表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第四章 坂本城改革

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
41/52

第41話 信忠、坂本より来る


 ――坂本は回るようになった。役目書は二百三項目。

 ――そして、書類の上だけの当主が、坂本へ来る。

 ――十九。父の顔色を見て、何も決めない若者だ。


 天正八年、二月。

 織田信忠は、行列を組んで来た。

 供は、三百を超えていた。

 俺は、門の外でそれを迎えながら、内心で唸っていた。

 (――多い)

 父親は三十人で来た。

 息子は三百人で来る。

 これは、ただの好みの違いではない。


    ◇


 信忠は、二十三歳になっていた。

 背は高い。姿勢が良い。所作は、驚くほど整っている。

 俺の前に立って、まず名乗った。

「――織田城介(じょうのすけ)信忠である」

 声も、良い。

 だが。

 視界の隅で、あの板が浮かんだ。

 織田信忠 二十三歳 織田家当主

 統率55 │ 戦術65 │ 政務実務60

 学習適応88 │ 制度理解30

 ◆特記事項

  記録     95

  独自判断   22

  父からの自立 15

 俺は、その三行を見て、しばらく動けなかった。

 独自判断、二十二。

 父からの自立、十五。

 (――名ばかり当主だ)

 これは、俺が四年前に予想していた通りだった。

 だが、実際に数字で見ると、重い。


    ◇


 最初の三日、信忠は何もしなかった。

 いや、正確には――見ていた。

 俺が家臣と話すのを、後ろで見ている。

 書付を検分するのを、横で見ている。

 そして、絶えず何かを書いている。

 三日目の夜、俺は聞いた。

「――城介様。何を書いておられます」

 信忠は、矢立を止めた。

「――日向守の申したことだ」

「それがしの、でございますか」

「うむ」

 信忠は、懐から冊子を出した。

 俺は、それを見せてもらった。

 そして、絶句した。

 ――全部、書いてある。

 俺が家臣に言った言葉が、一言一句、日付と刻付きで書き取られていた。

「――城介様」

「なんだ」

「――これを、いつも」

「父上のお言葉も、こうしている」

 信忠は、当然のように言った。

「十四の頃からだ」

 俺は、その冊子を返した。

 (――九年分)

 この男は、九年間、父の言葉を全部書き取っている。

 だが、返しながら、俺は妙な引っかかりを覚えていた。

 (――何かが、足りぬ)

 その夜、思い出して、もう一度見せてもらった。

 二度目は、中身ではなく、形を見た。

 ――全部、同じ大きさの字で書いてある。

 それだけのことだ。だが、それが引っかかりの正体だった。

 父が三月かけて考えた命も、その日の思いつきも、同じ大きさで、同じ丁寧さで並んでいる。どれが重いのかが、書いた本人にも分からなくなっている。

 (――写しているだけだ)

 俺は、前世の新人研修を思い出した。会議の議事録を、一言一句書き起こしてくる若手がいた。二十ページになる。読む者はいない。俺は「要点だけでいい」と言った。若手は「どれが要点か分かりません」と答えた。

 あれは、正しい返事だった。

 要点が分かるのは、その会議の目的を知っている者だけだ。目的を教えずに要点だけ書けと言うのは、無理を言っている。

 (――中将様も、同じか)

 この人は、父の言葉のどれが重いかを、教わっていない。

 だから、全部を同じ重さで持っている。


    ◇


 その夜、俺は書院で考えていた。

 利三が、茶を持ってきた。

「殿。城介様は、いかがでござる」

「――真面目だ」

「良きことでござろう」

「――そうだな」

 俺は、少し黙った。

 そして、言った。

「利三。おぬし、俺の言うことを全部書き取るか」

「――書き申さぬ」

「なぜだ」

 利三は、当然のように答えた。

「――全部は要らぬゆえ」

 俺は、顔を上げた。

「要るところと、要らぬところがござる」

 利三は、続けた。

「それを分けるのが、それがしの役目にて」

 俺は、しばらくこの男を見ていた。

 (――そうだ)

