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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第二章 浅井長政とお市、制度なき同盟

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20/52

第20話 人を橋にするなら


 天正五年、五月。

 俺は坂本城の書院に、四人を集めた。

 利三。玉。障子の向こうに煕子。そして――呼び寄せた庄兵衛。

 机の上には、この半年で書き溜めた紙が、山になっていた。

「今日で、浅井の話を終える」

 俺がそう言うと、庄兵衛が身を固くした。

「庄兵衛。おぬしのおかげで、多くのことが分かった」

「――勿体なきお言葉にござる」

「最後に、まとめる」

 俺は紙を広げた。

 半年かけて辿り着いた結論を、七つに整理してある。


    ◇


 一、浅井長政は、裏切り者である。

 これは動かない。盟を破ったのは事実だ。責は長政にある。

 だが。

 二、同じことが二度起きるなら、それは人ではなく仕組みの咎である。

 三、織田は、朝倉を攻める前に、浅井に「なぜ」を渡さなかった。

 現代の言葉なら、こうだ。買収した企業の経営陣に、本社の方針変更の理由を説明しなかった。彼が部下に説明できる材料を渡さなかった。

 四、説明する材料を持たぬ当主は、家中の空気に飲まれる。

 小谷の評定で、長政は半日黙り、最後に「わしは備前守である」と言った。あれは決断ではない。降伏だ。

 五、反対を潰した組織は、一枚岩に見える。

 「臆病者」と切り捨てられた男は、二度と口を開かなかった。だから浅井は割れずに滅んだ。

 六、婚姻という橋は、両岸が離れれば落ちる。落ちるのは橋であり、岸ではない。

 七、橋にされた者は、両岸から都合よく評価され、どちらにも属さない。


    ◇


 読み上げ終えると、部屋は静かだった。

 最初に口を開いたのは、利三だった。

「殿。これは……浅井の話でござろうか」

 俺は、この男を見た。

「どう思う」

「――織田の話に、聞こえ申す」

 そうだ。

 この男は、半年かけて、そこまで来た。

「利三。もうひとつ言え。何が足りぬ」

 利三は、しばらく考えた。

 そして、言った。

「――どうすればよいか、が書いてござらぬ」

 俺は、頷いた。

「その通りだ」

 俺は、新しい紙を出した。

 そこには、まだ何も書いていない。

「ここからだ」


    ◇


 問題は、単純に整理できる。

 この時代、家と家を結ぶ手段は、婚姻と人質しかない。

 なぜか。文書だけの契約が、信用されないからだ。

 現代なら、契約書がある。裁判所がある。破れば訴えられ、賠償を取られる。だからサインが意味を持つ。

 この時代には、それがない。

 だから「人」を担保に置く。娘を出す。息子を出す。裏切れば、その人間が死ぬ。だから裏切らない。

 ――要するに、生命を担保にした与信だ。

 俺は、その構造を紙に書いた。

 書きながら、吐き気がした。

 だが、この構造を否定するだけでは、何も変わらない。

「玉」

「はい」

「この仕組みを、やめられると思うか」

 玉は、即答した。

「やめられませぬ」

「なぜだ」

「――代わりがないからでございます」

 俺は、頷いた。

「その通りだ」

 そして、続けた。

「だから、俺は代わりを作ろうとは言わぬ。今の俺には作れぬ」

 俺は筆を取った。

「代わりに、こうする」


    ◇


 俺が書いたのは、こういうことだった。

 ――婚姻を、一度きりの取引ではなく、続いていく仕事として扱う。

 これが、この半年の結論だった。

 現代の企業でも、同じことが言われる。

 企業を買収するとき、契約を結んだ瞬間が終わりではない。むしろそこから始まる。買った会社と、買われた会社をどう馴染ませるか。人をどう扱うか。方針をどう伝えるか。

 それを、統合作業と呼ぶ。

 この時代の婚姻は、契約の瞬間しか見ていない。

 嫁がせた。同盟が成った。終わり。

 その後、嫁いだ女がどう扱われているか。両家の間で何が起きているか。誰も追わない。

 追わないから、気づいたときには手遅れになる。

「――だから、追う」

 俺は言った。

「嫁がせて終わりにせぬ。年に一度でも、様子を確かめる。文を交わす。取次役を立てる」

「殿」

 利三が言った。

「それは、間者と疑われ申す」

「疑われる」

 俺は認めた。

「だから、隠さぬ。互いに置く。互いに、置いたことを知らせる」

「……両家が、それを呑みましょうか」

「呑まぬ家も、あるだろう」

 俺は言った。

「呑まぬ家は、そもそも危うい」

 利三が、目を見開いた。

「――呑むかどうかで、相手の腹が測れる、と」

 俺は頷いた。

 これは、副次的だが重要な効果だ。

 制度を提案するというのは、それ自体が試験になる。透明性を嫌う相手は、隠したいことがある。

「もうひとつ」

 俺は、紙に書き足した。

「――盟が破れたときのことを、盟を結ぶときに決めておく」

「縁起でもござらぬ」

「そうだ」

 俺は言った。

「だが、破れてから決めれば、必ず人が死ぬ」

 部屋が、静かになった。

 俺は続けた。

