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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第四章 坂本城改革

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第43話 帝王学という名の管理職研修


 三月。

 俺は、信忠のために「講」を始めた。

 名目は、帝王学だ。

 この時代、後継者への教育は珍しくない。四書五経を読ませ、軍記を読ませ、故事を語る。

 だが、俺がやろうとしたのは、そういうものではなかった。

 初日、俺は信忠に問うた。

「城介様。織田の家には、家臣が何人おられますか」

 信忠は、答えられなかった。

「分からぬ」

「およそでは」

「万を超えよう」

「はい」

 俺は、続けた。

「その万を超える者を、城介様は直に見ることができますか」

「できぬ」

「では、どうやって動かしまするか」

 信忠は、しばらく考えた。

 そして、言った。

「命を下す」

「誰にでございましょう」

「柴田、羽柴、丹羽、そなた」

「はい」

 俺は、紙に円を描いた。

 四年前、俺が信長に見せたのと同じ図だ。

「これが、今の織田家にございます」

 信忠は、その図を見た。

 真ん中の点。放射状の線。

「父上が、真ん中か」

「はい」

 信忠は、しばらく図を見ていた。

 やがて、言った。

「わしは、どこにおる」

 俺は、筆を止めた。

 (――良い問いだ)

 この男は、いま、自分がこの図のどこにいるかを聞いた。

「どこにおられると、お思いでしょうか」

 信忠は、図を睨んだ。

 長いこと、睨んでいた。

 そして、こう言った。

「おらぬ」

 俺は、頷いた。

「さようにございます」

 信忠の顔が、強張った。

「城介様は、織田家の当主にございます。書面の上では、家督は既に城介様のもの」

「そうだ」

「されど、この図に城介様はおられませぬ」

 俺は、続けた。

「なぜかと申せば――命が、城介様を通っておらぬゆえにございます」


    ◇


 沈黙が、長かった。

 信忠は、図を見たまま動かなかった。

 やがて、低い声で言った。

「日向守」

「は」

「それは、わしが至らぬゆえか」

 俺は、答えを選んだ。

 ここは、間違えられない。

「違います」

「違うのか」

「はい」

 俺は、はっきり言った。

「城介様が至らぬからではございませぬ。誰も、そう決めておらぬからにございます」

「決める、とは」

「城介様が、何をどこまで決めてよいのかを、誰も定めておりませぬ」

 俺は、続けた。

「定めておらぬゆえ、家臣は迷いまする。迷えば、上様に伺いまする」

「ああ」

 信忠が、小さく声を漏らした。

「だから、皆、父上に聞きに行くのか」

「さようにございます」

 俺は言った。

「家臣は、城介様を軽んじておるのではございませぬ。どこまで伺ってよいか、分からぬのでございます」


    ◇


 これは、俺が二年半かけて辿り着いた結論だった。

 権限が定義されていない組織では、あらゆる判断が最上位に集まる。

 なぜか。

 判断を下した者が、後から責任を問われるからだ。

 「なぜ勝手に決めた」と言われるのが怖い。

 だから、聞く。

 聞かれた側は、答える。

 答えているうちに、全部の判断が集まってくる。

 ――誰も悪意がないまま、組織は一点に詰まる。

「城介様。これは、上様が悪いのでもございませぬ」

「父上が」

「上様は、聞かれれば答えられます。答えられるだけの頭をお持ちゆえ」

 俺は言った。

「答えられてしまうことが、この家の病にございます」


    ◇


 その日から、俺は信忠に、実務をさせた。

 まず、坂本の裁きを任せた。

 これは、俺の領のことだから、俺の裁量でできる。

 最初、信忠は一件ごとに俺に確認しに来た。

 俺は、答えなかった。

 代わりに、三つの問いを返した。

 一、決めるのに、足りぬものは何か。

 二、この決めで、誰が損をするか。

 三、この決めを、百年後の者が読んだら、なぜそう決めたと思うか。

 三つ目を出したとき、信忠は面食らった。

「百年後、とは」

「はい」

「なぜ、そのようなことを」

 俺は、答えた。

「今日の決めは、百年残るかもしれませぬ」

「そうか」

「そして百年後、なぜそう決めたかを知る者は、誰もおりませぬ」

「ゆえに、書きまする」

 信忠は、しばらく黙っていた。

 そして、言った。

「父上のお言葉も、そうか」

 俺は、顔を上げた。

