表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第四章 坂本城改革

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/46

第38話 玉と侍女たち


 天正七年、九月。

 俺は、玉に呼ばれた。

 娘に呼ばれるというのは、この時代の父としては、あまりない事態だ。

 書院に来た玉は、書付を三枚持っていた。

「父上。お願いがございます」

「言え」

「――奥にも、役目書を作りとうございます」

 俺は、筆を止めた。


    ◇


 玉の説明は、簡潔だった。

 城の奥――女たちの領分には、役目書がない。

 俺が作った役目書は、表の仕事だけを扱っている。侍、足軽、蔵役、馬役、荷役。

 奥のことは、母上が采配なさっている、で終わっている。

「父上。奥には、女が二十八人おります」

「――そんなにいるのか」

 俺は、思わず言った。

 玉が、少し呆れた顔をした。

「――ご存じなかったのですね」

 俺は、返す言葉がなかった。

「二十八人が、何をしているか。父上はご存じですか」

「――炊事と、洗濯と」

「他には」

「……」

 玉は、書付を広げた。

「――衣の繕い。糸紡ぎ。染め。薬草の管理。客の応対の支度。祝いと弔いの品。城の内の掃除と、その割り振り」

 俺は、書き取った。

「それから――」

 玉は、少し声を落とした。

「――城の外の女たちとの、繋がり」

 俺は、顔を上げた。

「――どういう意味だ」

「近くの村の女、町の女、寺の尼。奥の者は、皆と行き来しております」

 玉は、続けた。

「祝いの品を届け、弔いに行き、井戸端で話をします」

 俺は、しばらく黙った。

 (――情報網だ)

 俺は、安土の台所方のことを思い出していた。

 城の情報のハブは、組織図に載らない場所にある。

 そして、俺は同じことを、自分の城で見落としていた。

「玉」

「はい」

「――奥の者が知っていて、表の者が知らぬことは、あるか」

 玉は、即答した。

「たくさんございます」


    ◇


 俺は、その場で玉に、いくつか例を挙げさせた。

 ――坂本の町で、米の値が先月から上がっている。

 俺は、驚いた。

「なぜ知っている」

「――女たちが、買い物に行きますゆえ」

 俺は、蔵役の書付を思い出した。

 米の値の記録は、月に一度。だが、それは大口の取引の値だ。

 町の小売りの値は、書いていない。

 ――近くの村で、若い者が三人、姿を消した。

「――逃げたのか」

「分かりませぬ。けれど、母親が泣いていたと」

 これも、表には上がっていない情報だ。

 ――西の寺の僧が、最近、旅の者を泊めている。

 俺は、この情報で背筋が冷えた。

「――誰を泊めている」

「存じませぬ。ただ、見慣れぬ者が出入りしていると」


    ◇


 俺は、書付を置いた。

「玉」

「はい」

「――これを、誰から聞いた」

「侍女たちからです」

「侍女たちは、なぜおぬしに話す」

 玉は、少し考えた。

「――わたくしが、聞くからでございます」

 俺は、頷いた。

「他の者は、聞かぬか」

「聞きませぬ」

 玉は、はっきり言った。

「奥のことは、奥で済ませるもの。表の者は、興味を持ちませぬ」


    ◇


 俺は、その日のうちに決めた。

 ――奥にも、役目書を作る。

 だが、これは表のものとは、まったく違う設計にした。

 まず、玉に草案を書かせた。

 俺は口を出さなかった。

「父上。お指図はございませぬか」

「ない」

「――なぜでございます」

「俺は、奥のことを知らぬ」

 俺は言った。

「知らぬ者が作った決まりは、使えぬ」

 玉は、しばらく俺を見ていた。

 そして、少し笑った。

「――父上は、変わられました」

 この一家は、全員が同じことを言う。


    ◇


 十日後、玉が草案を持ってきた。

 俺は、それを読んで、唸った。

 構成が、俺の作ったものと違う。

 俺の役目書は、「誰が何をするか」を軸にしている。

 玉のものは、「何がいつ必要になるか」を軸にしていた。

 ――正月の支度。十一月から始める。誰と誰が関わる。

 ――客が来るときの支度。三日前から。誰が知らせを受け、誰が動く。

 ――病人が出たとき。誰が看る。誰が知らせる。

 俺は、しばらく考えて、その違いの意味を理解した。

 (――奥の仕事は、行事で動くのか)

