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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第六章 チーム秀吉

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第55話 半兵衛の病


 その夜、半兵衛が咳き込んだ。

 宴の途中だった。

 一度、二度。そして、止まらなくなった。

 俺は、立ち上がりかけた。

 だが、周囲の者が誰も動かなかった。

 ――慣れている。

 半兵衛は、しばらく咳き込んで、そして何事もなかったように盃を取った。

「失礼」

 俺は、座り直した。

「半兵衛様」

「なんでござる」

「いつからでございます」

 半兵衛は、少し笑った。

「日向守様は、まっすぐ聞かれるな」

「申し訳ございませぬ」

「いや」

 半兵衛は、盃を置いた。

「三年ほど前からにござる」

 俺は、その夜、眠れなかった。

 (――三年)

 労咳だとすれば、進んでいる。

 煕子の場合は、兆しの段階で手を打てた。

 だが、この男は――

 (――もう、遅い)

 俺は、天井を見ていた。

 (――俺は、知っている)

 竹中半兵衛は、この年に死ぬ。

 いや。

 俺は、身を起こした。

 (――違う)

 俺の記憶では、半兵衛は天正七年に死んでいる。

 今は、天正九年だ。

 ――生きている。


    ◇


 俺は、暗い部屋で、しばらく動けなかった。

 (――ずれている)

 照合率が下がっている。それは知っていた。

 だが、これは初めてだ。

 ――死ぬはずの人間が、生きている。

 (――なぜだ)

 俺は、考えた。

 俺が何かをしたか。

 ――していない。

 この男に会ったのは、今日が初めてだ。

 (――では、なぜ)

 俺は、しばらく考えて、一つの可能性に思い至った。

 (――三木城)

 三木城が落ちたのは、天正八年の正月だ。

 俺の記憶では、もっと早かったはずだ。天正八年ではなく、七年か。

 いや――

 俺は、頭を抱えた。

 (――分からない)

 俺の記憶は、日付まで正確ではない。

 だが、こうは言える。

 ――戦の進み方が、変わっている。

 俺が丹波でやったこと。秀吉が播磨で真似たこと。荷の記録。国衆の統合。

 それが、戦の速度を変えている。

 そして、戦の速度が変われば、陣中の負担も変わる。

 (――半兵衛の陣没は、陣中での過労が重なった結果ではないか)

 俺は、そう考えた。

 もし戦が少しでも楽になっていれば――

 (――寿命が、延びた)


    ◇


 俺は、その仮説に、しばらく震えていた。

 (――俺のやったことが、人の命を延ばしている)

 だが、次の瞬間、逆のことを考えた。

 (――ならば、縮んだ命もあるのではないか)

