第67話 列の余波
天正十年、四月。
御馬揃えの余波は、思わぬ形で来た。
最初に来たのは、織田信孝からの書状だった。
――日向守どのへ。
――先般の馬揃え、大儀であった。
――ひとつ、尋ねたきことがある。
俺は、その先を読んで、額を押さえた。
――なにゆえ、それがしは兄より後であったか。
「利三。これは、どう答える」
「当たり前でござろう」
利三は、あっさり言った。
「兄君が先。弟君が後。それだけにござる」
「そう書いて、納得されると思うか」
「思い申さぬ」
俺は、書状を置いた。
俺は、三日考えて、返事を書いた。
――三七郎様へ。
――お尋ねの件、お答え申し上げます。
――列の順は、御一門の内では、御年の順にございます。
俺は、そこで筆を止めた。
(――これでは、足りない)
この人が知りたいのは、順の理屈ではない。
(――なぜ、俺は認められないのか)
それだ。
◇
俺は、書き直した。
――三七郎様へ。
――列の順は、御年の順にございます。ゆえに、動かしようがございませぬ。
――されど、ひとつ申し上げます。
俺は、続けた。
――当日、京の民が最も見ておりましたのは、三七郎様の御装束にございました。
――順は動かせませぬ。されど、目を引くことはできまする。
利三が、これを読んで唸った。
「殿。これは、おだてでござるか」
「違う」
「事実だ。あの日、いちばん派手だったのは信孝様だ」
「さようで」
「そして、それは意図されたものだ」
俺は、続けた。
「順で負けると分かっていて、装束で勝ちに来られた」
俺は、筆を置いた。
「それは、才だ」
◇
返事は、意外に早く来た。
――日向守どのへ。
――装束のこと、見抜かれておったか。
――恥ずかしゅうござる。
俺は、その一行で、少し笑った。
――ひとつ、教えを乞いたい。
――順で勝てぬなら、何で勝てばよいか。
俺は、その問いに、しばらく考えた。
(――良い問いだ)
これは、序列の下にいる人間が必ず持つ問いだ。
前世でも、同じ相談を受けたことがある。
「同期のあいつが先に課長になった。どうすればいいか」
あのとき、俺は何と答えたか。
(――『焦るな』と言った)
――最悪の答えだ。
俺は、書いた。
――三七郎様へ。
――順は、過ぎたことで決まりまする。
――生まれた順。仕えた年数。挙げた功。
――これらは、変えられませぬ。
俺は、続けた。
――されど、順が意味を持つのは、皆が同じことをしておるときにございます。
◇
俺は、その先を書いた。
――たとえば、皆が城を落とすことを競っておれば、落とした数で順が決まりまする。
――その競いの中では、後から始めた者は勝てませぬ。
――ゆえに、別のことをなさいませ。
俺は、筆を止めた。
そして、書き足した。
――誰もやっておらぬことで、なくてはならぬものを、お探しくださいませ。
この返事に、信孝は返してこなかった。
代わりに――
二月後、思わぬ報せが来た。
「殿。三七郎様が、舟を集めておられるとか」
俺は、書付から顔を上げた。
「舟」
「伊勢の舟にござる」
利三は、続けた。
「なにゆえかは、分かり申さぬ」
俺は、しばらく考えた。
そして、地図を広げた。
(――伊勢の舟)
伊勢は、海に面している。
そして、その先には――
(――四国だ)
◇
俺は、その日、別の書状も受け取っていた。
織田信雄からだった。
こちらは、まったく違う調子だった。
――日向守。
――先の馬揃え、見事であった。
――ところで、伊賀のことだが。
俺は、その先を読んで、手が止まった。
――近く、兵を出す。
「利三ッ」
「どうなされた」
「伊賀だ」
俺は、書状を突き出した。
利三が、読んだ。
そして、青くなった。
「これは、上様のお許しを得ておられるので」
「書いていない」
俺は、言った。
「書いていないということは――」
「得ておられぬ」
俺は、書付を握りしめた。
(――これだ)
俺は、二年前に書いたことを思い出していた。
――権限なき者ほど、成果を焦って暴走する。
織田信雄。信長の次男。伊勢の北畠家を継いでいる。
兄は、後継者として認められ始めた。
弟は――
(――何もない)
◇
「利三。すぐに安土へ発つ」
