第24話 八上城、兵糧攻めの倫理
返事は、十日で来た。
俺は、書状を開く前に、一度深く息を吸った。
利三が、隣で固まっている。
開いた。
――出す。
二文。
俺は、しばらくその二文字を見ていた。
そして、下に小さく、こう書いてあった。
――倍、遅れたら、おぬしの首で払え。
利三が、覗き込んで、悲鳴を上げた。
◇
金は、本当に来た。
しかも、俺が申請した額より多かった。
利三が数え直して、三度確かめた。
「殿。……多うござる」
「うむ」
「なにゆえ」
俺は、書状をもう一度読んだ。
そして、気づいた。
俺の申請書には、道普請の費用しか書いていない。
だが送られてきた額は、その一割五分ほど多い。
――予備費だ。
(――この人)
俺は、思わず唸った。
現場が申請した額そのままでは、必ず足りなくなる。想定外は必ず起きる。それを織り込んで、上乗せして出している。
これは、経験のある経営者の出し方だ。
制度理解、十五。
――だが、金の出し方だけは、異様に上手い。
「利三」
「は」
「上様は、金勘定に強いか」
利三は、当然のように答えた。
「――他家の当主は、皆、金勘定を家老に任せまする」
「うむ」
「上様は、ご自身で弾かれると聞き申す」
――そうか。
俺は、書状を畳んだ。
この人が「制度」を作らないのは、能力がないからではない。
自分でやったほうが速いからだ。
◇
八月。
道普請が始まった。
効果は、思ったより早く出た。
降った国衆の村に、明智の人足が入る。道を直す。橋を架ける。井戸を掘る。
村人は、最初、恐れた。
当然だ。武士が村に入るのは、大抵、何かを取りに来るときだ。
だが今回は、置いていく。
三月もすると、噂が回り始めた。
「明智に降った村は、道が良うなった」
「井戸が出た」
「――兵は、乱取りをせぬそうな」
最後の一つが、実は一番大きかった。
俺は、道普請と同時に、もうひとつの決まりを出していた。
――降った村での乱取り、一切禁ずる。
これは、家中で猛反発を食らった。
◇
「殿。それは、あまりに」
最初に食い下がってきたのは、意外にも小畠だった。
「兵は、乱取りを当てにしております」
「知っている」
この時代、足軽や雑兵の報酬は、公式の給金だけではない。
戦場での略奪が、実質的な収入だ。物を奪い、時には人を奪って売る。それが黙認されている。
禁じるということは、収入を断つということだ。
「では、兵はなにゆえ戦いまする」
「銭を出す」
俺は言った。
「乱取りを禁ずる代わりに、その分を銭で払う」
小畠が、目を見開いた。
「――そのようなことが」
「できる。上様から出た金がある」
俺は算盤を叩いた。
「利三。計算した通りだ。乱取りで兵が得る分と、こちらが銭で払う分。どちらが高い」
利三が、渋い顔で答えた。
「――銭で払うほうが、高うござる」
「高いか」
「はい。乱取りは、こちらの費えがゼロにござれば」
そこだ。
俺は、皆を見回した。
「では、乱取りの費えは、本当にゼロか」
沈黙。
俺は、紙を出した。
「去年の正月。黒井の敗走のあと、こちらは丹波の村を焼いた。何村か覚えている者はおるか」
誰も、答えなかった。
「――十七村だ」
俺は言った。
「その十七村のうち、今年こちらに降った村は」
利三が、書付をめくった。
そして、低い声で言った。
「――二つにござる」
「焼かなかった村では」
「……十一のうち、七つ」
部屋が、静かになった。
俺は、紙を置いた。
「乱取りの費えは、ゼロではない。翌年の降伏率で払っている」
◇
その晩、俺は一人で書付を書いていた。
題は、こうだ。
――八上城、攻めの儀に付き。
波多野の八上城は、丹波でも屈指の山城だ。
力攻めをすれば、こちらの損害は甚大になる。
現実的な策は、ひとつしかない。
――兵糧攻めだ。