 俺は、暗闇の中で、目を開けていた。

 翌朝、俺は半兵衛に会いに行った。

「おや。早いお目覚めで」

 半兵衛は、既に起きていた。

 書付を読んでいた。

「半兵衛様。お願いがございます」

「なんでござろう」

 俺は、平伏した。

「書き残していただきたい」

 半兵衛の手が、止まった。

 長い沈黙があった。

 やがて、半兵衛は言った。

「日向守様。それがしは、昨日申し上げたはずにござる」

「策は水物、と」

「さよう」

「覚えております」

 俺は、顔を上げた。

「ゆえに、策を書けとは申しませぬ」

 半兵衛の眉が、動いた。

「では、何を」

 俺は、答えた。

「半兵衛様が、何を見ておられるかを、書いていただきとうございます」


    ◇


 俺は、説明した。

「昨日、半兵衛様は『型』と仰せられました」

「申した」

「その通りにございます」

 俺は、続けた。

「策は、書いても使えませぬ。されど、策を立てるときに何を見るか――それは、書けまする」

「と、申されると」

「たとえば、敵の城を攻めるとき、半兵衛様は最初に何をご覧になりますか」

 半兵衛は、少し考えた。

 そして、言った。

「水にござる」

 俺は、筆を取った。

「水」

「城の水が、どこから来ておるか。それを最初に見申す」

 半兵衛は、続けた。

「井戸か、川か、雨水か。城の外から引いておるなら、断てば落ちる」

 俺は、書き取った。

「他には」

「兵の顔にござる」

「顔、でございますか」

「囲んで三日で、城の兵が塀から顔を出す。あれは、余裕がある証にござる」

 半兵衛は、指を折った。

「十日経って顔が減れば、飢えが始まっており申す」

 俺は、書き取り続けた。

 半兵衛は、喋り続けた。

 城の攻め方。敵の内情の探り方。裏切る者の見分け方。

 半刻。

 一刻。

 ――止まらなかった。


    ◇


 やがて、半兵衛は言葉を切った。

 そして、少し驚いた顔をした。

「日向守様」

「は」

「ずいぶん喋り申したな」

 俺は、書付を見た。

 十枚を超えていた。

「半兵衛様」

「なんでござる」

 俺は、書付を差し出した。

「これは、策ではございませぬ」

 半兵衛は、それを受け取った。

 そして、読んだ。

 長いこと、読んでいた。

 やがて、この男は言った。

「なるほど」

 その声は、少し掠れていた。

「これは、それがしの目にござるな」

 半兵衛は、書付を置いた。

 そして、こう言った。

「日向守様。ひとつ、伺いたい」

「は」

「それがしが、いつ死ぬとお思いか」

 俺は、動きを止めた。

 半兵衛は、こちらを見ていた。

 その目は、静かだった。

「半兵衛様」

「答えずともよろしゅうござる」

 半兵衛は、笑った。

「ただ、日向守様が急いでおられるゆえ、そう思うただけにて」

 俺は、しばらく黙っていた。

 そして、言った。

「存じませぬ」

 これは、嘘ではなかった。

 俺の知っている歴史は、既にずれている。

「ただ」

 俺は、続けた。

「お体を、案じております」

 半兵衛は、頷いた。

「かたじけない」


    ◇


 その日から、俺は五日、姫路に滞在した。

 半兵衛と、毎日話した。

 書付は、四十枚を超えた。

 五日目、半兵衛が言った。

「日向守様」

「は」

「これは、誰に渡す」

 俺は、答えた。

「半兵衛様がお決めください」

 半兵衛は、少し考えた。

 そして、言った。

「筑前殿には、渡さぬ」

 俺は、意外に思った。

「なにゆえ」

「あの方は、読まぬゆえ」

 半兵衛は、笑った。

「筑前殿は、人から聞いて覚えるお方にござる。紙は読まぬ」

 俺は、頷いた。

 確かに、そういう男だ。

「では」

「小一郎様に」

 半兵衛は、言った。

「あの方は、読み申す。そして、忘れぬ」


    ◇


 そして、半兵衛はもう一つ言った。

「それと、もう一部」

「どちらへ」

 半兵衛は、少し間を置いた。

 そして、こう言った。

「黒田官兵衛どのへ」

 俺は、その名を書き取った。

 黒田官兵衛。

 名前は、聞いている。秀吉の参謀の一人だ。

 (――もう一人の兵衛だ)

 こちらは、半兵衛より長く生きる。そして、半兵衛より恐れられる。

 ゲームでは、知略九十台後半。全部の能力が高い上に、寿命も長い。終盤まで使える。

 大河では、主役を張ったこともある。播磨の小さな豪族から身を起こし、秀吉に仕え、天下取りを支える。だが、秀吉に警戒される。「わしの次に天下を取るのは誰か」と問われた者が「官兵衛様」と答えた、という話が必ず出てくる。関ヶ原のとき、九州で勝手に兵を起こしたという逸話も。

 (――そして、足を引きずっている)

 有岡城に幽閉されて、脚を痛める。牢から出たとき、歩けなくなっている。

 俺は、その話を、映像で覚えていた。狭い牢。差し込む光。藤の花。

 (――今、それが起きているのか)

 だが――

「半兵衛様。黒田様は、今どちらに」

 半兵衛の顔から、笑いが消えた。

 そして、こう言った。

「有岡城にござる」

 俺は、動きを止めた。

「有岡、と申されますと」

「荒木村重(あらきむらしげ)どのの城にござる」

 半兵衛は、静かに言った。

「幽閉されており申す」


    ◇


 俺は、その夜、宿で書付を睨んでいた。

 (――荒木村重)

 摂津の主。織田家の重臣。

 そして――

 俺は、記憶を探った。

 (――謀反する)

 いつだ。

 俺の記憶では、天正六年だ。

 だが、天正六年に、それは起きなかった。

 俺は、その年を覚えている。坂本で役目書を作っていた年だ。摂津は、静かだった。

 七年も、八年も、何も起きなかった。

 俺は、そのたびに思っていた。

 (――変わったのだ)

 丹波の書付が回った。国衆の面目を守る仕組みが、他家にも伝わった。だから村重は、離れずに済んだのだと。

 ――そう、思っていた。


    ◇


 だが、起きた。

 三年、遅れて。

 俺は、半兵衛から詳しく聞いた。

 この春――天正九年の三月。

 荒木村重は、有岡城に籠った。

 理由は、はっきりしない。石山との内通を疑われたとも、家中の者が勝手に動いたとも言われている。

 そして、それを止めに入った黒田官兵衛が、城内に留め置かれた。

 ――二月になる。

 俺は、宿の暗い部屋で、しばらく動けなかった。

 (――遅れた)

 三年、遅れた。

 だが、起きた。

 俺は、膝の上で拳を握った。

 (――俺は、何を変えた)

 答えは、残酷なほど明快だった。

 ――時期を、変えた。

 三年、遅らせた。

 だが、防げなかった。

 俺は、目を閉じた。

 (――遅らせただけか)

 いや。

 それだけではない。

 ――俺は、三年間、「起きなかった」と思っていた。

 起きないと思っていたから、何もしなかった。

 摂津へ人を出すこともなく、村重に会いに行くこともなく、荷の書付を送ることもしなかった。

 (――安心していた)

 俺は、その事実に、吐き気がした。


    ◇


 俺は、書付を握りしめた。

 (――照合率が、下がっている)

 俺は、その言葉の意味を、初めて本当に理解した。

 照合率が下がるというのは、「知らないことが増える」ということではない。

 ――「知っているつもりのことが、外れる」ということだ。

 外れ方には、二つある。

 起きないはずのことが、起きる。

 そして――起きるはずのことが、来ない。

 後者のほうが、恐ろしい。

 なぜなら、来ない間、人は安心するからだ。

 俺は、立ち上がった。

「利三ッ」

 襖の向こうで、寝ぼけた声がした。

「な、なんでござる」

 俺は、書付を掴んだ。

「摂津へ行く」


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