「は」
「いや、待て」
俺は、動きを止めた。
(――上様に言えば、どうなる)
信雄は、叱られる。
それで、独断は止まるかもしれない。
だが。
(――それで、済むか)
俺は、しばらく考えた。
(――済まない)
叱られた信雄は、次に何をするか。
――もっと隠れてやる。
俺は、筆を取った。
そして、信雄に返事を書いた。
――三介様へ。
――伊賀の儀、承りました。
――お尋ねしたきことが、三つございます。
俺は、書いた。
――ひとつ。伊賀を取れば、伊勢はどう変わりまするか。
――ふたつ。兵は、どこから出されまするか。
――みっつ。落ちなんだ場合、次はどうなさいまするか。
◇
利三が、これを読んで、首を傾げた。
「殿。これは、止めておられませぬな」
「止めていない」
「なにゆえ」
俺は、答えた。
「止めても、聞かぬ」
俺は、筆を置いた。
「だが、答えられぬ問いを出せば、少し止まる」
返事は、来なかった。
その代わり、六月に報せが来た。
――織田信雄、伊賀へ出兵。
――敗退。
俺は、その報せを、書院で受け取った。
利三が、真っ青になっていた。
「殿。あれほど」
「うむ」
「被害は」
「分からぬ」
俺は、書付を置いた。
被害は、大きかった。
伊賀の地侍は、山を知り尽くしている。
平地の戦の常識が通じない。
信雄の軍は、散々に打ち破られた。
――そして、信長が激怒した。
◇
安土から、書状が回った。
信雄への叱責状だ。
写しが、諸将に配られた。
俺は、それを読んで、息を呑んだ。
――父子の縁を切る、とまで書いてあった。
「殿。これは」
「厳しい」
俺は、書状を置いた。
(――だが)
俺は、その厳しさの理由を考えていた。
(――許可なく兵を動かした)
これは、組織として最も危険な行為だ。
――一人が勝手に動けば、全体の計画が崩れる。
特に、織田家のように多方面で戦っている組織では、致命的だ。
俺は、書院で書付を広げた。
そして、書いた。
――独断は、無能より重い。
俺は、その一行を見た。
(――だが)
俺は、筆を止めた。
(――なぜ、独断したのか)
その理由を、誰も問うていない。
叱責状にも、書いていない。
◇
俺は、安土へ行った。
そして、信長に会った。
「日向守。何用だ」
「三介様の儀にございます」
信長の顔が、動いた。
「あれのことは、済んだ」
「済んでおりませぬ」
俺は、平伏した。
長い沈黙があった。
やがて、信長は言った。
「申せ」
俺は、顔を上げた。
「三介様は、なにゆえ独断されたのでございましょうか」
「功が欲しかったゆえだ」
信長は、あっさり言った。
「さようにございます」
俺は、頷いた。
「では、なにゆえ功が欲しかったのでございましょうか」
信長が、動きを止めた。
俺は、続けた。
「中将様は、後継ぎと決まっております」
「うむ」
「三七郎様は、伊勢の舟を集めておられます」
「知っておる」
「三介様は」
「何も、決まっておりませぬ」
◇
沈黙が落ちた。
俺は、続けた。
「上様。三介様に、役を与えてくださいませ」
「役だと」
「はい」
俺は、平伏した。
「どのような役でも構いませぬ。ただ、『これは三介様の役だ』と、はっきり決めていただきとうございます」
「役がなければ、人は役を作ろうといたします」
信長は、しばらく黙っていた。
やがて、こう言った。
「日向守」
「は」
「甘いな」
俺は、答えた。
「甘うございます」
「認めるか」
「認めまする」
俺は、顔を上げた。
「されど、上様」
「役のない者を放っておけば、次はもっと大きな独断をいたします」
◇
信長は、また黙った。
そして、こう言った。
「日向守。おぬし、明智の家でもそうしておるのか」
「さようにございます」
「役を、与えておるのか」
「与えております」
俺は、続けた。
「そして、役の重さを、書いております」
信長の眉が、動いた。
「書く、と」
「はい」
「誰が、どこまで決めてよいか。それを書いております」
信長は、しばらく俺を見ていた。
そして、突然、こう言った。
「持ってこい」
俺は、顔を上げた。
「は」
「その、書いたものだ」
信長は、言った。
「織田の家で、使えるかを見る」