「三年前、小谷が落ちたとき、市どのと三人のお子は、どうなるか誰も決めていなかった。上様が助けると仰せになったから助かった。仰せにならねば、死んでいた」

 ――お市の目を、俺は思い出した。

 あの人は、兄の気分ひとつで生き延びた。

 それは、幸運と呼ぶべきものだ。制度と呼べるものではない。

「幸運を、二度当てにはできぬ」


    ◇


 最後に、俺は一枚の紙を出した。

 題を書いた。

 ――婚姻の儀、覚書(第一案)。

 条文は、五つにした。

 一、婚姻に際し、その目的と背景を、嫁ぐ本人に告げること。守れぬことは、守れぬと告げること。

 二、実家・婚家の双方に取次役を置き、互いにその存在を明らかにすること。

 三、婚姻の後も、年に一度以上、双方が文を交わすこと。

 四、盟が破れたる場合の、本人および子の処遇を、婚姻の際に定めておくこと。

 五、右の定めは、当事者本人が読めるものとすること。

 書き終えて、俺は玉に差し出した。

「読め」

 玉は、受け取った。

 そして、ゆっくりと読んだ。

 読み終えて、顔を上げた。

「父上」

「なんだ」

「――まだ、穴がございます」

「あるだろう」

「守る力が、ございませぬ」

「ない」

 俺は認めた。

「これは明智家の覚書に過ぎぬ。他家は従わぬ。上様の法度でもない」

「では」

「――一年後、上様に出す」

 玉が、息を呑んだ。

「一年で、丹波を片付ける。片付けたら、上様が『続きを持ってこい』と仰せになった」

 俺は、書付の束を叩いた。

「そのとき、これを持っていく」


    ◇


 その夜。

 俺は、障子の外に座っていた。

「あなた様」

「いる」

「――お市どのは、いかがでございました」

 俺は、少し考えた。

「――静かな方だった」

「そうでございましょうね」

 煕子の声が、少し柔らかくなった。

「あなた様。ひとつ、伺ってもよろしゅうございますか」

「うむ」

「あなた様は、なにゆえ、そこまでなさいます」

 俺は、答えられなかった。

 煕子は続けた。

「婚姻の決まりは、明智の家にはさして要りませぬ。玉のことがあるとは申せ、そこまでのものは」

「……」

「これは、織田の家のためのものでございましょう」

 俺は、障子を見た。

「――そうだ」

「なにゆえ、そこまで織田の家を」

 俺は、しばらく黙っていた。

 そして、言った。

「――織田が割れれば、この国がまた乱れる」

 これは、嘘ではない。

 だが、全部でもない。

「そして、割れたとき」

 俺は続けた。

「――割ったのは俺だ、と言われる気がする」

 障子の向こうが、静かになった。

 言ってしまってから、俺は自分でも驚いていた。

 これは、まだ誰にも言っていないことだった。

 しばらくして、煕子が言った。

「あなた様」

「うむ」

「――怖いのでございますね」

 俺は、答えなかった。

「わたくしは、それでよいと存じます」

 俺は、顔を上げた。

「怖いものがある方は、人の怖さも分かりまする」

 煕子は、静かに言った。

「けれど、あなた様」

「なんだ」

「――怖さだけで作ったものは、いつか、あなた様を縛りますよ」

 俺は、その言葉を、しばらく反芻していた。


    ◇


 翌朝。

 俺は丹波へ発つ支度をしていた。

 利三が、荷を確かめながら言った。

「殿。丹波の件、一年でござるな」

「一年だ」

「――間に合いますので」

 俺は、書付の束を袋に入れた。

「間に合わせる」

 馬に乗り、坂本の門を出る。

 振り返ると、城の前に玉が立っていた。

 手に、白い紙を持っていた。

 俺は、手綱を握り直した。

 ――婚姻の覚書。五箇条。

 この紙が、いつか本当に人を守るかどうかは、まだ分からない。

 だが、ひとつだけ確かなことがある。

 人を橋にするなら、支えを作らねばならない。

 支えのない橋は、必ず落ちる。

 そして落ちるとき――

 (――落ちるのは、いつも橋だ)


    ◇


 馬の背で、俺は数を数えていた。

 転生して、半年。この半年で、何が変わったか。

 ――坂本の棚卸しが終わった。蔵の米が、帳面と合った。

 ――煕子が、生きている。桶の水は、日に三度替わっている。

 ――婚姻の覚書ができた。まだ五箇条だ。

 それだけである。

 そして、変わっていないものを数えた。

 ――説明されぬまま、動かされる。変わらぬ。

 ――疲れを、言えない。変わらぬ。

 ――約束が、記録されていない。変わらぬ。

 ――方針の変更を、当人が最後に知る。変わらぬ。

 ――誰が何を決めてよいか、書いていない。変わらぬ。

 ――主君と後継者が、同じ場所で無防備になる。変わらぬ。

 ――諸将が、互いを知らない。変わらぬ。

 (――七つ。一つも崩れておらぬ)

 視界の隅に、板が浮かんだ。呼んでもいないのに、出るときは出る。

  織田家 一人依存度 八十七%

 (――二つ、下がった)

 半年で、二つ。

 (――このままでは、六年で二十四だ)

 六年後に六十三%の家を、俺は残すことになる。

 (――足りぬ)

 俺は、手綱を握り直した。

 足りぬ、と思ったのは、半年で二度目だった。


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