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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第四章 坂本城改革

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第45話 失敗報告演習


 六月の終わり、信忠が失敗した。

 しかも、大きな失敗だった。

 事の起こりは、丹波の道普請の割り振りだった。

 信忠が決めた通り、北の道を先にした。

 だが、人足の割り振りで手違いが出た。

 北の道に人を集めすぎて、坂本の普請が止まったのだ。

 しかも、その坂本の普請は、湖の岸の護岸だった。

 六月は、雨が多い。

 ――岸が、崩れた。

 報せが来たのは、朝だった。

 三沢が、飛び込んできた。

「殿ッ! 北の岸が!」

 俺は、立ち上がった。

「被害は」

「舟着き場が、半ば」

「人は」

「怪我人が二人。死人はござらぬ」

 俺は、息を吐いた。

「良い。すぐに人を出せ」

 そこへ、信忠が来た。

 顔が、真っ白だった。

「日向守」

「城介様」

「わしが、決めた」

 信忠は、そう言った。

「北を先にせよと、わしが決めた」


    ◇


 俺は、この日のことを、たぶん一生忘れないだろう。

 信忠は、その場で平伏した。

 俺の前に、だ。

 織田家の当主が、家臣の前に頭を下げた。

「城介様ッ!」

 利三が、悲鳴を上げた。

「日向守。すまぬ」

 信忠は、額を畳につけたまま言った。

「わしの落ち度だ」

 俺は、しばらく動けなかった。

 そして、言った。

「城介様。お顔を上げてくださいませ」

「いや」

「上げてくださいませ」

 俺は、少し強く言った。

「今は、それどころではございませぬ」

 信忠が、顔を上げた。

「怪我人が二人おります。舟着き場が壊れております。雨は、まだ降っております」

 俺は、立ち上がった。

「謝るのは、後でよろしゅうございます」


    ◇


 三日かかった。

 俺と信忠は、現場に出た。

 護岸の修理。舟着き場の仮設。怪我人の手当て。

 信忠は、よく働いた。

 驚いたのは、この男が自分で土を運んだことだ。

「城介様。それは、人足の仕事にございます」

「知っておる」

 信忠は、泥だらけになりながら言った。

「だが、わしが決めた」

 二日目、俺は妙なことに気づいた。

 人足の動きが、変わっている。

 初日は、誰もこの人に近づかなかった。当たり前だ。織田家の当主が土を運んでいる。声をかけられる者はいない。

 だが二日目の昼、年配の人足が、信忠の持ち方を直した。

「そのように担がれては、腰を痛めまする」

 俺は、息を呑んだ。

 信忠は、素直に持ち方を変えた。そして、こう言った。

「どこで覚えた」

「親に、でございます」

「親は、どこにおる」

「三年前に、死に申した」

 信忠は、しばらく黙っていた。

 それから、また土を運んだ。

 その日の夕、人足たちが、この人に湯を持ってきた。誰も命じていない。

 (――これは、書付では作れぬ)

 俺は、そう思った。

 役目書を二百三項目作った。誰が何をするかを定めた。だが、「一緒に泥をかぶった者を、人は覚えている」ということは、どこにも書けない。

 書けないが、効く。

 そして、たぶん、これが最も効く。


    ◇


 三日目の夜。

 仮の舟着き場ができて、俺たちは城に戻った。

 信忠は、泥のまま座り込んでいた。

 俺は、湯を持ってこさせた。

「城介様」

「うむ」

「今から、大事なことをいたします」

 信忠が、顔を上げた。

「なんだ」

 俺は、紙と筆を出した。

「何が起きたかを、書きまする」

 俺たちは、その夜、四刻かけて書いた。

 俺は、質問し続けた。

 信忠が、答えた。

 ――いつ、誰が、何を決めたか。

 ――そのとき、何を知っていたか。

 ――何を知らなかったか。

 ――なぜ、知らなかったか。

 最後の問いで、信忠が詰まった。

「なぜ、知らなかったか」

 俺は、繰り返した。

「城介様は、坂本の護岸の普請があることを、ご存じでしたか」

「知らなんだ」

「なぜでございましょう」

「誰も、申さなんだ」

 俺は、筆を止めた。

「では、なぜ誰も申さなかったのでしょうか」

 信忠は、しばらく考えた。

 そして、言った。

「わしが、聞かなんだゆえか」

「それも、ございます」

 俺は、頷いた。

「されど、それだけでございましょうか」

 信忠は、また考えた。

 俺は、待った。

 やがて、信忠が言った。

「日向守」

「は」

「評定に、坂本の普請の者がおらなんだ」

 俺は、深く息を吐いた。

 (――辿り着いた)

