第29話 丹波PMI報告書
書状は、短かった。
――丹波の御仕置き、承っており申す。
――ぜひ、お教えを賜りたく。
――近く、播磨より使いを遣わしまする。
――羽柴筑前守秀吉
俺は、その四行を三度読んだ。
利三が、覗き込んだ。
「――羽柴様が、なにゆえ」
「教えを乞うと書いてある」
「殿の御仕置きを、でござるか」
俺は、書状を置いた。
背筋に、冷たいものが走っていた。
(――早い)
俺が丹波でやっていることが、播磨まで届いている。しかも、内容まで。
安土から漏れているのか。それとも、独自に調べているのか。
どちらでも、恐ろしい。
「利三。羽柴筑前守という人を、おぬしはどう見る」
利三は、渋い顔をした。
「――苦手にござる」
「なぜだ」
「なんと申しますか……あの方は、初めて会うた者にも、十年来の友のように話しかけられまする」
「人たらし、というやつか」
「それが、嫌味がないゆえ、余計に」
利三は、腕を組んだ。
「気づけば、こちらの話をぜんぶ喋らされており申す」
俺は、笑った。
笑いながら、警戒を上げた。
◇
使いは、四月に来た。
だが、使いではなかった。
本人が来た。
「日向守様ァ!」
坂本城の門前で、その声が聞こえたとき、俺は書院にいた。
利三が、廊下を走ってきた。
「殿ッ! 羽柴様が、じ、直々に」
俺は、筆を落とした。
◇
羽柴秀吉は、想像より小さかった。
小柄で、痩せている。顔は、確かに猿に似ていなくもない。
(――この人は、天下を取る)
(――そして、こういう男を、俺は一度扱ったことがある)
龐統という。三月かかる仕事を半日で終わらせ、終わらせた後は退屈して何もしなくなる男だった。
あの男の扱いで、俺は四年を費やした。答えは一つしかなかった。
――退屈させぬこと。
速い者は、褒美では動かぬ。次の面白いものがなければ、止まるか、壊れるかのどちらかだ。
俺が知っている中で、その一点だけは絶対に動かない事実だ。針売りから、足軽から、関白まで。日本史上、これ以上の出世をした人間はいない。ゲームでも大河でも、この男は主役級の扱いだった。
ゲームでの数字は、政治九十台、知略九十台。得意技は、水攻めと、調略と、大返し。大河では、前半は明るくてお調子者で、誰にでも好かれる。そして後半、天下を取ってから、急に怖くなる。
(――どこで、変わるんだ)
あれを見るたび、俺はそう思っていた。脚本の都合だろう、と。人格が途中で入れ替わる。
だが、目が違った。
視界の隅で、あの板が浮かんだ。
羽柴秀吉 四十二歳
統率92 │ 戦術90 │ 交渉外交98
学習適応 99 │ 制度理解 88
◆特記事項
成果創出 98
模倣速度 97
忠誠 ―――
俺は、その最後の行を見て、指先が冷たくなった。
――表示されない。
(――そうか)
ゲームには、忠誠という数字があった。低くなると裏切る。俺は、その数字を見ながら、褒美をやり、加増をし、離反を防いでいた。数字が見えるから、管理できた。
この板には、それがない。
これまで、表示されなかった数字はなかった。お市のときは板そのものが出なかったが、こうして項目だけが空白になるのは初めてだ。
「日向守様! お会いしとうござった!」
秀吉は、座るなり膝を叩いた。
「丹波の話、聞いており申す。いや、驚き申した。あれは、なんと申しますか――」
秀吉は、少し首をひねった。
「――戦をしておられぬ」
俺は、動きを止めた。
この男、一言で言い当てた。
「戦をしておらぬのに、丹波が固まっていく。これは、なんでござる」
俺は、答えを選んだ。
「――服属と、統合を分けております」
「ほう」
「降らせるのと、馴染ませるのは、別のことにございます」
「――ほう、ほう」
秀吉が、身を乗り出した。
目が、光っていた。
「日向守様。それは、播磨でも使えますかな」
「使えましょう」
「――教えていただけますか」
俺は、少し迷った。
この男に教えることは、危険だ。
この男は、俺の作った仕組みを、俺より上手く使う。
だが。
(――上様が、「他の国でも使えるように書け」と仰せになった)
俺は、腹を決めた。
「――お教えいたします」
◇
三日かけて、俺は説明した。
五つの物差し。担当割り。書付の様式。道普請。乱取り禁止と銭。
秀吉は、驚くほど熱心に聞いた。
そして、質問が異様に的確だった。
「日向守様。この五つの物差しの、四つ目にござるが」
「――争いを持ち込んでくるか、でございますな」
「これは、良うござるな」
秀吉は、指で膝を叩いた。
「揉め事を持ってくるということは、こちらを『上』と認めたということにござろう」
俺は、頷いた。
「――仰せの通りにございます」
「では、逆に」
秀吉は、少し目を細めた。
「わざと揉め事を作って、持ってこさせれば、早う馴染みますな」
俺は、息を呑んだ。
(――そうきたか)
この男は、今、俺の作った物差しを、三日で「操作可能な指標」に変えた。
俺は、指標として作った。
この男は、それを目標として使うことを、即座に思いついた。
これは危険な発想だ。
――指標は、目標にすると壊れる。
前世で嫌というほど見た。
顧客満足度を測る指標を作る。すると現場は、顧客満足度を上げるのではなく、アンケートで高い点を取る方法を編み出す。
