第62話 北ノ庄の親父
天正九年、十一月。
俺は、越前にいた。
北ノ庄城。柴田勝家の城だ。
雪が、もう降り始めていた。
「日向守。よう来た」
柴田勝家は、大広間で待っていた。
巨躯だ。声が大きい。
六十になるはずだが、そうは見えない。
(――かかれ柴田)
ゲームの武将画面が、頭をよぎった。武勇九十台。政治六十台。特技は「猛将」。北陸へ置いておけば、勝手に加賀を削ってくれる駒だった。
瓶割り柴田、という異名も覚えている。籠城中、城内の水瓶を全部割って退路を断ち、討って出て勝ったという逸話だ。大河ドラマでも、たいてい酒を呷って大声で笑う武骨者として出てくる。そして最後は、賤ヶ岳で負けて、北ノ庄で自害する。
(――全部、合っている)
目の前の男は、確かに巨躯で、声が大きい。
だが、それだけの男が、二十年、北陸を保てるものだろうか。
(――保てぬ)
加賀と越中には、一向一揆がいる。冬は四月動けない。補給は細い。そんな場所を二十年預かって、まだ潰れていない。
(――「猛将」の二文字で説明のつく話ではない)
瓶を割る男は、目立つ。だが、瓶を割らずに二十年やってきた日々のほうが、たぶん長い。
「修理亮様。突然の来訪、お許しくださいませ」
「よい」
勝家は、手を振った。
「で、何用だ」
俺は、平伏した。
そして、単刀直入に言った。
「正月の御馬揃えの、列のことにございます」
◇
勝家の顔から、笑いが消えた。
(――知っている)
俺は、そう察した。
情報は、既に回っている。
「日向守」
「は」
「わしは、何番だ」
俺は、答えた。
「一番にございます」
勝家の眉が、動いた。
「ほう」
「方面軍を預かる者の内では、一番にございます」
「されど、二番は羽柴筑前守様にございます」
沈黙が落ちた。
長い沈黙だった。
やがて、勝家は言った。
「筑前が、二番か」
「はい」
「丹羽より、前か」
「はい」
勝家は、腕を組んだ。
そして、こう言った。
「わしは、構わぬ」
俺は、顔を上げた。
「は」
「わしは一番だ。文句はない」
勝家は、続けた。
「だが、五郎左はどう思う」
◇
俺は、その言葉に、少し驚いた。
(――丹羽様の心配をしている)
「丹羽様には、それがしから申し上げます」
「そうか」
勝家は、頷いた。
そして、こう言った。
「日向守。おぬし、なにゆえここへ来た」
俺は、答えた。
「お伝えするためにございます」
「文でよかろう」
「文では、修理亮様が言い返せませぬ」
勝家が、動きを止めた。
しばらく、俺を見ていた。
そして、突然、大声で笑った。
「ははっ! そうか!」
広間が、震えた。
「言い返せ、と申すか」
「はい」
「上様が、そう仰せられたか」
俺は、少し迷った。
そして、正直に言った。
「さようにございます」
勝家は、また笑った。
そして、笑いを収めて、こう言った。
「上様は、わしをよう分かっておられる」
◇
その夜、俺は勝家と二人で飲んだ。
この人は、驚くほど飲んだ。
そして、意外なことを言った。
「日向守。おぬし、わしを『南蛮かぶれ』と呼ばれておるのを知っておるか」
俺は、盃を置いた。
「存じております」
「わしが言うた」
「存じております」
勝家は、また笑った。
「だが、あれは半分は褒めておる」
俺は、顔を上げた。
勝家は、盃を置いた。
「日向守。去年、おぬしが雪のことを聞いてきた」
「はい」
「わしは、驚いた」
この人は、続けた。
「二十年、北陸におる。誰も聞かなんだ」
勝家は、盃を取った。
「皆、『加賀はいつ落ちる』と聞く。落ちぬ理由は、聞かぬ」
◇
俺は、黙って聞いていた。
勝家は、盃を置いた。
「日向守。もう一つ、聞かれておらぬことがある」
「なんでございましょう」
「――越前が、なにゆえ二度荒れたかだ」
俺は、身を乗り出した。
「七年前だ」
勝家は、指を二本立てた。
「朝倉が滅びた後、越前は一度、こちらの手に入った。守護代を置いた。富田弥六郎長繁と申す男だ」
「――存じませぬ」
