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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第八章 功のない者と、嫁ぐ者

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第78話 与一郎という若者


 細川忠興は、二十歳だった。

 部屋に入ってきたとき、俺は少し驚いた。

 (美しい)

 この時代、若い武士を美しいと思うことは、そう珍しくない。だが、この男は、群を抜いていた。整った顔立ち。姿勢が良い。所作も、父に似て優雅だ。

「細川与一郎にござる」

 声も、良かった。

 だが。

 (目が)

 落ち着きがない。視線が、細かく動く。俺を見て、父を見て、床を見て、また俺を見る。まるで、部屋のどこに敵がいるかを探している目だ。

 視界の隅で、板が浮かんだ。

 細川忠興 二十歳

 統率60│戦術75│政務実務55

 交渉外交45│人望50│学習適応70

 ◆特記事項

  癇癪     95

  教養     80

  玉への勝率  0

 俺は、最後の項目で、目を疑った。

 (勝率、零)

 まだ会ってもいないはずだが。この板は、ときどき、俺より先のことを知っている。

「明智日向守にござる」

 俺は、平伏した。忠興は、慌てて平伏を返した。

「こ、これはご丁寧に」

 俺は、顔を上げた。半刻の歌の話は、この若者には要らないだろう。単刀直入に言った。

「与一郎様。娘のことにございます」

 忠興の顔が、赤くなった。

 (ああ)

 俺は、少し安心した。この反応は、悪くない。

「伺い申した。父より、聞いており申す」

「いかがお考えでございますか」

 忠興は、しばらく黙っていた。

「父が決めることにござる」

 俺は、少し眉を寄せた。

「与一郎様のお考えを、伺っております」

「それがしの考えは――」

 口ごもった。

「――ござらぬ」

 俺は、黙った。

 (嘘だ)

 この男は、考えを持っている。持っているが、言わない。

 (なぜだ)

 俺は、藤孝を見た。この人は、扇で口元を隠していた。目は、息子ではなく、俺を見ていた。

 (父の前だからか)

 二十年前、坂本に来たばかりの信忠と同じだ。父の顔色を見て、自分の考えを言わない。言えば、父の考えと違うかもしれない。違えば、叱られる。ならば、言わない。

「兵部大輔様」

「は」

 俺は、平伏した。

「与一郎様と、二人で話させていただけませぬか」

 藤孝の扇が、止まった。

「二人で、と」

「はい。――父御の前では、話せぬこともございましょう」

 藤孝は、しばらく俺を見ていた。それから、扇を閉じた。

「日向守どの。そなたは、まことに面倒なお方にござるな」

 この人は、立ち上がった。部屋を出る前に、息子を見た。

「与一郎。無礼のなきように」

 忠興は、平伏した。


    ◇


 二人になった。

 俺は、しばらく黙っていた。忠興も、黙っていた。沈黙が、長く続いた。忠興の指が、袴の膝のあたりを、細かく叩いている。

 やがて、俺は言った。

「与一郎様。酒は、召されますか」

 忠興は、面食らった顔をした。

「――は」

「お飲みになりますか」

「た、嗜み申す」

「では、飲みましょう」

 俺は、そう言って、酒を頼んだ。

 二十年前、面談で誰も本音を言わなかったとき、俺は場所を書院から庭に変えた。今日は、庭がない。ならば、盃だ。

 二杯目で、忠興が口を開いた。

「日向守どの。一つ、伺ってよろしいか」

「なんなりと」

 忠興は、言いにくそうにした。

「玉どのは、どのようなお方にござるか」

 俺は、少し笑った。

「難しゅうございます」

 忠興の顔が、こわばった。

「難しい、と」

「はい。理屈をこねまする」

「理屈」

「それがしの申すことに、いちいち穴を見つけまする」

 忠興は、しばらく黙っていた。

「それは――厄介にござるな」

「厄介にございます」

「日向守どのは、どうなされる」

「負けまする」

 忠興が、動きを止めた。

「負ける、と」

「はい。親でございますが、負けまする。だいたい、娘のほうが正しゅうございますゆえ」

 俺は、盃を置いた。

 嫁ぐ者の覚の五条目を思い出していた。あれで、俺は負けた。取次役の主導権を、家から本人へ移された。反論は、思いつかなかった。

「日向守どの。それは、恥ずかしゅうござらぬか」

「恥ずかしゅうございます」

「では、なにゆえ認められる」

「認めねば、次から言うてくれませぬゆえ」

 忠興は、動きを止めた。

「与一郎様。それがしは、家中の者にも同じことを申しております。『間違いを申せ』と。『咎めぬ』と。――ですが、一度でも咎めれば、二度と言うてくれませぬ」

 忠興は、しばらく盃を見ていた。

「――それがしは、できぬかもしれ申さぬ」

「と、申されますと」

 忠興は、目を伏せた。

「それがしは、癇が強うござる」

 俺は、驚いた。

 (自分で言うのか)