 これだ。

 信忠に足りないのは、これだ。


    ◇


 四日目、俺は信忠に、ある実験をした。

 朝、書院に呼んだ。

 そして、書付を三枚渡した。

「城介様。これを読んでいただきたい」

「うむ」

 信忠は、丁寧に読んだ。

 三枚とも、村からの訴えだった。

 田の境。水の使い方。山の木の伐採。

 どれも、坂本周辺でよくある争いだ。

 読み終えた信忠は、顔を上げた。

「――読んだ」

「いかがでございましょう」

「――何が、だ」

 俺は、少し驚いた。

「どう裁くべきかを、伺いたく」

 信忠の顔に、初めて戸惑いが浮かんだ。

「――わしが、決めるのか」

「はい」

「――日向守の領のことであろう」

「さようにございます」

 俺は言った。

「されど、もし城介様がこの領の主なら、いかがなさいますか」

 信忠は、書付を見た。

 長いこと、見ていた。

 やがて、言った。

「――日向守は、どうする」

 俺は、答えなかった。

「――日向守」

「――は」

「わしは、そなたの考えを聞いておる」

「――それがしは、城介様のお考えを伺っております」

 沈黙が落ちた。

 信忠の顔が、少し赤くなった。


    ◇


 半刻、二人とも黙っていた。

 俺は、待った。

 これは、意地悪をしているのではない。

 この男は、二十三年間、一度も「自分で決めろ」と言われたことがないのだ。

 ――いや。

 言われたことは、あるかもしれない。

 だが、決めた後に必ず、父親が上書きしてきた。

 だから学習した。

 自分で決めるより、父の考えを推測するほうが安全だと。

 やがて、信忠が言った。

「――日向守」

「は」

「――わしは、これを裁いたことがない」

「はい」

「――どう決めればよいか、分からぬ」

 俺は、その言葉を待っていた。

「――ありがとうございます」

 俺が言うと、信忠は驚いた顔をした。

「――なぜ、礼を申す」

「分からぬと仰せになるのは、難しゅうございます」

 俺は言った。

「多くの者は、分からぬまま、分かった顔をいたします」


    ◇


 俺は、そこから始めた。

「城介様。この三つの訴え、決めるために足りぬものがございます」

「――足りぬもの」

「はい。何が足りぬか、お分かりになりますか」

 信忠は、書付をもう一度読んだ。

 そして、少し考えて、言った。

「――訴えた者の言い分しか、書いておらぬ」

 俺は、思わず膝を打ちそうになった。

「――仰せの通りにございます」

「相手の言い分は」

「聞いておりませぬ」

「――なぜだ」

「まだ聞いておらぬからにございます」

 俺は、書付を指した。

「これは、訴えが来た段階のものにございます」

 信忠は、頷いた。

「――ならば、聞かねばならぬ」

「はい」

「――聞いてから、決める」

「さようにございます」

 俺は、頭を下げた。

「――城介様は、いま、お決めになりました」

 信忠が、顔を上げた。

「――何をだ」

「『聞いてから決める』とお決めになりました」

 俺は言った。

「それが、最初の裁きにございます」


    ◇


 信忠は、しばらく動かなかった。

 そして、矢立を出した。

 書こうとして――止まった。

「――日向守」

「は」

「――わしは今、これを書こうとした」

「はい」

「――書けば、覚える」

 信忠は、矢立を握ったまま言った。

「だが、そなたは今、わしに考えさせた」

 俺は、この男を見た。

「――書けば、考えぬようになるか」

 俺は、しばらく答えを選んだ。

 そして、言った。

「――半分は、そうかと存じます」

「半分か」

「はい」

 俺は、続けた。

「書くのは、良いことにございます。書かねば忘れまする」

「うむ」

「されど――」

 俺は、信忠の冊子を見た。

「書いた瞬間に安心してしまえば、そこで止まりまする」

 信忠は、冊子を見た。

 九年分の、父の言葉。

「――城介様。ひとつ、伺ってもよろしゅうございますか」

「申せ」

「――その冊子を、読み返されたことは」

 信忠は、動きを止めた。

 長い沈黙があった。

 やがて、小さな声で言った。

「――ない」


    ◇


 その夜、俺は紙に書いた。

 ――記録は、二つに分かれる。

 ――残すための記録と、使うための記録。

 書きながら、俺は自分のことも考えていた。

 俺も、書き続けてきた。

 棚卸し。役目書。しくじりの覚。

 ――全部、読み返しているか。

 (――読み返している)

 俺は、そう答えた。

 だが、正直に言えば、書いた量に比べれば、読み返す量は少ない。

 書くことに、満足していないか。

 俺は、筆を止めた。

 (――信忠様のことを、言えた義理か)

 三度目だ。

 この癖は、たぶん一生続く。


    ◇


 もう一つ、聞いておきたいことがあった。

「城介様。一つ、伺ってよろしゅうございますか。――前の当主が始められて、途中で止まったものは、この家にございますか」

 信忠は、少し考えた。

「ある」

「――伺いとうございます」

「祖父の代に、家中の者を一つずつ見て回るという決まりがあったと聞く。年に一度、当主が全部の者と話す。父上は、やめられた」

「なにゆえ、でございましょうか」

「――時が足りぬゆえだ。尾張一国なら、できた。今は、できぬ」

 俺は、書き取った。

 (――違う)

 時が足りないのは事実だ。だが、それは理由の半分にすぎない。

 前の世で、俺は同じ話を何度も見た。前の社長が始めた三年がかりの取り組みが、社長が代わった途端に止まる。新しい社長は、業績が悪いことと、自分がそれを始めた者ではないことを理由に挙げる。どちらも正しい。正しくて、そして止まる。

 止まった取り組みの中身が悪かったのではない。始めた者が消えたから、止まった。それだけだ。

「城介様。それは、惜しゅうございます」

「なぜだ」

「――やめた理由が、『時がない』であれば、時ができれば戻せまする。ですが、たいてい戻りませぬ」

「なぜだ」

「戻す者が、おらぬゆえにございます。始めた者はおらぬ。今の当主は、始めた者ではない。ゆえに、誰も戻さぬ」

 信忠は、しばらく黙っていた。

「日向守。ならば、どうする」

「――始めた者の名を、書き残しておくことにございます」

 俺は、続けた。

「そして、やめるときも、なにゆえやめたかを書き残すことにございます。そうすれば、十年後の誰かが、読んで判じられまする」

 信忠は、その場で紙を取った。

 そして、初めて、俺に何も聞かずに書いた。

 ――祖父の代の、家中巡りの儀。父上の代にて止む。理由、時が足りざるゆえ。

 書き終えて、この人は言った。

「――これが、使うための記録か」

 俺は、深く頭を下げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