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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第三章 丹波の傷

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第28話 現地国衆の面子


 天正六年、三月。安土。

 俺は、丹波の一年を報告した。

 大広間ではなく、また小座敷だった。信長は脇息にもたれ、俺の話を最後まで聞いた。

 服属三十五家。五つの物差し。担当割り。道普請の効果。乱取り禁止と、その代わりの銭。

 話し終えて、俺は平伏した。

 信長は、しばらく黙っていた。

 そして、こう言った。

「日向守。八上は、まだ落ちておらぬな」

「――はい」

「黒井も」

「はい」

「一年で、城を一つも落としておらぬ」

 俺は、額を畳につけた。

 その通りだ。

 戦の成果としては、去年より悪い。去年は少なくとも黒井を囲んだ。今年は、囲んですらいない。

「面目次第もございませぬ」

「――で、あるか」

 信長は、脇息から身を起こした。

「日向守。おぬし、去年、いくつの家が裏切ると申した」

 俺は、顔を上げた。

「――七つか、八つと」

「今年、いくつ裏切った」

 俺は、答えた。

「――一つにございます」

 信長の目が、動いた。

「一つか」

「はい。丹波の内藤が、一度離れ、また戻りました」

「戻ったなら、裏切りは零ではないか」

「――離れたことは、事実にございますゆえ」

 信長は、ふん、と鼻を鳴らした。

 そして、意外なことを言った。

「日向守。おぬしは、都合の悪いことを数えるな」

 俺は、動きを止めた。

「城は落としておらぬと、自分から申した。裏切りも、戻ったのに一つと数えた」

 信長は、俺を見ていた。

「――他の者は、そうは言わぬ」

 俺は、平伏した。

 この人は、今、俺を試したのだ。

 そして、たぶん――合格した。


    ◇


「日向守」

「は」

「金は、また要るか」

「――要ります」

「いくらだ」

 俺は、書付を差し出した。

 信長は、それを受け取って、目を走らせた。

 そして、指が止まった。

「――この、『詫び銭』というのは何だ」

 俺は、息を吸った。

 ここが、今日の本題だった。

「――去年、丹波の村を十七、焼きました」

「知っておる」

「そのうち二つが、今年、こちらに降りました」

「うむ」

「されど、十五は降っておりませぬ」

 俺は、続けた。

「焼かれた村は、こちらを恨んでおります。恨んでいる限り、降りませぬ。降らねば、丹波は治まりませぬ」

「――で、銭を配ると申すか」

「はい」

 信長は、書付を膝に置いた。

 そして、こう言った。

「――なめられるぞ」

 俺は、顔を上げた。

「焼いた村に銭を配る。それを見た他の村は、こう思う。『焼かれても、銭がもらえる』とな」

 ――鋭い。

 この人は、モラルハザードを一瞬で見抜いた。

「仰せの通りにございます」

 俺は言った。

「ゆえに、配り方を変えます」

「どう変える」

「――銭を、村に配りませぬ」

 信長の眉が、上がった。

「では、どうする」

「村の者を、雇います」

 俺は言った。

「道普請に、焼いた村の者を雇い入れます。銭は、働いた分だけ払います」

 しばらく、沈黙があった。

 やがて、信長が言った。

「――同じことではないか」

「違いまする」

 俺は言った。

「銭を配れば、それは施しにございます。施しを受けた者は、恨みを忘れませぬ。むしろ、深めまする」

 俺は続けた。

「されど、働いて得た銭は、施しではございませぬ」

「――ほう」

「そして、道普請は、その村の道でもございます」

 俺は、少し身を乗り出した。

「自分の村の道を、自分で直し、その分の銭を得る。これは、恵まれたのではなく、稼いだのでございます」

 信長は、脇息にもたれ直した。

 そして、しばらく天井を見ていた。

 やがて、こう言った。

「――日向守」

「は」

「おぬし、人の面目というものを、ずいぶん気にするな」

 俺は、顔を上げた。

 この人は、たった今、俺の思考の核を言い当てた。

「――はい」

「なぜだ」

 俺は、答えを探した。