「知らぬであろう。一年で死んだゆえだ」
勝家は、続けた。
「あの男は、国衆をまとめようとして、まとめきれなんだ。ゆえに、門徒を使うた。門徒の力を借りて、目障りな者を討った」
俺は、その先が分かった。
「――借りた力が、大きくなりましたか」
「大きくなった。そして、あの男を食うた」
勝家は、盃を取った。
「翌年、越前は一向一揆の国になった。上様が、また攻めねばならなんだ。二度目にござる」
俺は、しばらく黙っていた。
(――これは、記録に残っておらぬ)
俺の知っている「歴史」では、越前の一向一揆は上様が焼いた話として一行で片づく。だが、その一年前に、誰かが力を借りて、借りた力に食われている。
「修理亮様。それは、書付にしてございますか」
「――ない」
「なにゆえで」
「――誰も、書けと申さぬゆえだ」
俺は、その一言を書き取った。
書きながら、思った。
(――同じことが、丹波でも起きうる)
国衆をまとめきれぬ者が、揃わぬ手を借りる。借りた手は、いずれ主を食う。
◇
「日向守。わしは、書付が嫌いだ」
「存じております」
「だが」
勝家は、少し言いにくそうにした。
「越前でも、少し作っておる」
俺は、驚いた顔を作らなかった。
(――知っていた)
三沢の突き合わせで、越前の書付を見ている。
あの厚さと精度は、片手間で作れるものではない。
「拝見しとうございます」
「笑うなよ」
勝家が出してきた書付は、驚くほど整っていた。
しかも、俺の様式ではない。
――全部、作り変えてある。
「修理亮様。これは」
「おぬしのは、細かすぎる」
勝家は、あっさり言った。
「北陸の者は、字が読めぬ者が多い。ゆえに、絵にした」
俺は、書付をめくった。
絵図が描いてある。
◇
絵図の隅に、小さな字で名が入っていた。
「修理亮様。これは、どなたが」
「又左だ」
勝家は、あっさり言った。
「前田又左衛門。わしの下におる。若い」
その夜、その男が呼ばれた。
四十半ばである。背が高い。若い、と呼ばれる年ではない。この人の中では、たぶん、二十年前のまま止まっている。
「前田又左衛門にござる」
板が、浮かんだ。
――――――――――――――――――
前田又左衛門利家 四十三歳
柴田勝家配下
【総評】絵で伝える者。
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統率78 │ 戦術80 │ 兵站財務70
政務実務65 │ 交渉外交60 │ 人望85
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◆特記事項
図解 九十二
字への諦め 八十八
銭の勘定 八十
喧嘩の記憶 九十五
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(――図解、九十二)
この項目を、俺は初めて見た。
「又左どの。この絵は、あなたが」
「さようにござる」
この男は、少し照れくさそうにした。
「それがし、若い頃に、書付を読み違えて兵を出したことがござる。二百ばかり、無駄に歩かせ申した」
「――それで」
「それがしが読めなんだのではござらぬ。読み上げた者が、読み違え申した」
又左は、言った。
「ゆえに、絵にいたし申した。絵は、読み違え申さぬ」
俺は、その一言を書き取った。
◇
「又左どの。一つ、伺ってよろしいか。この絵の、雪の深さを表す線にございますが」
「膝、腰、胸にござる」
「なにゆえ、三段に」
「四段にすると、真ん中が分からなくなり申す」
俺は、筆を止めた。
(――同じことを言う者が、二人目だ)
半兵衛は、七十三枚を九枚にせよと言った。この男は、四段を三段にした。
――減らせる者は、減らした後に何が残るかを知っている。
「又左どの。これを、写させていただけませぬか」
又左は、勝家を見た。
勝家が、顎で頷いた。
「――どうぞ」
そして、こう付け足した。
「日向守どの。ただし、一つだけ」
「なんでございましょう」
