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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第十五章 敵は本能寺にあらず

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第147話 残された者


 文禄五年、十月十六日。

 斎藤利三は、書院にいた。帳面を開いていた。昨日の分は、書き終えている。だが、今日の分が、書けない。

 二十年、この帳面は、殿のことを書いてきた。今日、誰が来たか。何を、話したか。だが、その殿が、いない。

 しばらく座っていた。そして、書いた。

 ――十月十六日。明智日向守光秀、来らず。

 (これで、よいのか)

 だが、他に書きようがなかった。起きたことだけを書け、と昨日、言われた。


    ◇


 昼になって、光慶が来た。二十一だ。目が赤い。

「利三。寄合を、開く」

「若殿。今日、でござるか。葬儀の支度が」

「それも、寄合で並べる」

 利三は、しばらく黙っていた。

「承知いたし申した」

 寄合は、夕に開かれた。三十五人が、集まった。誰も、口を開かなかった。

「皆。この一日、何があったか」

 誰も、答えなかった。やがて、利三が言った。

「申し上げます。――殿が、亡くなられ申した」

 静まり返った。光慶は、しばらく黙っていた。

「書き留めた。――他には」

 利三は、動けなかった。

 (続けられる)

 三沢が言った。

「荷が、一日遅れております。人が、動いておらぬゆえにございます。皆、殿のことで」

「それは、仕方がない。だが、三日で、戻せ」

「承知いたしました」

 寄合は、半刻で終わった。七つのことが、並べられた。


    ◇


 だが、六つ目で、一度だけ場が止まった。

 言ったのは、およしだった。台所の女が寄合に出るようになって、三年になる。

「申し上げます。――台所の者が、三人、泣いております」

 光慶は、書き留めた。そして、聞いた。

「それは、困っておるか」

「困っております。手が、止まりまする」

「――ならば、並べる」

 若い当主は、そう言って、次へ行こうとした。

 だが、およしが続けた。

「若殿。もう一つ、ございます」

「言え」

「――泣いてよい、と申していただきとうございます」

 部屋が、静かになった。

 光慶は、しばらく筆を止めていた。

 そして、こう言った。

「泣いてよい」

「――は」

「ただし、三日だ」

 利三が、顔を上げた。

 (――上様と、同じことを言われる)

 この子は、上様に会ったのは年賀の末席で二度だけだ。それでも、同じ言い方をする。

 だが、続きが違った。

「三日で足りぬ者は、申し出よ。延ばす」

 およしが、深く頭を下げた。


    ◇


 寄合の後、家中の者が三人、廊下で利三を待っていた。

「斎藤様。伺いたきことがございます。――殿の書付は、どうなりまするか」

「使い申す」

「蔵に、お納めにならぬので」

「納め申さぬ」

 利三は、はっきり言った。

「殿は、こう申された。『蔵に入れれば、読まれぬ。読まれぬものは、失われる』と」

 三人は、顔を見合わせた。

 そのうちの一人が、遠慮がちに聞いた。

「斎藤様。――直してもよろしゅうござるか」

 利三は、動きを止めた。

 (――早い)

 殿が亡くなって、二日である。もう、直したいと言う者が出た。

 だが、殿なら、これを喜ぶ。

「直せ」

 利三は、言った。

「ただし、直した理由を書け。そして、誰が直したかを書け」

「――名を、書くので」

「書け。名のない書付は、誰も疑えぬゆえ」

 三人が去った後、利三はしばらく廊下に立っていた。

 (――殿の口癖が、それがしの口から出ており申す)

 二十年である。

 (――移るものにござるな)


    ◇


 その後、光慶が利三を呼んだ。

「利三。今日は、どうであった」

 (殿と、同じことを聞かれる)

「良うござった。『他には』と、聞かれ申した」

「父上が、そう言うておった。――利三。一つ、聞きたい。父上は、どのような方であった」

 利三は、しばらく考えた。

「面倒なお方にござった。何をするにも、まず紙を出され申した。そして、『書け』と申され申した。二十年、それにござる」

「利三。それは、辛かったか」

「辛うござった。ですが――誇りにござる。名が、残り申した。『功の書』に。『斎藤利三、明智日向守の無理を止む』と」

「利三。わしの無理も、止めてくれ」

「止め申す。そして、そのときは――『功の書』に、書いていただき申す」


    ◇


 葬儀は、十一月に行われた。簡素だった。光秀が、そう遺していた。だが、人は、集まった。柴田勝家。羽柴秀吉。丹羽長秀。滝川一益。村井貞勝。そして、織田信忠。

 織田信長は、来なかった。

 (なにゆえ)

 葬儀の後、信忠が言った。

「斎藤利三。父上から、伝言がある。『わしは、行かぬ』と。『先月、会うた』と。『そして、話した』と。『ゆえに、もうよい』と」

 利三は、聞いていた。

「だが、もう一つ、伝言がある。『墓は、湖の見えるところに作れ』と」

「承知いたし申した」

 葬儀の日、羽柴秀吉は、墓の前で、長いこと動かなかった。やがて、懐から書付を出し、墓石の下に置いた。利三が、後で拾った。

 ――暇を出したる者、慶長元年分。一人。理由、右に記す。

 一人。八十七から、三人になり、一人になった。利三は、それを、心覚えの書の最後に綴じた。

 墓は、坂本の丘に作られた。湖が、見える場所だ。隣に、煕子の墓があった。

 利三は、二つを、しばらく見ていた。

 (ようやく、同じ部屋にござるな)


    ◇


 文禄六年、正月。利三は、書院で帳面を開いた。三月分が、溜まっていた。

 ――十月十六日。明智日向守光秀、来らず。十月十七日。同じ。十月十八日。同じ。

 その繰り返しを、しばらく見ていた。

 (これは、間違うておる。帳面は、人を書くものにござる。来ない人を書くものではない)

 筆を取った。

 ――文禄六年、正月一日。右の帳面、これより書き方を改む。日向守様が来られぬことを書くのは、やめ申す。代わりに、来られた方を書き申す。

 ――なにゆえ改めたるか。日向守様は、こう申されておられ申した。『合わぬところは、直せ』と。『そして、直した理由を、書き足せ』と。

 (これで、よろしゅうござるか。殿)

 その日から、帳面は、続いた。

 ――正月三日。光慶様、来る。年賀のことを話す。

 ――正月五日。三沢、来る。荷のことを話す。

 ――正月八日。およし、来る。子が病んだと。薬師を呼ぶ。

 利三は、毎日書いた。五年、書き続けた。


    ◇


 慶長六年。斎藤利三は、六十七で死んだ。

 最後の日、三沢を呼んだ。

「三沢。帳面を、頼む。――一つ、教えておく。帳面は、直してよい。だが、直した理由を、書け」

「承知いたし申した」

「三沢。もう一つ」

 利三は、少し笑った。

「――で、いつやりますので」

「利三様。それは」

「殿の口癖にござる。――いや」

 利三は、少し笑った。

「それがしの、口癖にござった。そして、殿が、真似られ申した」

「利三様。それは、書き留めてよろしゅうござるか」

「書け」


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