 そして、正直に言った。

「――面目を潰された者は、恨みを覚えるからにございます」

「恨まれても、力があれば従う」

「従います」

 俺は認めた。

「されど、従っている間ずっと、離れる機会を探しまする」

 信長は、動かなかった。

「そして、機会が来たとき、必ず離れまする」

 俺は続けた。

「上様。丹波の国衆は、負けたことを恨んでおるのではございませぬ」

「では、何を恨む」

「――『どうせ丹波の田舎者だ』と思われたことを、恨んでおります」

 沈黙。

 俺は、続けた。

「彼らには、彼らの由緒がございます。何百年もその土地を守ってきた誇りがございます」

 俺は言った。

「戦に負けるのは、仕方がない。されど、由緒まで踏み潰されるのは、耐えられませぬ」

 信長は、天井を見たままだった。

 やがて、ぽつりと言った。

「――比叡山を焼いたときも、同じことを言う者がおった」

 俺は、動きを止めた。

 信長は、続けた。

「『千年の由緒を焼いた』とな」

 部屋が、静かになった。

 俺は、返す言葉を持たなかった。

 比叡山焼き討ち。七年前。

 この人が、最も苛烈だと言われる所以。

 俺は、慎重に言った。

「――上様は、後悔しておられますか」

 信長は、初めてこちらを見た。

 そして、言った。

「――せぬ」

 迷いのない声だった。

「あれは、由緒を焼いたのではない。武器を焼いた」

 俺は、平伏した。

「されど」

 信長は、続けた。

「――焼いた後、比叡は治まったか」

 俺は、顔を上げた。

 信長は、天井を見ていた。

「わしは、勝った。だが、治めておらぬ」

 その一言を、俺は体の芯で受け止めた。

 (――この人は)

 分かっている。

 勝つことと、治めることが別だと、この人は知っている。

 知っていて、勝つほうを選び続けている。

 なぜか。

 ――速いからだ。

「日向守」

「は」

「銭は出す」

 信長は、書付を投げて寄越した。

「その代わり、丹波を治めよ。落とすのではない。治めよ」

 俺は、平伏した。

「――はっ」

 立ち上がりかけて、信長がもう一度言った。

「日向守」

「は」

「――治めるのに、いくらかかる」

 俺は、動きを止めた。

 この質問は、重い。

 この人は今、初めて「治めるコスト」を聞いた。

 俺は、正直に答えた。

「――攻めるより、高うございます」

「どれほど」

「――三倍か、五倍か」

 俺は言った。

「そして、終わりがございませぬ」

 信長は、しばらく黙っていた。

 そして、こう言った。

「――高いな」

「はい」

「だが、それを払わぬと、どうなる」

 俺は答えた。

「――二十年後に、もう一度、同じ戦をいたします」

 沈黙。

 やがて、信長は言った。

「――日向守」

「は」

「おぬしの申すことは、いちいち面倒だ」

 俺は、平伏した。

「されど、間違うておらぬのが腹立たしい」

 俺は、思わず顔を上げた。

 信長は、既に立ち上がっていた。

 そして、背を向けたまま言った。

「――丹波が治まったら、その『治め方』とやらを、書いて出せ」

 俺の心臓が、跳ねた。

「他の国でも、使えるようにな」


    ◇


 安土を出て、湖を渡る舟の上で、俺は震えていた。

 利三が、心配そうに顔を覗き込んだ。

「殿。お加減が」

「――違う」

 俺は、書付を握りしめていた。

「利三。今、何が起きたか分かるか」

「――金が出ましたな」

「それもある」

 俺は言った。

「だがそれ以上だ」

 俺は、湖面を見た。

「上様が、『他の国でも使えるように書け』と仰せになった」

 利三が、まだ理解していない顔をした。

 俺は、続けた。

「――それは、制度を作れ、ということだ」

 俺は、書付を胸に押し当てた。

「あの人が、初めて、自分の頭の外に何かを置くことを許した」

 舟が、湖を渡っていく。

 六年後の六月二日まで、あと四年と三月。

 (――一歩、進んだ)

 俺は、そう思った。

 その夜、坂本に戻った俺を待っていたのは、一通の書状だった。

 安土からではない。

 ――播磨からだった。

 差出人の名を見て、俺は眉を寄せた。

 羽柴筑前守秀吉。


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