第68話 織田家、決めごとの覚
天正十年、七月。
俺は、坂本で書いていた。
――織田家の、権限の書。
これは、明智家のものとは、まるで違う難しさがあった。
明智家なら、俺が決めればいい。
だが、織田家は違う。
柴田勝家がいる。羽柴秀吉がいる。丹羽長秀がいる。滝川一益がいる。
そして――織田信忠がいる。
(――誰が、どこまで決めてよいか)
これを俺が書けば、諸将の権限を俺が定めることになる。
(――越権だ)
俺は、三日考えて、方針を変えた。
――俺が書かない。
代わりに、諸将に書かせる。
俺がやるのは、集めて、並べて、食い違いを見つけることだ。
「利三。文を四通、書く」
「どちらへ」
「柴田様。羽柴様。丹羽様。滝川様」
俺は、続けた。
「『あなたは、どこまで自分で決めておられますか』と聞く」
◇
利三が、渋い顔をした。
「殿。それは、探っておると取られ申す」
「取られるだろうな」
「なにゆえ、そのような」
俺は、答えた。
「上様のご命だ、と書く」
俺は、筆を取った。
「そして、俺自身の分も、先に書いて同封する」
利三が、顔を上げた。
「殿の分を、先に」
「そうだ」
俺は、言った。
「こちらの手の内を、先に見せる」
俺が書いた「明智日向守が自分で決めていること」は、こうだ。
――丹波の国衆への所領安堵。ただし千石まで。
――家臣の役目替え。全て。
――兵の動員。五百まで。それ以上は上様の許しを得る。
――他家との書状のやり取り。全て。ただし写しを安土に送る。
――村の裁き。全て。
――普請。三百貫まで。
俺は、これを書きながら、自分でも驚いていた。
(――思ったより、多い)
◇
返事は、順に来た。
最初は、丹羽長秀だった。
――日向守どのへ。
――お尋ねの件、書き申した。
――正直に申せば、書きながら青くなり申した。
俺は、その一行で笑った。
――それがしが自分で決めておることが、思うたより多うござる。
――そして、そのほとんどが、上様のお許しを得ておらぬ。
次が、柴田勝家。
――日向守。
――書いた。
――だが、一つ言うておく。
俺は、続きを読んだ。
――北陸は遠い。安土に伺いを立てておれば、戦が終わる。
――ゆえに、わしは決めておる。
――それを咎めるつもりなら、先に言え。
俺は、その文を読んで、少し笑った。
(――正直な人だ)
◇
滝川一益からは、意外な返事が来た。
――日向守どの。
――それがし、決めておることを書こうといたし申したが、書けませなんだ。
俺は、その一行に引っかかった。
――なにゆえかと申せば、それがしの役目が、定まっておらぬゆえにござる。
――それがしは、伊勢におり、時に北陸へ行き、時に東国へ行き申す。
――そのたびに、決めてよい事が変わり申す。
俺は、その文を、長いこと見ていた。
(――これは)
滝川一益。
俺は、この人のことを、あまり知らなかった。
方面軍の一人だが、他の三人と違って、決まった領国がない。
(――遊軍だ)
どこへでも行く。何でもやる。
そして――
(――何も、自分のものにならない)
◇
俺は、返事を書いた。
――左近将監様へ。
――お答え、痛み入ります。
――『役目が定まっておらぬ』というお答えが、いちばん大事なものかと存じます。
俺は、続けた。
――これを、そのまま上様にお伝えしてよろしゅうございますか。
返事は、三日で来た。
――日向守どの。
――お伝えくだされ。
――それがしは、便利に使われることを厭うており申さぬ。
――ただ、便利な者は、いざというとき、居場所がござらぬ。
俺は、その一行を、書き取った。
最後に、羽柴秀吉から来た。
この返事は、他と全く違った。
――日向守様。
――お尋ねの件、書き申した。
――但し、二枚ござる。
俺は、書付をめくった。
一枚目には、こう書いてあった。
――上様にお見せしてよい分。
二枚目には。
――お見せしとうない分。
◇
俺は、しばらく動けなかった。
(――この男)
二枚目を、送ってきた。
「見せたくない」と書いた上で、俺に送ってきた。
(――これは、何だ)
俺は、二枚目を開いた。