 板に癇癪九十五と出ている。だが、それを本人が言うとは思わなかった。

「父にも、よう叱られ申す。腹が立つと、抑えが利かぬ」

 忠興は、盃を握った。指の関節が白くなった。

「――刀を抜きかけたことも、ござる」

 俺は、しばらく黙っていた。

 それから、聞いた。

「与一郎様。腹が立つのは、どういうときでございますか」

 忠興は、少し考えた。

「見くびられたときにござる」

 俺は、書き取るように、頭に留めた。

「他には」

「思うようにならぬとき。――そして、恥をかいたとき」

 三つ。俺は、頷いた。

「与一郎様。それは、癇癪ではございませぬ」

 忠興が、顔を上げた。

「――誇りにございます」

 忠興は、動かなかった。

「見くびられて腹が立つのは、己を高く見ておられるゆえ。思うようにならぬと腹が立つのは、思う通りにする力があるゆえ。恥をかいて腹が立つのは、恥を知っておられるゆえ」

 俺は、盃を置いた。

「ですが。――誇りは、刀を抜かせまする。そして、抜いた刀は、たいてい、いちばん近い者に向きまする」

 部屋が、静かになった。

 いちばん近い者。玉だ。それを、俺も忠興も、口に出さなかった。

 やがて、忠興は言った。

「日向守どの。――それがしに、玉どのを渡してよろしいのか」

 俺は、すぐには答えなかった。

 (良い問いだ)

 この男は、自分の危うさを知っている。知っていて、それでも問うている。危うさを知らない者より、はるかに良い。上様は、二十年前、自分の危うさを知らなかった。

「一つ、お願いがございます」

「何にござる」

「怒られたら、部屋を出てくださいませ」

 忠興が、目を瞬いた。

「腹が立ったら、その場を離れてくださいませ。半刻でよろしゅうございます。庭に出るなり、馬を走らせるなり」

「――それだけにござるか」

「それだけにございます」

 俺は、続けた。

「与一郎様。癇は、直りませぬ。五十になっても、直りませぬ。――それがしも、直っておりませぬ」

 忠興が、顔を上げた。

「日向守どのが」

「はい」

「そのようには、見え申さぬ」

 俺は、少し笑った。

「離れておりますゆえ。腹が立つと、それがしは書付を書きまする。紙に向かえば、相手の顔が見えませぬ」

 三十七ページの資料は、そうやって書いた。社長の顔が見えない場所で。あれは、たぶん、五度目の癇癪だった。

 忠興は、しばらく考えていた。

「それは、逃げではござらぬか」

 俺は、動きを止めた。

 (突いてきた)

 この男、頭は悪くない。教養八十は、飾りではない。

「逃げにございます」

 俺は、認めた。

「ですが。――逃げねば、斬りまする」

 忠興は、答えなかった。

「与一郎様。人は、直りませぬ。ですが、逃げ方は覚えられまする。――それだけで、人は死なずに済みまする」

 俺は、盃を空けた。


    ◇


 その夜、遅く。

 忠興は、ずいぶん飲んだ。父がいないところで飲む酒は、進むらしい。

 酔った勢いで、こう言った。

「日向守どの。それがし、歌を詠み申す」

「伺いましょう」

 忠興は、しばらく考えた。庭の梅を見て、詠んだ。

 俺は、その歌を聞いて、黙った。

 (上手い)

 素人の俺にも、分かった。型が整っているだけではない。この若者が、盃の上で俺に言えなかったことが、三十一文字の中に入っていた。

「与一郎様。お見事にございます」

「いや、拙うござる」

 忠興は、赤くなった。それから、俺を見ずに、言った。

「玉どのは、歌を詠まれるか」

「詠みまする」

「上手にござるか」

 俺は、少し考えた。それから、正直に言った。

「それがしよりは」

 忠興は、しばらく黙っていた。

「日向守どの。玉どのに、お伝え願いたい」

 俺は、顔を上げた。

 忠興は、少し目を伏せて、言った。

「――『歌を、教えていただきたい』と」

 俺は、盃を置いた。

 (勝率、零)

 板は、正しい。だが、この男は、負けることから始めようとしている。それは、たぶん、悪いことではない。


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