「――筑前殿」
「はい」
「それは、おやめになったほうがよろしゅうございます」
秀吉が、目を丸くした。
「なにゆえ」
「――物差しは、測るためのものにございます」
俺は言った。
「測るために作ったものを、増やそうとすると、中身が空になりまする」
秀吉は、しばらく俺を見ていた。
そして、ぽん、と膝を打った。
「――あッ!」
その声が、あまりに大きかったので、俺は驚いた。
「分かり申した! なるほど、なるほど!」
秀吉は、興奮していた。
「日向守様。それは、兵の首の数と同じでござるな!」
俺は、目を瞬いた。
「首の数を褒美の物差しにすると、兵は首を取るために戦い申す。勝つためではなく」
――正解だ。
三日で、しかも自力で、この男は本質に辿り着いた。
俺は、この男を見た。
(――恐ろしい)
この男は、俺の説明を聞いているのではない。
俺の説明を、自分の経験と照らし合わせて、自分の言葉に変換している。
だから速い。
そして――
(――俺より、上手く使える)
俺は、この仕組みを頭で作った。前世の知識から演繹した。
この男は、体で理解している。
「日向守様」
「――は」
「ひとつ、伺ってもよろしゅうござるか」
秀吉の声が、少し変わった。
軽さが、消えていた。
「なぜ、それがしに教えてくださる」
俺は、答えを探した。
いくつか、用意していた答えがあった。
だが、この男には、たぶん通じない。
「――上様が、そうせよと仰せでございます」
俺は、正直に言った。
「他の国でも使えるように書け、と」
秀吉は、しばらく黙っていた。
そして、笑った。
「――なるほど」
だが、目は笑っていなかった。
「日向守様。それがしは、こう思っており申した」
「なんでございましょう」
「日向守様は、丹波を早う片付けて、次の手柄を狙うておられるのだと」
俺は、動かなかった。
「されど、違い申したな」
秀吉は、湯呑みを置いた。
「日向守様は、丹波を片付けることより、丹波の治め方を書き残すことのほうを、大事にしておられる」
――見抜かれた。
「それは、なぜでござる」
秀吉の目が、こちらを見ていた。
軽い口調だった。だが、この質問は、たぶん今日の本題だった。
俺は、しばらく黙った。
そして、言った。
「――上様は、お一人にございます」
秀吉が、動きを止めた。
「上様のお速さは、この家の宝にございます。されど、宝が一つしかないのは、危うい」
俺は、続けた。
「ゆえに、上様のなさることの一部を、紙に写しておきたいのでございます」
部屋が、静かになった。
秀吉は、しばらく俺を見ていた。
その表情から、いつもの人懐こさが、すっかり消えていた。
やがて、ぽつりと言った。
「――日向守様」
「は」
「それは、危のうござる」
俺は、平伏しなかった。
この男の目を、見返した。
「存じております」
秀吉は、また、しばらく黙った。
そして、突然、また笑顔になった。
「いや、失礼いたした! 難しい話をしてしまい申した!」
膝を叩き、身を乗り出す。
「日向守様、坂本の魚は美味いと聞き申した。鮒鮨というのは、まことに臭うござるか」
俺は、この切り替えの速さに、めまいを覚えた。
◇
秀吉が帰った後、利三が言った。
「殿。あの方は、何をしに来られたので」
「――教わりに来た」
「まことに、それだけで」
俺は、書院の窓から外を見た。
(――たぶん、確かめに来た)
俺が何を考えているか。
どこまで見えているか。
そして――危険な男かどうか。
「利三」
「は」
「――俺は、たぶん今日、羽柴筑前守に目をつけられた」
利三が、青くなった。
俺は、笑った。
笑いながら、あの空白の項目を思い出していた。
忠誠――表示されない。
(――あれは、何だ)
◇
その夜、俺は書き始めた。
題を、こうした。
――丹波、御仕置きの覚。
中身は、丹波でやったことの全部だ。
服属と統合の違い。五つの物差し。担当割り。書付の様式。道普請。乱取り禁止と銭。焼いた村への雇用。そして――失敗したことも。
特に、失敗を厚く書いた。
去年、俺が小畠の報告を「分かった」の一言で流したこと。
波多野に何も説明しなかったこと。
文を出した結果、波多野家中で三人が斬られたこと。
利三が、覗き込んで、驚いた。
「殿。これは……上様にお出しになるものでござろう」
「そうだ」
「――なにゆえ、失敗を書かれます」
俺は、筆を止めずに答えた。
「成功だけを書けば、真似た者が同じ失敗をする」
俺は言った。
「失敗を書いておけば、真似た者はそこを避けられる」
利三は、しばらく黙っていた。
そして、こう言った。
「――殿。それでは、殿の手柄が減り申す」
俺は、顔を上げた。
この男は、いいところを突いた。
その通りだ。
失敗を書いた報告書は、書いた者の評価を下げる。
前世でも、そうだった。だから誰も、失敗を報告書に書かない。
「利三」
「は」
「――減るだろうな」
俺は言った。
「だが、これは俺の手柄のために書いているのではない」
俺は、筆を進めた。
――丹波、御仕置きの覚。全十七条。
この紙は、いつか誰かが読む。
俺が死んだ後かもしれない。
そのとき、この紙は、俺の代わりに喋る。
(――噂より、少しだけ長く)




