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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第十四章 残すもの

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第140話 まだ、書いていないこと


 文禄四年、八月。

 まだ生きていた。薬師の見立てより、長く保っている。

「日向守様。妙にござる。去年より、良うござる。――走っておられぬゆえかと」

 俺は、少し笑った。床にいれば、走れない。走らなければ、保つ。

「先生。もう少し、生きられましょうか」

「分かり申さぬ。ですが、明日は、生きておられ申す」

「先生。それは、当たり前にございます」

「当たり前にござる。ですが、日向守様は、それを忘れておられる」

 (そうか)

 いつも、先を見ていた。そして、明日を見ていなかった。

 その日から、書付を変えた。日々の記録を、書き始めた。これまでは、何を決めたか、なぜそう決めたかを書いていた。今は、今日、誰が来たか。何を、話したか。

 (煕子の帳面だ)


    ◇


 ――九月三日。光慶、来る。丹波の年貢のことを、話す。そして、迷うておった。迷うのは、良いことである、と申す。

 (何の役にも立たぬ。だが、書いている)

 ――九月十日。利三、来る。何も、話さず。半刻、座っておった。

 (良い日だ)


    ◇


 十月。玉から、文が来た。

 ――子が、三人になりました。上の子が、字を書けるようになりました。そして、父上の書付を、読ませております。上の子が、こう申しました。『おじいさまは、なぜこんなに書かれたのですか』と。わたくしは、『忘れたくなかったゆえです』と。すると、子はこう申しました。『では、ぼくも書きます』と。

 (繋がった)

 返事を書こうとして、手が止まった。もう、長くは書けない。

「利三。書き取ってくれ。――孫へ。書くのは、良いことだ。だが、一つ、覚えておけ。書くのは、忘れぬためではない。忘れても、よいようにするためだ」

「殿。これは、どういう意味でござる」

「人は、忘れる。そして、忘れることは、悪いことではない。忘れねば、生きられぬ。だが、忘れたものが、消えてしまうのは、困る。ゆえに、書く。そして、書いておけば、安心して忘れられる」

 煕子が、死ぬ前に言った。忘れても、残るものがある。やり方だ。俺は、それを、孫に送る言葉に直した。

「殿。これは、良い言葉にござる」

「利三。おぬしが言うと、そう聞こえる」


    ◇


 十一月。ある夜、目が覚めた。

 (まだ、書いていないことがある)

 (謝っていない)

 翌朝、利三を呼んだ。

「利三。書き取ってくれ。題を、『詫び状』とする」

 利三は、少し驚いた顔をした。

「一、波多野右衛門大夫どのへ。それがしは、貴殿に、丹波の行く末を語らなんだ。ゆえに、貴殿は、家中に説けなんだ。そして、離れられた。これは、それがしの落ち度である」

「二、荒木村重どのへ。それがしは、貴殿を案じながら、何もせなんだ。『変わった』と思い、安心しておった。そして、三年、放っておいた」

「三、佐久間右衛門尉どのへ。それがしは、五年前から、貴殿の噂を聞いておった。そして、何もせなんだ。『己の役目ではない』と思うておった」

「四、長宗我部宮内少輔どのへ。それがしは、四年、貴殿に伝えた。そして、それを覆した。貴殿の兵が、無駄に死んだ」

「殿。お休みくださいませ」

「続ける。五、明智煕子へ」

 利三の手が、止まった。

「煕子が病みしおり、障子の外に座っておった。そして、それを、優しさだと思うておった。だが、寂しかったと、言われた。それが、まことであろう」

「六、玉へ。『年に一度、会いに行く』と書いた。そして、六年、行かなんだ。約束を守れと、皆に言うておきながら、己が守らなんだ」

「七、りんへ。十七年、顔を知らなんだ。言い訳は、せぬ」

「八、光慶へ。年に十二日しか、会わなんだ。そして、家督を渡すときになって、初めて話した。遅すぎた」

「九、斎藤利三へ」

 手が、止まった。

「十九年、書付を書かせた。そして、母上が亡くなられたことを、知らなんだ。聞かなんだゆえだ」

「殿」

「書け」

 利三は、書いた。

「十、上様へ。それがしは、十九年、上様を『仕組み』として見ておった。上様が倒れたらどうなるか、上様が忘れたらどうなるか。それしか、考えておらなんだ。上様が、寂しいお方であることを――十九年、考えなんだ」

「殿。他には」

「ある。十一、名を知らぬ者たちへ」

 利三は、顔を上げた。

 俺は、そこで一つ、思い出していた。

 (――四つのときだ)

 蘇路(そろ)という男がいた。主が三度変わった、痩せた男である。名を聞いたのは、俺のほうからだった。

 あの男は、どの戦記にも、どの敗因の簿にも載らなかった。

 俺は、木簡に線を引いて数えようとして、六百本引く前に腕が疲れた。

 (――六十四年経って、また同じところで止まっておる)

「丹波で、それがしが焼いた村がある。十七村だ。そこで死んだ者の名を、それがしは知らぬ。八上の城で、飢えた者がある。その名も、知らぬ。それがしは、数えることを教えてきた。だが、その者どもを、数えておらぬ。――これが、いちばんの落ち度である」

 利三は、しばらく手を止めていた。そして、書いた。

「殿。これは、どうなさいます」

「写して、配れ。全部だ。上様。中将様。諸将。そして、家中に」

「殿。これは、殿の恥にござる」

「そうだ。ゆえに、配る。――利三。これは、詫び状ではない。書付だ。『何を落としたか』を書いた、書付だ。そして、それは、誰かの役に立つ」

 丹波の御仕置きの覚に、失敗を厚く書いたのと同じだ。成功だけを書けば、真似た者が同じ失敗をする。


    ◇


 書付は、十二月に配られた。返事が来た。

 信忠。

 ――読んだ。そして、腹が立った。なにゆえ、そなたが詫びる。詫びるべきは、我らだ。だが、考えた。そして、分かった。これは、詫びではない。教えだ。ゆえに、わしも書く。『わしが落としたもの』を。

 秀吉。

 ――書付、拝読いたし候。そして、泣き申した。特に、十一にござる。『名を知らぬ者たちへ』にござる。それがしも、名を知り申さぬ。幾万か、分かり申さぬ。ゆえに、それがしも、書き申す。そして、数え申す。今からでも、数え申す。

 最後に、信長。書状は、短かった。

 ――日向守。十番は、余計だ。

 俺は、少し笑った。

 ――だが、正しい。そして、わしも、詫びておく。日向守。わしは、おぬしに、休めと言わなんだ。十九年、言わなんだ。一度だけ、言うた。『十日、やる』とな。あれでは、足りなんだ。

 その三行を読んで――しばらく、泣いた。

 休め、三日でな。あの言葉から、全部が始まった。十九年経って、その人が、三日では足りなかった、と書いてきた。


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