第34話 報告は早いほど武功
三十二人との面談は、二十日かかった。
最初の三日で、俺は自分の甘さを知った。
誰も、本音を言わなかったのだ。
「――不足はござらぬ」
「――殿のお指図のままに」
「――恐れながら、それがしごときが申すことは」
全員が、同じことを言った。
当然だ。
主君と一対一で座らされて、「困っていることを言え」と言われて、正直に言える者はいない。
言えば、無能だと思われるかもしれない。
言えば、咎められるかもしれない。
(――設計が悪い)
俺は、四日目の夜、頭を抱えた。
◇
五日目、俺は場所を変えた。
書院ではなく、庭にした。
そして、こちらから喋るのをやめた。
代わりに、こう言った。
「――去年、いちばん腹が立ったことを言え」
これは、効いた。
「困っていること」は言いにくいが、「腹が立ったこと」は言いやすい。
愚痴だからだ。
しかも、腹が立ったことの中には、必ず仕事の問題が隠れている。
「――蔵の書付を、三度書かされ申した」
「なぜ三度だ」
「様式が変わったゆえにて」
これは、俺の落ち度だった。役目書を作る過程で、書式を二度変えている。
「――それは、すまなかった」
「い、いえ! 殿を責めておるのでは」
「責めろ」
俺は言った。
「様式を変えるときは、いつから変えるかを先に言う。今後はそうする」
男は、目を丸くした。
◇
十日目、俺は妙なことに気づいた。
同じ話が、繰り返し出てくる。
――報告を上げても、返事が来ない。
これが、七人目だった。
「返事が来ぬ、というのは」
「――書付をお出しして、その後、なんとも」
「読んでいないと思うか」
「――いえ、そうは」
男は、慌てて否定した。
だが、目が泳いでいた。
俺は、少し考えた。
「――読んでいる。だが、返していない」
俺は、正直に言った。
「それは、読んでいないのと同じだな」
男は、何も言わなかった。
◇
その夜、俺は自分の書付の山を見た。
三月分の報告書が、積んである。
全部、読んでいる。
だが、返事を書いたものは――数えてみた。
三割もなかった。
(――なぜだ)
答えは、すぐに出た。
返事を書く必要がないと思ったからだ。
問題がない報告に、返事は要らない。そう思っていた。
だが、出した側から見れば、違う。
――届いたのかどうかすら、分からない。
俺は、前世を思い出した。
俺が三十七ページの資料を出したとき、上司は何も言わなかった。
あのとき、俺が何を思ったか。
(――読まれていない、と思った)
実際には、読まれていたかもしれない。
だが、返事がなければ、読まれていないのと同じだ。
◇
(――蜀では、逆をやった)
あのとき俺は、叱ってくれた者の名を書く簿を作った。三歳のときだ。一行目は、八年、空白のままだった。
埋まってから、三十四年で四百六十二行になった。
いちばん多く書かれたのは、董允という男である。二十三年、あの人は俺を叱り続けた。
(――叱る側が減るのは、叱られる側が偉くなるからだ)
偉くなった者に、人は言わなくなる。
言わなくなった者は、返事も書かなくなる。順番が、そうなっている。
◇
翌日、俺は新しい決まりを出した。
――報告には、必ず返事を書く。
利三が、げんなりした。
「殿。三月に何十通と来まするぞ」
「知っている」
「――全部に、でござるか」
「全部にだ」
俺は言った。
「だが、返事は短くていい」
俺は、紙に例を書いた。
――「見た」
――「良い」
――「後で聞く」
利三が、覗き込んで、目を丸くした。
「殿。これは……あまりに素っ気のうござる」
「素っ気ないか」
「はい」
「――だが、何もないよりは良い」
俺は言った。
「『見た』の二文字があれば、出した者は、届いたと分かる」
◇
この決まりは、一月で効果を出した。
報告が、増えたのだ。
しかも、質が変わった。
これまで上がってくる報告は、「問題が起きた後」のものばかりだった。
だが、返事を書くようになってから、「問題が起きそうだ」という報告が増えた。
俺は、その変化を見て、唸った。
(――当たり前だ)
問題が起きた後の報告は、書かねば済まない。
