第135話 動けぬときの覚
文禄二年、六月。
安土に留まり、書いた。
――上様、御不例の折の覚。
思ったより難しかった。死とは、違う。死は、一度きりだ。後戻りしない。だが、病は、違う。治るかもしれない。治らないかもしれない。いつ治るか、分からない。
――一、いつまで待つかが、分からぬ。二、待てば、政が止まる。三、待たねば、上様が目覚められた折、困る。
(段階だ)
――一、上様が三日以上、政をなされぬ場合。中将様が、日々の政を行う。ただし、上様がお目覚めの折、全部を報ずる。二、十日以上に及ぶ場合。中将様が、上様の裁可を要する事も行う。ただし、その理由を書き記す。三、一月以上に及ぶ場合。諸将を集め、今後を諮る。
――四、右のいずれの場合も、上様のご容体を、日に一度、諸将に報ずること。
(これが、いちばん大事だ)
知らせなければ、諸将は憶測する。憶測は、疑いになる。
信忠に見せた。
「日向守。四条目だが。『ご容体』とは、どこまで書く」
(難しい)
正確に書けば、「危ない」と伝わる。ぼかせば、疑われる。
「正直に書くべきかと存じます。危ういときは、そう書きまする。ですが、それは、諸将を騒がせまする。ゆえに、同時に、『動くな』と書きまする」
「それは、通じるか」
「分かりませぬ。ですが、隠すよりは、通じまする」
◇
報せが出た。
――六月十日。上様、御不例。意識、戻らず。右につき、諸将は動かざること。
――六月十一日。上様、意識戻る。だが、起き上がられず。右につき、諸将は動かざること。
――六月十二日。上様、粥を召される。右につき、諸将は動かざること。
五日目、柴田勝家から返事が来た。
――報せ、毎日受け取っておる。そして、動いておらぬ。だが、一つ、言うておく。北陸の者どもは、騒いでおる。『上様が死なれた』という噂が、流れておる。そして、消えぬ。
(噂か)
報せは、諸将に出している。だが、その下には、届いていない。
「中将様。報せの出し方を、変えとうございます。諸将だけでは、足りませぬ。町にも、出しとうございます」
「町人に、上様のご容体を知らせるのか。前例がない」
俺は、少し笑った。村井様のようなことを言われる。
「ゆえに、作りまする。中将様。噂は、放っておけば育ちまする。そして、育った噂は、消せませぬ」
「やれ」
六月十五日。安土の町に、高札が立った。
――上様、御不例なり。だが、粥を召され、言葉も交わされておる。町の者は、常の通りにせよ。
高札を、見に行った。町の者が集まっていた。そして、読める者が、読み上げていた。
(読める者がいる)
十六年前なら、いなかったかもしれない。
「なんじゃ。生きておられるのか」
「死んだと聞いたぞ」
「高札に、書いてあるがな」
(効いている)
三日後、北陸から返事が来た。
――高札のこと、聞いた。こちらでも、立てた。そして、噂が、静まった。
――噂は、知らぬところで育つ。ゆえに、知らせれば、静まる。そして、知らせるは、上の者だけでは足りぬ。下の者にも、知らせねばならぬ。ゆえに、下の者も、字を読めねばならぬ。
(繋がった)
十六年前、書付を作り始めた。そして、字を教え始めた。たきの隠れた稽古が、今、高札を読んでいる。
◇
七月。信長は、起き上がった。まだ、歩けない。だが、話せる。
「日向守。一月、どうであった」
「報告いたします。一、日々の政は、止まりませなんだ。中将様が、全部を裁かれました。二、諸将は、動きませなんだ。ただし、北陸で噂が流れました。三、噂は、高札にて静まりました。四、上様の裁可を要する事は、七件ございました。全部、中将様が裁かれました。そして、理由を書き記しております」
信長は、読んだ。速い。
(戻っておられる)
「日向守。七件のうち、五件は、わしも同じにする。残る二件は、違う。これと、これだ」
東国の国衆の所領安堵。堺の商人への貸付。
「上様。なにゆえ、違われますか」
「東国は、まだ固まっておらぬ。ゆえに、安堵は、早い」
「堺は」
「貸すな。商人に貸せば、返さぬ。律儀だ。だが、貸したものは、返らぬ。なぜなら、こちらが取り立てられぬゆえだ」
(そうか)
大名が商人に貸せば、取り立てにくい。力で取れば、商人が逃げる。
「ならば、いかがすれば」
「貸すな。出資せよ。返させるのではない。儲けを、分けさせる」
(出資だ)
貸付ではなく、共同事業にする。宗易の「約束の貸し借り」を、この人は、別の形で知っていた。
「上様。お見事にございます」
「褒めるな」
「上様。これを、書き記してよろしゅうございますか」
「書け。そして、勘九郎に渡せ」
「上様。一つ、申し上げてよろしゅうございますか。今の話は、大きゅうございます。七件のうち、五件は、中将様と同じでございました。二件は、違いました。その二件が、上様と中将様の違いにございます。そして、その違いを、書き記せば、中将様は、上様に近づかれまする」
「日向守。それを、これからもやれ。勘九郎が裁いたものを、わしに見せよ。そして、違うところを、書き留めよ」
(これは、教育の仕組みだ。そして、それは、上様が自分で言われた)
◇
その日から、始まった。信忠が裁く。信長が見る。違うところを、俺が書き留める。
三月で、七十件を超えた。そして、面白いことが分かった。
(違いが、減っている)
最初の月は、十件のうち三件が違った。三月目には、十件のうち一件になった。
「日向守。これは」
「中将様が、上様に近づいておられます」
「日向守。それは、良いことか」
「半分は、良うございます。――同じになれば、二人おる意味がございませぬ」
信長は、少し笑ったようだった。
「日向守。おぬしは、面倒なことを言う」
「上様。ゆえに、一つ、お願いがございます。違うところを、そのままにしていただきとうございます。『わしはこうする』とだけ、仰せくださいませ。『こうせよ』とは、仰せられませぬよう」
「なぜだ」
「中将様が、上様の写しになるゆえにございます。そして、写しは、本物に及びませぬ」
「ならば、どうする」
「違いを、残してくださいませ。そして、中将様が、ご自分で選ばれるようになさいませ。『父上ならこうする。だが、わしはこうする』と」
「日向守。それは、腹が立つな」
俺は、少し笑った。
「さようにございましょう」
信長は、しばらく黙っていた。
「――だが、そうする」
道具は、使う者が変われば、違うものになる。この人は、去年、そう言った。今年、それを、自分の息子に許した。