「さようにございます」

 俺は、言った。

「あの評定は、丹波の道普請の評定にございました。ゆえに、丹波に関わる者だけを呼びました」

「呼んだのは、それがしにございます」

 信忠が、顔を上げた。

「城介様は、その場にある話しか、聞くことができませぬ」

 俺は、頭を下げた。

「その場に何を置くかを決めたのは、それがしにございます」


    ◇


 俺は、書き終えた紙を、信忠に渡した。

 全部で、七枚あった。

「城介様。これを、どうなさいますか」

 信忠は、紙を見ていた。

「どう、とは」

「これは、城介様の失敗の記録にございます」

 俺は言った。

「お捨てになることもできまする」

 信忠は、しばらく紙を見ていた。

 そして、言った。

「捨てぬ」

「は」

「父上に、見せる」

 俺は、動きを止めた。

「城介様」

「うむ」

「上様に、でございますか」

「そうだ」

 信忠は、紙を畳んだ。

「日向守。そなたは、丹波のしくじりを上様に出したそうだな」

 俺は、顔を上げた。

「は」

「利三から聞いた」

 信忠は、続けた。

「なぜ、出した」

 俺は、答えた。

「真似る者が、同じ失敗をせぬようにでございます」

「それだけか」

 俺は、少し考えた。

 そして、正直に言った。

「もうひとつ、ございます」

「申せ」

「隠せば、いつか露見いたします」

 俺は言った。

「露見したときのほうが、はるかに悪うございます」

 信忠は、頷いた。

「そうだな」

 そして、こう言った。

「だが、わしには、もうひとつある」

 俺は、顔を上げた。

「父上は、わしが失敗せぬと思うておられる」

 信忠は、紙を握った。

「いや、違うな。――失敗するかどうかを、考えたこともないと思う」

 俺は、その言葉を聞いていた。

「父上にとって、わしは……」

 信忠は、言葉を探した。

「まだ、判じておられぬ」


    ◇


 俺は、その言葉に、心臓を掴まれた。

 (――ああ)

 この男は、父に評価されていないのではない。

 ――評価されていないことが、いちばん苦しいのだ。

 叱られるほうが、まだいい。

 叱られるということは、見られているということだ。

 だが、この男は、見られてすらいない。

 「わしに似ておらぬ」と、父は言った。

 あれは、評価ではない。

 ――観察の放棄だ。

「城介様」

「うむ」

「お出しなさいませ」

 俺は、言った。

「そして、こう書き添えてくださいませ」

 俺は、筆を取った。

「『これは、わしが決めた。わしの落ち度である』と」

 信忠は、俺を見た。

「それだけか」

「はい」

 俺は、言った。

「言い訳を書いてはなりませぬ。理由も書いてはなりませぬ」

「なぜだ」

「上様は、言い訳をお嫌いになります」

 俺は言った。

「そして――言い訳のない失敗の報告を、上様は、たぶん見たことがございませぬ」


    ◇


 七月。

 安土から、返事が来た。

 俺は、その場に立ち会った。

 信忠が、書状を開いた。

 中には、たった一行だった。

 ――で、次はどうする。

 信忠は、しばらくその一行を見ていた。

 そして、顔を上げた。

 目が、赤かった。

「日向守」

「は」

「父上は、これだけしか書いておられぬ」

「はい」

「叱られると思うておった」

 俺は、頭を下げた。

「城介様」

「うむ」

「これは、叱っておられませぬ」

 俺は、言った。

「続けよ、と仰せられております」

 信忠は、書状を握った。

 そして、しばらく動かなかった。

 やがて、掠れた声で言った。

「日向守」

「は」

「次は、どうすればよい」

 俺は、答えた。

「評定に、誰を呼ぶかを、城介様がお決めになってくださいませ」


    ◇


 その夜、俺は書付に書いた。

 ――上様は、なにゆえ、この失敗を叱られなかったか。

 答えは、たぶん一つだ。

 (――叱る場面ではなかったゆえだ)

 前の世で、俺は似た話を聞いた。ある大きな会社が、若い者に、潰れかけた部門をわざと預けた。誰がやっても損が出る場所だ。上の者は、こう言ったという。

 ――「この件で汚れていない者がよい」

 その若い者は、後にその会社の頭になった。

 (――泳ぐか、沈むか)

 あれは、罰ではない。試しだ。難しい場所に置いて、どう振る舞うかを見る。うまくいけば育つ。うまくいかなくても、その者の底が見える。

 上様は、道普請を信忠に任せた。

 (――道普請は、うまくいっても手柄にならぬ)

 城を落とせば褒められる。道を直しても、誰も褒めない。だから、成果ではなく振る舞いだけが見える。

 (――そういう仕事を、わざと選んでおられる)

 俺は、そこまで書いて、一つ思い出した。

 同じ会社の話で、こういう言葉があったはずだ。

 ――「しくじってよい。ただし、同じしくじりを二度はさせぬ」

 俺は、その一行を書き取った。そして、明日、信忠に渡すことに決めた。

 一度目の失敗は、月謝だ。二度目の失敗は、月謝を払わなかった証だ。


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