第148話 信長、死す
第148話 信長、死す
慶長三年、四月。
織田信長は、安土城にいた。六十五になっていた。もう、歩けない。だが、頭は動いていた。そして、毎日、書いていた。
鷹の帳面ではない。あれは、坂本に渡した。別のものだ。題は、こうある。
――名を知らぬ者たちの覚。
――比叡山。元亀二年九月。焼きたる坊、幾つか、覚えず。死したる者、幾人か、覚えず。ただし、次のことは、覚えておる。女子と、子が、おった。
その一行を書くのに、三日かかった。
――わしは、それを見た。そして、止めなんだ。なにゆえ止めなんだかと申せば、止めれば、坊主が逃げるゆえである。これは、理屈である。そして、理屈は、正しい。
筆を止め、しばらく考えた。
――だが、正しいことをして、女子と子が死んだ。これを、どう書けばよいか、分からぬ。ゆえに、分からぬまま、書いておく。
◇
五月。信忠が来た。四十一になっていた。
「父上。お加減は」
「悪い。だが、書いておる」
「父上。これは」
「日向守の、十一番だ。二年、書いておる」
「父上。これは、辛うございましょう」
「辛い。だが、書く。勘九郎。わしは、覚えておらぬ。名も、数も、覚えておらぬ。ゆえに、覚えておらぬことを、書く」
「父上。それは、意味がございますか」
「分からぬ。だが、日向守なら、こう言う。『残れば、いつか誰かが読む』と」
「父上。それは、その通りにございます」
◇
六月。信長は、動けなくなった。
「勘九郎を、呼べ」
信忠は、翌日に着いた。
「勘九郎。三日か」
「三日にございます」
信長は、少し笑った。
「日向守の定めだな。――勘九郎。三日で、話す」
最初の日。
「勘九郎。天下を、渡す。だが、既に渡しておる。十年前に、渡した。ゆえに、今日は、別のことを話す。――わしの、しくじりだ」
三日かけて、話した。比叡山のこと。長島のこと。佐久間のこと。荒木村重のこと。信忠は、全部書き取った。八年前、坂本で光秀の三日を書き取ったのと、同じ手だった。
三日目の夕。
「勘九郎。これで、終わりだ」
「父上。一つ、伺ってよろしゅうございますか。父上は、日向守を、どうお思いでしたか」
信長は、しばらく黙っていた。
「面倒な男であった。何を言うても、『恐れながら』と返してきた。そして、たいてい、正しかった」
「腹は、立ちませなんだか」
「立った。何度も、斬ろうと思うた」
「なにゆえ、斬られませなんだか」
「勘九郎。あの男は、隠さなんだ。腹の内を、全部、紙に書いて持ってきた。『上様を点で描きました』と申してな。あのようなことをする者は、おらぬ。ゆえに、面白かった。――もう一つ、ある。あの男は、わしを人だと思うておらなんだ。『仕組み』として見ておった。わしが倒れたらどうなる、忘れたらどうなる、とな」
「父上。それは、日向守も申しておりました」
「知っておる。詫び状に、書いておった。――だが、勘九郎。それが、よかった。皆、わしを人として見た。そして、恐れた。だが、あの男は、恐れなんだ。『上様がおられねば、家が止まりまする』と。あれは、わしを心配しておるのではない。家を心配しておる」
「父上。それは、寂しゅうございませんか」
「寂しかった。だが、正しかった。そして、最後には、心配された。『上様が寂しいお方であることを、考えなんだ』と。詫び状に、書いておった。あれを読んで、わしは――」
言葉を切った。しばらく黙っていた。
「――泣いた」
「父上。それは、書き留めてよろしゅうございますか」
信長は、少し笑った。
「日向守と、同じことを言うな。――書け」
◇
慶長三年、六月二日。
織田信長は、安土城にて没した。享年、六十五。
最期、信忠が聞いた。
「父上。何か、ございますか」
