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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第六章 チーム秀吉

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52/151

第52話 羽柴秀長という副官


 翌朝、秀吉は消えていた。

 宿の者に聞くと、夜明け前に馬で出たという。西へ。

「どこへ行かれた」

「但馬か、因幡かと」

 俺は、額を押さえた。

 昨夜、あれだけ飲んで、夜明け前に馬で出る。

 (――四十四だぞ)

 この男の体力は、異常だった。

 代わりに、宿へ来た者がいた。

「明智日向守様にございますか」

 地味な男だった。

 中背。目立たない顔。着物も、質素だ。

 俺は、一瞬、家臣か何かだと思った。

「は。明智日向守にございます」

「羽柴小一郎にございます」

 俺は、慌てて座り直した。

 羽柴秀長。

 秀吉の弟だ。

「兄が、すみません」

 その男は、開口一番、そう言った。


    ◇


 俺は、この一言で、この男の役割を理解した。

「何を、詫びておられます」

「夜明け前に発ちました」

 秀長は、平然と言った。

「客人を置いて出るのは、無礼にございます。ゆえに、詫びに参りました」

「いえ、それがしも」

「兄は、悪気がございませぬ」

 秀長は、続けた。

「思いついたら、動きます。それだけにございます」

 俺は、この男を見た。

 視界の隅で、板が浮かんだ。

 羽柴秀長 四十一歳

 統率80 │ 兵站財務96 │ 政務実務90

 交渉外交85 │ 人望88 │ 制度理解85

 ◆特記事項

  調整      94

  功名心      5

  兄への謝罪回数  ∞

 俺は、その最後の項目を見て、噴き出しそうになった。

 だが、二行目を見て、笑いが消えた。

 ――功名心、五。

 (――五だと)

 この時代、武士の功名心が五というのは、異常だ。

 だが、その上の数字を見ると、もっと異常だ。

 兵站財務、九十六。

 俺の八十八より、高い。


    ◇


「小一郎様。城下を、案内いただけますか」

「喜んで」

 俺たちは、姫路の城下を歩いた。

 秀長は、静かに歩いた。

 喋らない。だが、聞けば全部答える。

「この蔵は、いくつございます」

「十一にございます」

「米は」

「今、二万三千俵ほど」

「即答されますな」

「毎朝、確かめておりますゆえ」

 俺は、足を止めた。

「毎朝」

「はい」

「ご自身で、でございますか」

 秀長は、少し首を傾げた。

「他に、誰が確かめます」

 俺は、この男の一日を聞いた。

 夜明け前に起きる。

 蔵を回る。

 荷の出入りを確かめる。

 書付を検分する。

 昼、家臣の訴えを聞く。

 午後、普請の見分。

 夕、兄からの指示を確かめ、実行できるかを判断する。

 夜、書付を書く。

 俺は、聞きながら、書き取っていた。

 そして、あることに気づいた。

「小一郎様」

「はい」

「『兄からの指示を確かめ、実行できるかを判断する』と仰せられました」

「はい」

「実行できぬときは、いかがなされます」

 秀長は、少し考えた。

 そして、こう言った。

「できるようにいたします」

「は」

「兄は、できぬことを申しませぬ」

 秀長は、静かに言った。

「ただ、間に合わぬことを申します」

 俺は、この表現に唸った。

「たとえば、『三日で兵を集めよ』と申します。三日では集まりませぬ。五日かかります」

「では、五日と申されますか」

「いえ」

 秀長は、首を振った。

「三日で、半分を集めます。残りは、五日目に送ります」

 俺は、その答えに、しばらく動けなかった。

 (――分割している)

 「できません」でもなく、「無理をしてやります」でもない。

 実行可能な形に、分解している。


    ◇


「小一郎様。それは、筑前殿にお伝えになりますか」

「申しませぬ」

 俺は、顔を上げた。

「なにゆえ」

「申せば、兄は次から五日と申します」

 秀長は、当然のように言った。

「五日と申せば、六日かかります」

 俺は、この言葉の意味を、しばらく考えた。

 (――ああ)