「――絵は、上手い者に描かせなされ。それがしのは、下手にござる」
俺は、笑った。
「下手なほうが、よろしゅうございます」
「――なにゆえで」
「上手い絵は、真似られませぬゆえ」
雪の深さが、線の太さで表してある。道の状態が、記号で書いてある。
(――図解だ)
「これは」
「村の者にも分かる」
勝家は、少し照れくさそうに言った。
「字が読めずとも、これなら分かる」
◇
俺は、その書付を、長いこと見ていた。
(――俺より、上だ)
俺の作った様式は、字が読める者を前提にしている。
この人のものは、そうではない。
「修理亮様」
「なんだ」
「これを、写させていただけませぬか」
勝家は、目を丸くした。
「おぬしが、わしのを写すのか」
「はい」
「なにゆえ」
俺は、答えた。
「優れておりますゆえ」
勝家は、しばらく黙っていた。
そして、盃を置いた。
その手が、少し止まっていた。
「日向守」
「は」
「おぬしは、変な男だな」
俺は、少し笑った。
「よく言われます」
「いや」
勝家は、首を振った。
「褒めておる」
◇
その夜、勝家はもう一つのことを言った。
「日向守。中将様のことだ」
俺は、顔を上げた。
「は」
「去年の年賀で、あの方はわしに問われた」
勝家は、盃を見ていた。
「『近江から兵を出せば、丹波と播磨の荷が細る。それでもよいか』と」
「はい」
「わしは、答えられなんだ」
勝家は、続けた。
「恥ずかしかった」
俺は、黙っていた。
「日向守。わしは、北陸のことしか知らぬ」
勝家は、言った。
「加賀を落とすことしか、考えておらなんだ」
この人は、盃を置いた。
「だが、わしが兵を集めれば、どこかが減る」
勝家は、俺を見た。
「それを、あの若い方が教えられた」
◇
俺は、しばらく答えられなかった。
やがて、言った。
「修理亮様」
「うむ」
「それは、中将様がご自身で気づかれたことにございます」
「知っておる」
勝家は、頷いた。
「だが、気づける場を作ったのは、おぬしだ」
俺は、平伏した。
勝家は、こう続けた。
「日向守。ひとつ、頼みがある」
「なんなりと」
「中将様に、北陸へ来ていただきたい」
俺は、顔を上げた。
「冬にか」
「冬にだ」
勝家は、はっきり言った。
「雪を、見ていただきたい」
この人は、続けた。
「絵図では分からぬ。書付でも分からぬ」
勝家は、外を見た。
「膝まで雪に埋まってみねば、分からぬ」
◇
俺は、その言葉を、体の芯で受け止めた。
(――その通りだ)
俺は、書付を作ってきた。突き合わせてきた。共通するものと、違うものを分けてきた。
だが。
(――俺自身、越前の雪を見たことがなかった)
今日、初めて見た。
そして、絵図で見ていたときとは、まるで違うと感じた。
「修理亮様」
「うむ」
「上様に、お願いしてみまする」
勝家は、頷いた。
そして、こう言った。
「日向守。もうひとつだ」
「は」
勝家は、俺を見た。
「おぬしも、来い」
翌朝、俺は北ノ庄を発った。
見送りに出た勝家は、最後にこう言った。
「日向守」
「は」
「筑前が二番でも、構わぬ」
この人は、言った。
「だが、ひとつだけ言うておく」
俺は、顔を上げた。
勝家は、雪の中に立っていた。
「あれは、止まらぬ男だ」
俺は、動きを止めた。
「わしは、加賀で止まる。北陸を取れば、それで終いだ」
勝家は、続けた。
「だが、筑前は止まらぬ」
この人は、俺を見た。
「日向守。おぬしは、どこで止まる」
◇
俺は、答えられなかった。
馬に乗り、雪の道を南へ下りながら、俺はずっとその問いを考えていた。
(――どこで止まる)
俺の目的は、本能寺を防ぐことだ。
天正十年六月二日。
その日を越えれば――
(――終わりか)
俺は、手綱を握り直した。
(――終わりではない)
信長が生きていても、いずれ死ぬ。
そのとき、織田家が回るようになっていなければ、意味がない。
(――では、いつだ)
俺は、雪の道を見た。
(――俺は、いつまで走る)
答えは、出なかった。