だが、「起きそうだ」という報告は、書かなくても誰も困らない。
しかも、外れる可能性がある。外れたら、恥をかく。
だから、誰も書かない。
――返事が来ないなら、なおさらだ。
◇
二月。
俺は、もうひとつの決まりを作った。
これは、家中の全員を集めて言った。
「――報告は、早いほど手柄とする」
全員が、面食らった顔をした。
「殿。手柄、と申されますと」
「そのままの意味だ」
俺は言った。
「悪い知らせを、早く持ってきた者を、褒める」
ざわり、と空気が動いた。
「――たとえ、それがその者の落ち度であっても、だ」
広間が、静まり返った。
利三が、恐る恐る言った。
「殿。それは……過ちを犯した者を、褒めるということでござるか」
「違う」
俺は言った。
「過ちを、早く言った者を褒める」
俺は、続けた。
「過ち自体は、咎める。だが、隠さずに言ったことは、別に褒める」
誰も、納得していない顔だった。
俺は、説明を変えた。
「たとえば、こうだ」
俺は、指を立てた。
「兵糧の勘定を間違えた者が、二人いるとする」
「――は」
「一人は、すぐに申し出た。もう一人は、隠した」
俺は言った。
「隠したほうは、三月後に発覚した。そのとき、丹波の陣で兵糧が足りなくなっていた」
利三が、うむ、と唸った。
「どちらの罪が重い」
答えは、明らかだった。
「――間違いは、同じにござる」
利三が言った。
「されど、損は、まるで違い申す」
「そうだ」
俺は、頷いた。
「間違いは、誰でもする。俺もする」
俺は、広間を見回した。
「だが、隠せば、間違いは大きくなる。時が経つほど大きくなる」
◇
この決まりは、最初、誰も信じなかった。
当然だ。
「失敗を報告しても叱られない」と言われて、素直に信じる部下はいない。
実際に、そういう場面が起きるまでは。
◇
三月。
その場面が来た。
若い家臣が、真っ青な顔で俺のところへ来た。
三沢だった。
荷の管理を任せた、あの男だ。
「殿ッ」
「どうした」
「――丹波への荷を、間違え申した」
俺は、書付から顔を上げた。
「どう間違えた」
「――米の俵数を、五十、多く書き申した」
三沢は、額を畳につけた。
「陣では、五十俵多く来ると思うており申す。実際には、来ませぬ」
俺は、しばらく黙った。
広間には、他にも何人かいた。
全員が、息を詰めていた。
――これは、試験だ。
俺が作った決まりが、本物かどうかの。
「三沢」
「――は」
「いつ気づいた」
「――今朝にございます」
「気づいて、どうした」
「――すぐに、参りました」
俺は、頷いた。
「他に、誰かに言ったか」
「――いえ。まず、殿にと」
「――良い」
俺は言った。
「よくやった」
三沢が、顔を上げた。
わけが分からない、という顔だった。
「殿。それがしは、間違えたので」
「間違えた」
俺は言った。
「それは咎める。後で沙汰する」
「――は」
「だが、今朝気づいて今朝言いに来たのは、手柄だ」
俺は、続けた。
「今なら、まだ間に合う。丹波に早馬を出せば、陣は勘定を直せる」
俺は、利三を見た。
「利三。早馬を」
「――はっ」
◇
その日の夕方、俺は三沢を呼んだ。
沙汰を言い渡すためだ。
「三沢。おぬしの過ちは、書付の写し間違いだ」
「――は」
「罰として、来月の書付を、二度確かめてから出せ」
三沢が、顔を上げた。
「――それだけ、でございますか」
「それだけだ」
俺は言った。
「それと、もうひとつ」
「――は」
「なぜ間違えたかを、書け」
「……なぜ、でございますか」
「そうだ」
俺は言った。
「おぬしが不注意だった、では駄目だ。それでは、次も同じことが起きる」
三沢は、しばらく考えた。
そして、言った。
「――夜に、書き申した」
「うむ」
「灯りが暗うござった。それと――疲れており申した」
俺は、筆を止めた。
(――出た)
「三沢。おぬし、その日、何をしていた」
「――丹波から戻って、そのまま」
俺は、書付を置いた。
「利三」
「は」
「新しい決まりだ」
俺は言った。
「――数を扱う書付は、夜に書かせるな」