 表の仕事は、日常が続いている。だから「誰が何を」で整理できる。

 奥の仕事は、出来事に合わせて全員が動く。だから「何のときに、誰が」で整理するほうが正しい。

「玉」

「はい」

「――これは、良い」

「まことですか」

「うむ。俺の作ったものより、良いところがある」

 俺は、書付を指した。

「表の役目書も、これを真似る。行事のときの動きを、別に書く」

 玉は、目を丸くした。

 そして、少し赤くなった。


    ◇


 十月。

 奥の役目書ができた。

 だが、問題が起きた。

 侍女たちが、書けなかったのだ。

 字が書けない者が、二十八人のうち十九人いた。

「玉。これは、どうする」

「――わたくしが、聞いて書きます」

「二十八人分をか」

「はい」

 俺は、少し考えた。

 そして、言った。

「――玉。それは、続かぬ」

 玉が、顔を上げた。

「おぬしが嫁げば、誰が書く」

 部屋の空気が、変わった。

 俺は、その言葉を言ってから、少し後悔した。

 だが、事実だ。

 玉は、しばらく黙っていた。

 そして、静かに言った。

「――父上。では、教えます」

「――誰にだ」

「侍女たちに、字を」

 俺は、目を瞬いた。


    ◇


 これは、思った以上の騒ぎになった。

 まず、家中の古参が反対した。

「女子に字を教えるなど」

「奥が、口を出すようになり申す」

 俺は、この反対を予想していた。

 そして――正面から論破するのは、下策だと知っていた。

 俺は、代わりにこう言った。

「――では、聞く」

 俺は、反対した古参に問うた。

「城が焼けたとき、蔵の中身を知っている者は誰だ」

「――蔵役にござる」

「蔵役が死んだら」

「……書付がござる」

「その書付は、どこにある」

「――蔵にござる」

 俺は、黙って相手を見た。

 古参が、青くなった。

「――焼け申す」

「そうだ」

 俺は言った。

「書付は、火に弱い。人も、火に弱い」

 俺は、続けた。

「だが、知っている者が多ければ、全部は消えぬ」


    ◇


 字を教える取り組みは、十一月に始まった。

 教えるのは、玉と、字の書ける侍女が数人。

 最初、侍女たちは怯えていた。

 当然だ。字を習うというのは、この時代の下働きの女にとって、まったく想定外のことだ。

 だが、三月経つと、変化が出た。

 ――書けるようになった者が、書き始めたのだ。

 最初は、名前だけ。

 次に、日付。

 そして、簡単な言葉。

 俺は、その記録を見せてもらった。

 ――「きょう、みそをしこむ」

 ――「いどのみずが、すこしにごる」

 ――「おかねさん、せきがでる」

 俺は、三つ目で手を止めた。

「玉。これは、いつ書かれた」

「――三日前でございます」

 俺は、立ち上がった。

「――薬師を呼べ」


    ◇


 結果として、それは労咳ではなかった。

 ただの風邪だった。

 だが、俺は薬師を呼び、決まり通り部屋を分け、看る者を四人に定めた。

 三日で、治った。

「――大げさでござったな」

 利三が、そう言った。

 俺は、笑った。

「そうだな」

「殿。あの決まりは、労咳のためのものにござろう」

「そうだ」

「風邪で使うては、家中の者が疲れ申す」

 ――これは、正しい指摘だった。

 制度の運用コストの問題だ。

 あらゆる病に厳格な対応をすれば、人手が足りなくなる。

 俺は、少し考えた。

「利三。決まりを分ける」

「――分ける、と」

「重い病と、軽い病でだ」

 俺は、筆を取った。

「軽い病は、部屋を分けるだけでよい。看る者を定めるのは、三日続いたときだ」

 俺は、書きながら言った。

「――決まりは、強さを分けねばならぬ」


    ◇


 その夜。

 玉が、書院に来た。

 手に、あの白紙を持っていた。

 二年前、俺が渡したものだ。

「父上」

「なんだ」

「――この紙のことでございます」

 玉は、白紙を机に置いた。

 まだ、何も書かれていなかった。

「婚姻の覚書は、五箇条ができました」

「うむ」

「けれど、この紙には、まだ何も書かれておりません」

 玉は、俺を見た。

「――父上は、この紙に何をお書きになるおつもりでしたか」

 俺は、しばらく考えた。

 二年前、俺が何を考えていたか。

 (――守る、と言った)

 中身を見せる決まりを作る、と。

「――玉」

「はい」

「この紙は、俺が書くものではないかもしれぬ」

 玉が、目を瞬いた。

「――と、申されますと」

 俺は、白紙を見た。

「奥の役目書は、おぬしが作った」

「はい」

「侍女に字を教えたのも、おぬしだ」

 俺は、続けた。

「――俺が書くより、おぬしが書いたほうが、良いものになる」

 玉は、白紙を見た。

 長いこと、見ていた。

 そして、こう言った。

「父上」

「なんだ」

「――ずるうございます」

 俺は、思わず笑った。

「そうか」

「はい。約束をなさったのは、父上です」

 玉は、白紙を取り上げた。

「――ですから、こういたします」

 玉は、紙を半分に折った。

 そして、丁寧に裂いた。

「玉」

「半分は、父上がお書きください」

 玉は、半分を俺に差し出した。

「残りの半分は、わたくしが書きます」

 俺は、その半分を受け取った。

「いつ書く」

 玉は、少し考えた。

 そして、言った。

「――嫁ぐ日までに」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