そこには、こう書いてあった。
――敵方の国衆に、銭を渡すこと。
――他家の家中の者と、内々に文を交わすこと。
――上様の御意を待たず、講和の話を進めること。
俺は、書付を握りしめた。
(――これは)
どれも、危険だ。
特に三つ目。
――主君の許可なく、敵と講和交渉をする。
これは、疑われれば、それだけで謀反の証拠になる。
(――なぜ、これを俺に見せた)
◇
俺は、三日考えた。
そして、答えを一つ、見つけた。
(――試している)
俺が、これを上様に見せるかどうか。
見せれば――俺は、秀吉の敵になる。
見せなければ――俺は、秀吉と秘密を共有したことになる。
(――どちらでも、この男は何かを得る)
俺は、返事を書いた。
――筑前殿へ。
――二枚目、拝見いたしました。
――上様には、お見せいたしませぬ。
俺は、そこで筆を止めた。
そして、書き足した。
――代わりに、こう書き換えていただきとうございます。
俺が書いたのは、こうだ。
――「敵方の国衆に、銭を渡すこと」
→「敵方の国衆を離す手立てを講ずること。方法は問わぬ」
――「他家の家中の者と、内々に文を交わすこと」
→「他家の内情を探ること。ただし、写しを一部残すこと」
――「上様の御意を待たず、講和の話を進めること」
→「講和の下交渉を行うこと。ただし、決めるは上様」
◇
利三が、これを覗き込んで、唸った。
「殿。これは」
「同じことだ」
「同じにござるか」
「やることは、同じだ」
俺は、言った。
「だが、書き方が違う」
「一枚目に書けるようになる」
俺は、説明した。
「利三。人が隠すのは、悪いことをしているからだけではない」
「と、申されますと」
「言葉がないからだ」
俺は、書付を指した。
「『敵に銭を渡す』と書けば、内通に見える」
「さようで」
「だが『敵方を離す手立て』と書けば、それは戦の一部だ」
俺は、続けた。
「やっていることは、同じだ」
◇
利三は、しばらく黙っていた。
そして、こう言った。
「殿。それは、ごまかしではござらぬか」
俺は、顔を上げた。
(――良い指摘だ)
「半分は、そうだ」
俺は、認めた。
「だが、半分は違う」
俺は、書付を叩いた。
「見ろ。それぞれに、条件を付けた」
利三が、書付を見た。
「『写しを一部残すこと』」
「そうだ」
俺は、言った。
「『決めるは上様』」
「そうだ」
「隠れてやれば、条件はつかぬ」
俺は、筆を置いた。
「利三。隠れてやっていることを、隠れたままにしておくのが、いちばん危ない」
「表に出せば、条件がつけられる。条件がつけば、歯止めになる」
利三は、しばらく考えた。
そして、こう言った。
「殿。それは、羽柴様を守っておられるので」
俺は、答えなかった。
しばらくして、こう言った。
「織田家を、守っている」
◇
秀吉からの返事は、驚くほど早く来た。
――日向守様。
――書き換え申した。
――お見事にござる。
そして、最後にこう書いてあった。
――日向守様。ひとつ、伺いたい。
――それがしが二枚目を送った意味を、お分かりか。
俺は、その一行を、長いこと見ていた。
(――試したことを、隠さない)
この男は、自分が試したことを、自分から言う。
(――なぜだ)
俺は、しばらく考えた。
そして、答えを書いた。
――筑前殿へ。
――お分かりか、と問われましたゆえ、お答えいたします。
――それがしを、試されました。
――そして、試したことをお隠しにならぬのも、また試しにございましょう。
俺は、そこで筆を止めた。
そして、書き足した。
――筑前殿。それがしは、あなた様を敵にしとうございませぬ。
◇
返事は、来なかった。
代わりに、二月後――九月に、こういう報せが届いた。
――羽柴筑前守、備前へ進む。
――毛利と、対する。
俺は、その報せを聞いて、地図を広げた。
(――西へ行く)
中国筋。毛利。
そして、その先には――
俺は、地図の南を見た。
(――四国だ)
信孝が、伊勢で舟を集めている。
俺は、その二つを、地図の上で見比べた。
(――繋がるのか)
まだ、分からなかった。




