四年前、俺は信忠に完璧に見えていた。だから、家臣が俺を見ていた。そして、信忠様は、そこに入れなかった。
「今は、話せる。そなたが、分からぬと言うゆえ。――ならば、わしが考えねばならぬ」
俺は、深く平伏した。意図してやったことではない。俺が弱くなっただけだ。だが、結果として、場ができた。
◇
その日、長く話した。四国のこと。長宗我部のこと。取次の筋目のこと。信忠は、驚くほど詳しく知っていた。
「中将様。よくご存じでございますな」
「村井から、写しが来る」
(村井様)
三年前、あの人は「一部は中将様に」と言った。続けている。
「日向守。一つ、聞きたい。――そなたの家中に、誰がおる」
「と、申されますと」
「四人だ。走る者、拾う者、見る者、分ける者」
俺は、動きを止めた。
(知っている)
四年前に書いた。誰にも見せていない。
「中将様。それを、どちらで」
「斎藤利三だ」
俺は、また額を押さえた。あの男、どこまで喋っている。
「斎藤は、『殿には四人おるが、中将様にはおられませぬ』と書いてきた」
(そこまで)
利三は、俺の懸念を、そのまま信忠に伝えている。越権だ。だが、正しい。
「中将様。それで、いかがなさいました」
「探した。四年、探した。――そして、二人、見つけた」
信忠は、手を叩いた。襖が開き、二人の男が入ってきた。一人は若い。二十代の半ば。目が鋭い。もう一人は四十がらみ。地味な顔をしている。
「斎藤新五にござる。――利三どのとは、別の家にござる」
斎藤新五 二十六歳
統率75│戦術85│政務実務50
◆特記事項
速度 92
慎重さ 30
(走る者だ)
「猪子兵助にござる」
猪子兵助 四十四歳
政務実務90│兵站財務88
◆特記事項
調整 90
功名心 15
(拾う者だ)
功名心、十五。三沢と同じ数字だ。防いだ事故が記録に残らない役を、文句を言わずにやる者の数字だ。
俺は、二人に聞いた。
「新五どの。中将様のご命で、いちばん早く動いたのは、いつでございますか」
新五は、即座に答えた。
「昨年の秋。美濃の東で、山が崩れたとの報せがござった。半刻で発ち申した」
「着いて、どうなさいました」
「――崩れており申さなんだ」
俺は、少し笑った。慎重さ、三十。
「兵助どの。そのとき、何をなさいました」
兵助は、少し考えてから、言った。
「新五が発った後、報せを持ってきた者を、もう一度呼び申した。話を聞き直すと、崩れたのは山ではなく、崖の一部にござった。新五が着く前に、使いを出し申した」
(拾う者だ)
走る者が走り、拾う者が、走った先の穴を埋める。この二人は、もう組になっている。
「日向守。走る者と、拾う者だ。――残り二人が、おらぬ」
「見る者と、分ける者にございますな」
「見る者は、探せば見つかる。――だが、分ける者が、見つからぬ」
(そうだろう)
分ける者。最悪と最善を同時に見て、分岐を全部読む者。官兵衛様のような。そういう人間は、稀だ。そして、嫌われる。
「中将様。分ける者は、嫌われまする」
「知っておる。ゆえに、皆、遠ざける。――そして、気づけば、周りに『はい』と言う者しかおらぬ」
俺は、少し驚いた。
「中将様。それを、どこで学ばれました」
信忠は、少し笑った。
「――父上を見て、だ。日向守。父上の周りに、異を申す者がおるか」
答えられなかった。
「――そなただけだ。そして、そなたも、四国のことでは通らなんだ」
俺は、平伏した。
(見ている)
この人は、父を、正確に見ている。そして、自分がそうならぬようにしている。
「中将様。一人、心当たりがございます」
「誰だ」
「――黒田官兵衛どのにございます」
信忠は、しばらく黙っていた。
「筑前の者ではないか」
「さようにございます」
「取れるか」
「取れませぬ」
「ならば、なぜ申した」
「借りることは、できまする。中将様。官兵衛どのは、羽柴様の家臣にございます。ですが、織田家の者でもございます。――お呼びになれば、参りましょう」
「日向守。それは、筑前が嫌がるのではないか」
「嫌がりましょう。――ですが、断れませぬ。中将様は、織田家の当主にございます。当主が『来い』と仰せられて、断る家臣はおりませぬ」
信忠は、しばらく考えていた。
「日向守。それは、筑前を試すことにならぬか」
俺は、動きを止めた。
(気づいた)
「仰せの通りにございます。官兵衛どのを呼べば、羽柴様がどう動かれるかが、見えまする。素直に出されるか。渋られるか。――それで、羽柴様のお心が、少し見えまする」
「日向守。そなた、恐ろしいことを申すな」
「申し訳ございませぬ」
「いや。――やる」
俺は、顔を上げた。
「ただし、わしの名で呼ぶ。――そなたの名は、出さぬ」
俺は、しばらく動けなかった。
(守られた)
俺が官兵衛を呼べば、俺が秀吉を試したことになる。だが、信忠の名なら、当主の命令だ。
「中将様。ありがたく存じます」
「礼を言われる筋ではない。――わしが、そなたを使うておるのだ」
信忠は、少し笑っていた。
「日向守。四年前、そなたはわしに教えた。『家臣の前で主が正されれば、その主の言葉は重くならぬ』と。――ならば、逆もある。主が家臣を守れば、家臣の言葉は重くなる」
俺は、深く平伏した。
四年前、俺はこの人に「議長の型」を教えた。今日、この人が俺に教えたのは、型の裏側だった。




