第149話 百年後
慶長八年。
織田信忠は、四十六になっていた。天下は、静かだった。
この年、信忠は、一つの書付を作った。
――織田家、覚の目録。
上様御不慮の折の覚。上様御不例の折の覚。御動座之覚。取次の筋目、改定之覚。役目の量、定めの覚。諸将、直に繋ぐ儀の覚。留守の裁きの覚。婚姻の儀、覚書。嫁ぐ者の覚。丹波、御仕置きの覚。荷の覚。陣中、見様の覚。退き口の覚。長く病む者の看方。人の帳面のつけ方。
十五。
(多い。だが、日向守は、二千枚を百八十七枚にした)
ならば、これも、減らさねばならない。だが、考え直した。減らすのは、次の者だ。
――右の十五は、多すぎる。ゆえに、いずれ、減らさねばならぬ。だが、我には、どれを減らすべきかが分からぬ。ゆえに、後の者に託す。
――減らす折は、次のごとくすべし。一、三月、使わずに置く。二、困らざれば、廃す。三、困りたれば、戻す。右は、明智日向守が、二十年前に行いたる法なり。
信忠は、筆を置いて、しばらく目録を見ていた。十五のうち、九つは、日向守が書いた。三つは、父が直した。二つは、自分が作った。一つは、台所の女が書いた。書いた者の名は、全部、残っている。父の鷹の帳面に、名はなかった。日向守が、名を書けと言い続けた。それが、この目録になった。
慶長十五年。織田信忠は、五十三で死んだ。跡は、嫡男が継いだ。争いは、起きなかった。書付があったからだ。報せは、六人に同時に発せられ、二十日、誰も動かなかった。
◇
元和五年。明智の家は、まだあった。光慶は、四十四になっていた。
この年、一人の若者が、坂本に来た。名を、細川という。玉の孫だった。十七だった。
「明智様。お願いがございます。日向守様の書付を、拝見しとうございます。祖母が、こう申しておりましたゆえ。『困ったら、日向守の書付を読め』と」
「何に、困っておる」
「家中が、まとまりませぬ」
「目録を、出そう。ここから、探せ」
若者は、四十の項目を読んでいた。
「『家中が疲れる』とございます。たぶん、それにございます」
役目の量、定めの覚。若者は、読んだ。
「明智様。冒頭に、こうございます。『明智家中、三十人のうち、十一人が眠れず。薬を買うため、扶持の米を売る者あり。右、日向守の落ち度なり』。――日向守様は、なにゆえ、これを書かれました」
「父は、こう言うておった。『数字がなければ、誰も動かぬ』と」
「ですが、これは、日向守様の恥にございましょう」
「そうだ。だが、父は、こうも言うておった。『恥を晒す者は、強い』と」
「明智様。写させていただけませぬか」
「写せ。そして、一つ、頼みがある。使うてみて、合わぬところがあれば、直せ。そして、直した理由を、書き足せ。そして、直したものを、こちらにも送ってくれ。こちらも、直すゆえだ。そうして、書付は、良くなってゆく」
「明智様。それは、祖母も申しておりました。『姉が書いたものを、妹が直す。そして、姉が、また直す』と」
光慶は、少し笑った。
「父が、そう言うておった」
◇
寛永十二年。一人の学者が、坂本に来た。織田家の記録を編纂している。
「明智日向守光秀について、伺いたい」
応対したのは、明智の家の者だった。光慶の孫の代だ。
「日向守様のことは、書付に残っております。『日向守言行録』にございます。斎藤利三が、記したものにございます」
学者は、しばらく読んでいた。
「妙でござるな。手柄が、書いてござらぬ。代わりに、しくじりばかりが書いてござる」
「さようでございます。日向守様が、そう申されたゆえと聞いております。『成功だけを書けば、真似た者が同じ失敗をする』と。『失敗を書いておけば、真似た者はそこを避けられる』と」
「なるほど。だが、それでは、名が残り申さぬ」
「さようでございます。日向守様は、こうも申されたと聞いております。『これは、俺の手柄のために書いているのではない』と」
「お預かりして、よろしいか」
「写しをお持ちくださいませ。そして、一つ、お願いがございます。書かれる折、日向守様のしくじりも、お書きくださいませ。――そうせねば、嘘になりますゆえ」
◇
寛永十五年。その学者が、編纂を終えた。
――織田家中、覚書由来記。
その中の、一章。明智日向守光秀の条。
――明智日向守光秀は、織田家の家臣なり。丹波を治め、坂本を預かる。だが、この者の名が残りたるは、戦の功にあらず。書付を作りたるゆえなり。
――この者は、二十年、書き続けた。そして、その多くは、己のしくじりの記録なり。なにゆえ、しくじりを書きたるか。この者は、こう言いたるという。『二度起きることは、人の咎ではない。仕組みの咎である』と。
その章の、最後は、こうある。
――この者について、一つ、奇妙なる伝えあり。一部の書に、こうあり。『明智日向守は、主君を討つはずであった』と。だが、討たなかった。なにゆえかは、分からぬ。ただ、この者の書付に、こうある。『敵は、本能寺にあらず』と。
――本能寺とは、京の寺なり。そこで、何が起きたかは、伝わっておらぬ。なにも、起きなかったゆえである。




