第44話 議長訓練
四月の半ば。
俺は、月に一度の家中評定に、信忠を出した。
ただし――座らせる位置を変えた。
上座ではない。
俺の隣でもない。
――議長の座だ。
「城介様。今日は、城介様が議事を進めてくださいませ」
信忠は、絶句した。
「わしが、か」
「はい」
「何を、どうすればよい」
「順に、皆に話をさせてくださいませ」
俺は言った。
「そして、決まったことを、決まったと仰せになってください」
信忠は、青くなっていた。
評定は、悲惨だった。
まず、信忠が最初の議題を読み上げた。
――丹波の道普請、次にどこを直すか。
家臣が、意見を出した。
北の道が良い、と言う者。
東が良い、と言う者。
両方少しずつ、と言う者。
三人が話したところで、信忠が固まった。
――決められないのだ。
どの意見も、それぞれ理屈がある。
どれを選んでも、選ばれなかった者が不満を持つ。
信忠は、俺を見た。
俺は、目を逸らした。
(――すまぬが、助けぬ)
沈黙が、長く続いた。
家臣たちが、居心地悪そうに動き始めた。
やがて、利三が助け舟を出した。
「城介様。北を先にするのが、よろしいかと」
信忠が、飛びつくように言った。
「そうせよ」
――決まった。
だが、これは信忠が決めたのではない。
利三が決めた。
◇
評定の後、俺は信忠と二人になった。
「城介様」
「日向守。すまぬ」
信忠は、先に謝った。
「わしは、決められなんだ」
俺は、首を振った。
「城介様。今日の評定で、いちばん悪かったのは、それがしにございます」
信忠が、顔を上げた。
「なぜだ」
「支度をせずに、座らせたゆえにございます」
俺は、頭を下げた。
「議事を進めるには、進め方がございます。それを教えずに座らせたのは、それがしの落ち度にございます」
翌日から、俺は「進め方」を教えた。
これは、前世で嫌というほどやったことだ。
会議の進行。
名前は違うが、やることは同じだ。
「城介様。議事には、四つの段がございます」
「四つ」
「はい」
俺は、紙に書いた。
一、何を決めるかを、はじめに言う。
二、皆の言い分を、順に聞く。
三、言い分を並べて、違いを言う。
四、決める。
「四つ目が、難しい」
信忠が、正直に言った。
「はい」
俺は、頷いた。
「されど、四つ目が難しいのは、三つ目をしておらぬゆえにございます」
「三つ目、とは」
「言い分を並べて、違いを言うことにございます」
俺は、続けた。
「昨日、北が良いと申す者と、東が良いと申す者がおりました」
「そうだ」
「その二人は、何が違うたのでしょうか」
信忠は、考えた。
「道が違う」
「それは、結論にございます」
俺は言った。
「なぜ違うたか、でございます」
信忠は、しばらく黙っていた。
そして、思い出すように言った。
「北を申した者は、荷のことを申しておった」
「はい」
「東を申した者は、村のことを申しておった」
「さようにございます」
俺は、書いた。
――北:荷が早く着く。
――東:村が多く、人が多く助かる。
「この二人は、道を争うておるのではございませぬ」
俺は言った。
「何を大事にするかを、争うております」
信忠の目が、動いた。
「荷か、村か」
「はい」
俺は、続けた。
「これを、はじめに言葉にせねばなりませぬ」
俺は、筆を置いた。
「『荷を先にするか、村を先にするか。それを決める』と」
信忠は、しばらくその紙を見ていた。
そして、言った。
「そう言えば、決めやすい」
「はい」
「道の名では、決められぬ」
「さようにございます」
俺は、頭を下げた。
「決められぬときは、たいてい、何を決めるかが定まっておりませぬ」
◇
五月の評定。
二度目だった。
信忠は、最初にこう言った。
「今日、決めることは、三つある」
家臣たちが、顔を上げた。
「一つ。荷を先にするか、村を先にするか」
俺は、後ろで少し笑いそうになった。
先月の議論を、そのまま議題にしている。
「二つ。役目替えの願いを、いくつ通すか」
「三つ。上様への献上の品を、何にするか」
信忠は、続けた。
「一つ目から始める。言い分を申せ」
この評定は、うまくいった。