俺は、その三文字を書いて、しばらく手を止めた。
(――知っている)
俺は、史実を知っている。
この城は、最終的に兵糧攻めで落ちる。
そして、その籠城戦は、凄惨なものになる。城内で餓死者が出る。
俺は、筆を置いた。
(――やるのか)
やらなければ、力攻めになる。こちらの兵が死ぬ。
やれば、城内の非戦闘員が死ぬ。
どちらも、人が死ぬ。
◇
翌朝、俺は主だった者を集めて、この議題を出した。
「八上を、どう攻めるか」
答えは、割れなかった。
「――干し殺しにござろう」
全員が、同じことを言った。
この時代、それは常識だ。山城を落とすなら、囲んで飢えさせる。力攻めより損害が少ない。合理的だ。
「では聞く」
俺は言った。
「城の中には、誰がいる」
沈黙。
「侍だけか」
「――女子供もおりましょう」
「村から逃げ込んだ百姓もおるはずだ」
俺は言った。
「干し殺しにすれば、先に死ぬのは誰だ」
部屋が、しんとした。
最初に飢えるのは、身分の低い者だ。次に、女と子供。武士は最後まで食う。
兵糧攻めは、戦う者を殺す前に、戦わない者を殺す。
「――日向守様」
小畠が、口を開いた。
「では、いかがなさいます」
「まだ、決めていない」
俺は正直に言った。
「だから、聞いている」
利三が、腕を組んだ。
「殿。それがしは、干し殺しに賛成にござる」
「理由を言え」
「――こちらの兵が死に申さぬゆえ」
利三は、真っ直ぐ言った。
「それがしは、明智の家臣にござる。明智の兵を死なせぬのが、それがしの役目にて」
――正しい。
俺は、その正しさを認めた。
「他は」
小畠が、言った。
「それがしは、丹波の者にござる」
彼は、少し声を落とした。
「八上の城に籠っておる者の中には、それがしの縁者もおり申す」
部屋の空気が、動いた。
「されど――」
小畠は、続けた。
「戦が長引けば、村がもっと苦しみまする。それがしは、早う終わることを願い申す」
俺は、この二人を見た。
どちらも正しい。
どちらも、自分の立場から、誠実に答えている。
(――これが、答えのない問題だ)
俺は、しばらく黙った。
そして、言った。
「――決めた」
全員が、俺を見た。
「八上は、囲む。だが、干し殺しにはせぬ」
「――は?」
「囲んだ上で、出口を作る」
俺は、地図を指した。
「城から出たい者は、出させる。女、子供、百姓。武器を持たぬ者は、通す」
利三が、真っ青になった。
「殿。それでは、囲みの意味が」
「ある」
俺は言った。
「食う口が減れば、城は長く保つ。それは確かだ」
「では、なにゆえ」
「――保たせる」
俺は言った。
「こちらの狙いは、城を落とすことではない。丹波を治めることだ」
俺は、地図の上に手を置いた。
「城を干し殺しにして落とせば、丹波の者は一生忘れぬ。二十年後、三十年後まで語り継ぐ。『明智は、女子供を飢えさせた』と」
利三が、口を開きかけて、閉じた。
「そのとき、丹波は、まだ治まらぬ」
俺は続けた。
「戦は、勝てば終わる。だが治めるのは、その後、何十年も続く」
俺は、皆を見回した。
「――どちらの費えが高いか、計算しろ」
◇
その夜。
俺は一人で、紙に書いた。
――兵糧攻めは、戦う者より先に、戦わぬ者を殺す。
その下に、書き足した。
――勝ち方は、記憶に残る。記憶は、統治の費えになる。
書きながら、俺は自分が少しずるいことを知っていた。
俺の判断は、倫理から出たものではない。
「そのほうが、後の統治が安い」という計算から出ている。
(――それでいいのか)
分からなかった。
だが、たぶん――
俺は筆を置いた。
この時代で「人道」を理由に説得しても、誰も動かない。
「安い」と言えば、動く。
なら、そう言うしかない。
(――言い方を変えているだけだ)
そう思うことにした。