「百年後、なぜそう仰せられたかを、誰も知らぬ」

 信忠は、自分の冊子を見ていた。

 九年分の記録。

「わしの書いたものには、お言葉しか書いておらぬ」

 信忠は、言った。

「なぜそう仰せられたかは、書いておらぬ」


    ◇


 その日から、信忠の冊子が変わった。

 俺が言ったことの下に、必ず一行、書き足すようになった。

 ――なぜそう申したか(わしの推し量り)。

 俺は、それを見て感心した。

 しかも、「推し量り」と断ってある。

 自分の解釈と、相手の言葉を、分けて書いている。

「城介様。これは、どなたに教わりましたか」

 信忠は、少し得意げに言った。

「誰にも」

 俺は、頭を下げた。

 四月。

 俺は、講の内容を変えた。

 これまでは、俺が問いを出していた。

 今度は、信忠に問いを出させることにした。

「城介様。今日から、それがしに問うてください」

「わしが、か」

「はい」

「何を問えばよい」

 俺は、答えた。

「それを考えるのが、今日の講にございます」

 信忠は、面食らった顔をした。

 そして、半刻ほど黙っていた。

 やがて、言った。

「日向守」

「は」

「そなたは、なぜこれをする」

 俺は、動きを止めた。

 (――そこか)

 この男は、最初の問いに、それを選んだ。

「と、申されますと」

「そなたは、明智の当主だ」

 信忠は、真っ直ぐこちらを見ていた。

「明智の家を大きくするのが、そなたの務めであろう」

「さようにございます」

「ならば、なぜわしを教える」

 俺は、しばらく黙っていた。

 答えは、いくつか用意していた。

 上様の仰せである、というのが、いちばん無難だ。

 だが。

 俺は、この男の目を見た。

 (――この男は、無難な答えを見抜く)

 九年間、父の言葉を書き取ってきた男だ。

 人の言葉の裏を読むことに、慣れている。

「城介様」

「うむ」

「正直に申し上げてよろしゅうございますか」

「申せ」

 俺は、言った。

「織田家が、割れるのが怖いのでございます」

 信忠の目が、動いた。

「上様は、四十六になられます」

「もし明日、上様が落馬なされたら、この家はどうなりまするか」

 部屋が、静かになった。

「家督は、わしにある」

「はい。書面の上では」

 俺は言った。

「されど、柴田様も、羽柴様も、丹羽様も、命を受けておるのは上様からにございます」

「……」

「その方々が、城介様の命を受けるかどうかは――」

 俺は、言葉を選んだ。

「まだ、試されておりませぬ」


    ◇


 信忠は、長いこと黙っていた。

 やがて、こう言った。

「日向守」

「は」

「そなたは、わしが命を下せぬと思うておるか」

「いえ」

 俺は、首を振った。

「城介様は、下せまする」

「ならば」

「受ける側が、慣れておりませぬ」

 俺は言った。

「これは、城介様の話ではございませぬ。家臣の話にございます」

 俺は、続けた。

「家臣は、二十年、上様の命だけを受けてまいりました。城介様の命を受けたことが、ほとんどございませぬ」

 俺は、頭を下げた。

「ゆえに、慣れさせねばなりませぬ」

 信忠は、しばらく黙っていた。

 そして、言った。

「どうやって」

 俺は、顔を上げた。

「小さいことから、始めまする」


    ◇


 その夜。

 俺は、書院で紙を広げた。

 題を書いた。

 ――城介様に、決めていただくこと(案)。

 一、坂本の村の裁き。

 二、明智家の役目替え。

 三、丹波の道普請の順。

 どれも、小さい。

 どれも、俺の裁量でできることだ。

 だが、あえて信忠に決めさせる。

 (――そして、家臣に見せる)

 これが肝だ。

 信忠が決めたことが実行される場面を、家臣に見せる。

 一度見れば、家臣は「この方の命は通る」と学ぶ。

 十度見れば、慣れる。

 百度見れば、当たり前になる。

 俺は、筆を止めた。

 (――だが)

 三月しかない。

 信忠が坂本にいるのは、三月だけだ。

 百度は、無理だ。

 俺は、しばらく考えた。

 そして、書いた。

 ――家臣に、記録を残させる。

 ――「城介様が、こう決められた」という記録を。

 俺は、筆を進めた。

 (――そうか)

 実際に見た者は、限られる。

 だが、記録が回れば、見ていない者にも伝わる。

 ――信忠が決めた、という事実が。

 俺は、その一行を書いた。

 ――権限は、行使した回数ではなく、知られた回数で育つ。


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