完璧ではない。
途中、信忠は二度、詰まった。
だが、詰まったときの対処が、前回と違った。
「待て」
信忠は、手を挙げた。
「今の話、二つが混じっておる」
家臣が、動きを止めた。
「荷の話と、人足の割り振りの話だ」
信忠は、続けた。
「人足の話は、後にする。まず荷だ」
俺は、後ろで息を呑んだ。
(――これは)
これは、議事の技術だ。
しかも、教えていない技術だ。
俺が教えたのは「四つの段」だけだ。
この男は、それを応用した。
◇
評定の後、俺は信忠に聞いた。
「城介様。あの『待て』は、どこで覚えられました」
信忠は、少し考えて、言った。
「父上だ」
俺は、顔を上げた。
「父上は、話が混じると、必ず遮られる」
信忠は、続けた。
「『何の話だ』と」
俺は、思わず笑った。
あの人は、確かにやる。
「で、結論は」も同じだ。
「城介様。それは、良い真似にございます」
「真似か」
「はい」
俺は言った。
「されど、城介様は、上様と少し違うことをなさいました」
「何がだ」
「上様は、遮って、ご自身で結論を出されます」
俺は言った。
「城介様は、遮って、順を変えられました」
信忠は、動きを止めた。
「どちらが良い」
「どちらも良うございます」
俺は、正直に言った。
「速いのは、上様のやり方にございます」
「うむ」
「されど、皆が話せるのは、城介様のやり方にございます」
◇
六月。
三度目の評定で、事件が起きた。
議題は、丹波の国衆の一件だった。
ある国衆が、約束が違うと訴えてきた。
三年前、服属の際に「山の木を伐ってよい」と言われた、と言う。
だが、こちらの書付には、そう書いていない。
家中の意見は、割れた。
「書付にござらぬ以上、通す必要はござらぬ」
「されど、あの折は口約束も多うござった」
「口約束を認めれば、際限なくなり申す」
議論が、白熱した。
信忠は、聞いていた。
そして、こう言った。
「待て」
全員が、止まった。
「その書付は、誰が書いた」
家臣が、書付を調べた。
そして、青くなった。
「三年前の、それがしにございます」
信忠は、その男を見た。
「そなたは、口で何と申した」
男は、しばらく黙っていた。
そして、絞り出すように言った。
「覚えており申さぬ」
部屋が、静かになった。
俺は、後ろで身を固くした。
(――ここだ)
この男が、どう裁くか。
信忠は、しばらく考えた。
そして、言った。
「ならば、通す」
家臣たちが、ざわついた。
「城介様! それでは、他の国衆も同じことを」
「待て」
信忠は、また遮った。
「通すのは、この一件だけだ」
信忠は、続けた。
「そして、今日から、口で申したことも書け」
俺は、息を呑んだ。
「書かねば、こういうことになる」
信忠は、書付を置いた。
「わしは、そなたを咎めぬ。三年前、書けと言われておらなんだゆえ」
男が、平伏した。
「だが、今日からは言う」
信忠は、家臣たちを見回した。
「口で約したことは、書け。書かねば、明智の家が損をする」
◇
評定の後、家臣が下がってから。
俺は、信忠の前に座った。
そして、深く頭を下げた。
「日向守。どうした」
「城介様」
俺は、顔を上げられなかった。
「今日の裁き、それがしには、できませなんだ」
「なぜだ」
「それがしなら、書付を根拠に、訴えを退けておりました」
俺は、正直に言った。
「そのほうが、後の面倒がございませぬゆえ」
信忠は、しばらく黙っていた。
そして、言った。
「日向守」
「は」
「そなたは、いつも『説明せなんだのが落ち度だ』と申しておる」
俺は、顔を上げた。
「ならば、書かなんだのも、こちらの落ち度であろう」
俺は、動けなかった。
(――そうだ)
この男は、俺が言い続けてきたことを、俺より正確に適用した。
俺は、自分の原則を、自分の都合で曲げようとしていた。
「城介様」
「うむ」
「お見事にございます」
信忠は、少し照れくさそうに言った。
「そなたの受け売りだ」
「いえ」
俺は、首を振った。
「受け売りは、その場で使えませぬ」
俺は、頭を下げた。
「使えたということは、城介様のものになっておるということにございます」