「勘九郎。――今日は、何日だ」
「六月二日にございます」
信長は、しばらく黙っていた。そして、少し笑った。
「日向守に、伝えよ。――『十六年、遅れた』とな」
その夜、信長は息を引き取った。畳の上で、だった。「畳の上では、死なぬだろう」と言った人が、畳の上で、六月二日に、死んだ。
◇
報せは、六人に、同時に発せられた。織田中将信忠。柴田修理亮勝家。羽柴筑前守秀吉。丹羽五郎左衛門長秀。滝川左近将監一益。そして、明智の家。
明智の家では、光慶が受け取った。二十三になっていた。
――上様、御不慮の折の覚。
「利三。五通、書け」
「承知いたし申した」
五通は、四半刻で出た。明智の兵は、動かなかった。二十日、動かなかった。他の四家も、同じだった。
◇
利三が、後で書き残している。
――この日、殿は一つだけ申された。
――「六十四年前も、同じ形であった」と。
――「あのときは、皇帝が死んだ翌日も、朝議が開かれるようにしておいた」と。
――「そして、そのために、半月前に一度、席を空けて試した」と。
――それがしは、そのとき初めて、毎年の試しの儀がどこから来たのかを知り申した。
◇
六人の覚に、徳川三河守の名はない。同盟者であって、家臣ではないからである。
その三河守が、二十日のあいだ何をしていたか。
後に、利三が書き留めている。
――六月七日。三河より、使者。献上の品と、弔いの文のみ。兵の話、所領の話、一切なし。
――六月十四日。再び使者。中将様の御家督について、「承知いたし候」と一行。
――六月二十一日。三たび使者。此度は、三河守どの直筆にて、こうあり。
――「二十日、動かぬと伺い申した。それがしも、二十日、動き申さなんだ」
――「六人の覚に、それがしの名はござらぬ。ゆえに、縛られており申さぬ。縛られておらぬ者が動かなんだことを、書き留めておいていただきたい」
利三は、その書状の下に、自分の字で一行添えている。
――あのお方は、縛られておらぬことを、ご自分で縛っておられる。
◇
二十日後、諸将が安土に集まった。織田信忠が、家督を継いだ。誰も、異を唱えなかった。
その日、秀吉が言った。
「中将様。いや。――上様。一つ、申し上げたきことがござる。それがしは、二十日、迷い申した。『動こうか』と、幾度も思い申した。ですが、動き申さなんだ」
「なぜだ」
「書付があったゆえにござる。『二十日、動くな』と書いてござった。そして、それを、それがしも認めており申した。十年前に」
「筑前。よく申した」
「上様。もう一つ、ござる。それがしは、迷うたことを、書き留め申した。二十日分にござる」
――六月五日。報せ、届く。『動こうか』と思う。だが、動かず。理由。書付にそうあるゆえ。
――六月八日。まだ、動かず。だが、兵を集めたくなる。集めれば、疑われると思い、やめる。
――六月十二日。柴田様より、文。『動いておらぬ』とあり。安堵す。
信忠は、読んで、しばらく黙っていた。
「筑前。これは、大きい。そなたは、迷いを書いた。そして、それを、皆に見せた。それは、日向守が申しておったことだ」
「上様。それがしは、日向守様に、教わり申した。『疑いは、口にせず、書き記せ』と。ゆえに、書き申した」
「筑前。これを、写して、諸家に配れ」
「上様。これは、それがしの恥にござる」
「そうだ。ゆえに、配れ」
「上様。それも、日向守様が申されたことにござるな」
「そうだ。『恥を晒す者は、強い』と」
秀吉は、少し笑った。
「配り申す」
この男は、「共におられる限り、動かぬ」と縄を作った。共におられなくなった二十日、この男は、動かなかった。縄の向きは、変わっていた。いつ変わったかは、誰も知らない。だが、変わった日の書付は、残った。




