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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第十四章 残すもの

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第135話 動けぬときの覚


 文禄二年、六月。

 安土に留まり、書いた。

 ――上様、御不例の折の覚。

 思ったより難しかった。死とは、違う。死は、一度きりだ。後戻りしない。だが、病は、違う。治るかもしれない。治らないかもしれない。いつ治るか、分からない。

 ――一、いつまで待つかが、分からぬ。二、待てば、政が止まる。三、待たねば、上様が目覚められた折、困る。

 (段階だ)

 ――一、上様が三日以上、政をなされぬ場合。中将様が、日々の政を行う。ただし、上様がお目覚めの折、全部を報ずる。二、十日以上に及ぶ場合。中将様が、上様の裁可を要する事も行う。ただし、その理由を書き記す。三、一月以上に及ぶ場合。諸将を集め、今後を諮る。

 ――四、右のいずれの場合も、上様のご容体を、日に一度、諸将に報ずること。

 (これが、いちばん大事だ)

 知らせなければ、諸将は憶測する。憶測は、疑いになる。

 信忠に見せた。

「日向守。四条目だが。『ご容体』とは、どこまで書く」

 (難しい)

 正確に書けば、「危ない」と伝わる。ぼかせば、疑われる。

「正直に書くべきかと存じます。危ういときは、そう書きまする。ですが、それは、諸将を騒がせまする。ゆえに、同時に、『動くな』と書きまする」

「それは、通じるか」

「分かりませぬ。ですが、隠すよりは、通じまする」


    ◇


 報せが出た。

 ――六月十日。上様、御不例。意識、戻らず。右につき、諸将は動かざること。

 ――六月十一日。上様、意識戻る。だが、起き上がられず。右につき、諸将は動かざること。

 ――六月十二日。上様、粥を召される。右につき、諸将は動かざること。

 五日目、柴田勝家から返事が来た。

 ――報せ、毎日受け取っておる。そして、動いておらぬ。だが、一つ、言うておく。北陸の者どもは、騒いでおる。『上様が死なれた』という噂が、流れておる。そして、消えぬ。

 (噂か)

 報せは、諸将に出している。だが、その下には、届いていない。

「中将様。報せの出し方を、変えとうございます。諸将だけでは、足りませぬ。町にも、出しとうございます」

「町人に、上様のご容体を知らせるのか。前例がない」

 俺は、少し笑った。村井様のようなことを言われる。

「ゆえに、作りまする。中将様。噂は、放っておけば育ちまする。そして、育った噂は、消せませぬ」

「やれ」

 六月十五日。安土の町に、高札が立った。

 ――上様、御不例なり。だが、粥を召され、言葉も交わされておる。町の者は、常の通りにせよ。

 高札を、見に行った。町の者が集まっていた。そして、読める者が、読み上げていた。

 (読める者がいる)

 十六年前なら、いなかったかもしれない。

「なんじゃ。生きておられるのか」

「死んだと聞いたぞ」

「高札に、書いてあるがな」

 (効いている)

 三日後、北陸から返事が来た。

 ――高札のこと、聞いた。こちらでも、立てた。そして、噂が、静まった。

 ――噂は、知らぬところで育つ。ゆえに、知らせれば、静まる。そして、知らせるは、上の者だけでは足りぬ。下の者にも、知らせねばならぬ。ゆえに、下の者も、字を読めねばならぬ。

 (繋がった)

 十六年前、書付を作り始めた。そして、字を教え始めた。たきの隠れた稽古が、今、高札を読んでいる。


    ◇


 七月。信長は、起き上がった。まだ、歩けない。だが、話せる。

「日向守。一月、どうであった」

「報告いたします。一、日々の政は、止まりませなんだ。中将様が、全部を裁かれました。二、諸将は、動きませなんだ。ただし、北陸で噂が流れました。三、噂は、高札にて静まりました。四、上様の裁可を要する事は、七件ございました。全部、中将様が裁かれました。そして、理由を書き記しております」

 信長は、読んだ。速い。

 (戻っておられる)

「日向守。七件のうち、五件は、わしも同じにする。残る二件は、違う。これと、これだ」

 東国の国衆の所領安堵。堺の商人への貸付。

「上様。なにゆえ、違われますか」

「東国は、まだ固まっておらぬ。ゆえに、安堵は、早い」

「堺は」

「貸すな。商人に貸せば、返さぬ。律儀だ。だが、貸したものは、返らぬ。なぜなら、こちらが取り立てられぬゆえだ」

 (そうか)

 大名が商人に貸せば、取り立てにくい。力で取れば、商人が逃げる。

「ならば、いかがすれば」

「貸すな。出資せよ。返させるのではない。儲けを、分けさせる」

 (出資だ)

 貸付ではなく、共同事業にする。宗易の「約束の貸し借り」を、この人は、別の形で知っていた。

「上様。お見事にございます」

「褒めるな」

「上様。これを、書き記してよろしゅうございますか」

「書け。そして、勘九郎に渡せ」

「上様。一つ、申し上げてよろしゅうございますか。今の話は、大きゅうございます。七件のうち、五件は、中将様と同じでございました。二件は、違いました。その二件が、上様と中将様の違いにございます。そして、その違いを、書き記せば、中将様は、上様に近づかれまする」

「日向守。それを、これからもやれ。勘九郎が裁いたものを、わしに見せよ。そして、違うところを、書き留めよ」

 (これは、教育の仕組みだ。そして、それは、上様が自分で言われた)


    ◇


 その日から、始まった。信忠が裁く。信長が見る。違うところを、俺が書き留める。

 三月で、七十件を超えた。そして、面白いことが分かった。

 (違いが、減っている)

 最初の月は、十件のうち三件が違った。三月目には、十件のうち一件になった。

「日向守。これは」

「中将様が、上様に近づいておられます」

「日向守。それは、良いことか」

「半分は、良うございます。――同じになれば、二人おる意味がございませぬ」

 信長は、少し笑ったようだった。

「日向守。おぬしは、面倒なことを言う」

「上様。ゆえに、一つ、お願いがございます。違うところを、そのままにしていただきとうございます。『わしはこうする』とだけ、仰せくださいませ。『こうせよ』とは、仰せられませぬよう」

「なぜだ」

「中将様が、上様の写しになるゆえにございます。そして、写しは、本物に及びませぬ」

「ならば、どうする」

「違いを、残してくださいませ。そして、中将様が、ご自分で選ばれるようになさいませ。『父上ならこうする。だが、わしはこうする』と」

「日向守。それは、腹が立つな」

 俺は、少し笑った。

「さようにございましょう」

 信長は、しばらく黙っていた。

「――だが、そうする」

 道具は、使う者が変われば、違うものになる。この人は、去年、そう言った。今年、それを、自分の息子に許した。


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