 これは、バッファの話だ。

 秀吉は、常に無理な期限を切る。それは、結果として組織を速く動かす。

 だが、実際には無理だ。

 そこで秀長が、無理を実行可能な形に分解する。

 もし秀長が「三日は無理です、五日ください」と言えば、秀吉は五日で計画を立てる。すると、また同じことが起きる。

 ――余裕は、与えられた瞬間に消費される。

「小一郎様」

「はい」

「お疲れになりませぬか」

 秀長は、少し驚いた顔をした。

 そして、こう言った。

「そういうことを、お尋ねになる方は、珍しゅうございます」


    ◇


 その日の夕方、俺たちは川辺に座っていた。

 秀長は、しばらく黙っていた。

 そして、ぽつりと言った。

「日向守様」

「は」

「兄は、止まれませぬ」

 俺は、川を見ていた。

「昨夜、そう申しておられました」

「さようでございましょう」

 秀長は、続けた。

「兄は、止まれば終わると思うております。それは、たぶん、まことにございます」

 俺は、この男を見た。

「ゆえに、それがしがおります」

 秀長は、静かに言った。

「兄が走る。それがしが、後ろで拾います」

 俺は、しばらく黙っていた。

 そして、聞いた。

「小一郎様は、それでよろしいのですか」

 秀長は、俺を見た。

「と、申されますと」

「小一郎様のなさっていることは、外からは見えませぬ」

 俺は、言った。

「三日で兵が集まったのは、筑前殿の功にございます。五日目に残りが着いたことは、誰も覚えておりませぬ」

 秀長は、しばらく黙っていた。

 そして、笑った。

 初めて、笑った。

「日向守様」

「は」

「それがしは、兄が好きにございます」

 俺は、動きを止めた。

「兄は、それがしを弟として扱います。家臣としてではなく」

 秀長は、川を見た。

「上様に拾われる前、我らは何もございませなんだ。食う物も、名も」

 この男は、続けた。

「それがしは、兄の後ろについて歩いておりました。あの頃から、ずっと」

 俺は、聞いていた。

「今も、同じにございます」

 秀長は、こちらを見た。

「功が要るとは、思うており申さぬ」


    ◇


 俺は、その夜、宿で書付を広げた。

 (――危うい)

 俺は、そう思った。

 この体制は、驚くほど良く機能している。

 秀吉が走り、秀長が拾う。

 だが、これは制度ではない。

 ――兄弟の情だ。

 俺は、筆を取った。

 ――情に支えられた仕組みは、情が消えたときに崩れる。

 そして、もう一つ書いた。

 ――秀長が倒れたとき、羽柴家に代わりはいない。

 俺は、その一行を見た。

 (――俺のところは、どうだ)

 俺は、考えた。

 利三が倒れたら。

 ――三沢がいる。秀満がいる。役目書がある。

 (――たぶん、回る)

 だが、完全ではない。


    ◇


 翌朝、俺は秀長に暇を告げた。

「小一郎様。世話になり申した」

「いえ」

 秀長は、頭を下げた。

 そして、こう言った。

「日向守様。ひとつ、伺ってもよろしゅうございますか」

「なんなりと」

「坂本では、日向守様が留守にされても、城は動くと聞きました」

 俺は、頷いた。

「動きまする」

「どうやって」

 俺は、少し考えた。

 そして、正直に答えた。

「書いております」

「書く」

「はい。誰が何をするか。誰がどこまで決めてよいか。それを紙に書いております」

 秀長は、しばらく黙っていた。

 そして、こう言った。

「それは、それがしが頭に入れていることと、同じにございますか」

 俺は、答えた。

「たぶん、同じにございます」

 秀長の目が、動いた。

「ただ」

「それがしの書いたものは、それがしが死んでも残ります」


    ◇


 沈黙が、長く続いた。

 やがて、秀長は言った。

「日向守様」

「は」

「その書き方を、教えていただけませぬか」

 俺は、この男を見た。

 そして、頷いた。

「お教えいたします」

 秀長は、深く頭を下げた。

 その頭に向かって、俺は言った。

「小一郎様」

「は」

「ひとつだけ、条件がございます」

 秀長が、顔を上げた。

 俺は、言った。

「お体を、大事になさいませ」


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