第133話 明智の家を、渡す
文禄二年、正月。
六十五になった。そして、決めた。家督を、渡す。
家中を集めた。三十五人。十六年前より、少し増えている。
白紙を掲げた。
(三度目だ)
十六年前。八年前。そして、今。
「皆に、告げる。家督を、渡す」
「殿ッ」
「利三。落ち着け。死ぬわけではない。渡した後も、俺はおる。そして、見ておる。上様が、中将様になさったのと、同じだ。――光慶に渡す。十八だ」
「殿。若すぎ申す」
「若い。ゆえに、渡す。俺が、生きておるうちに渡さねばならぬゆえだ。死んでから渡せば、教えられぬ。――皆。俺は、あと二、三年だ」
部屋が、動いた。
「薬師に、言われた。そして、それは、たぶん当たっておる。ゆえに、今、渡す。そして、二、三年、教える。これは、逃げではない。備えだ」
◇
二月。光慶が、家督を継いだ。だが、実際には、何も変わらなかった。
「父上。何をすればよろしいのですか」
「決めることだ。何でもよい。今、家中で決めておらぬことを、決めよ」
「父上。分かりませぬ」
「ならば、聞け。家中の者に、『何が決まっておらぬか』と聞け」
「父上。それは、恥ずかしゅうございます。当主が、家中に聞くのは」
「俺は、聞いておる。十六年、聞いておる。船頭に、湖のことを。馬飼いに、馬のことを。そして、台所の女に、台所のことを」
「父上。それは、存じております。ですが、わたくしには、できませぬ。父上は、既に多くをご存じにございます。ゆえに、聞いても、恥にはなりませぬ」
俺は、しばらく黙っていた。
(そうか)
知っている者が聞くのは、確認だ。知らない者が聞くのは、無知だ。りんは、それを問うた。この子は、まだ問えない。
「光慶。よく気づいた。それは、正しい。だが、逃げてはならぬ。ゆえに、こうする。――寄合を、おぬしが仕切れ。寄合は、決める場ではない。並べる場だ。ゆえに、おぬしが知らずとも、務まる。順に、聞け。『この一月、何があったか』と。そして、書き留めよ。それだけだ」
◇
三月。最初の寄合が、行われた。俺は、末席に座った。そして、口を開かなかった。
黙って座るのは、三度目だ。一度目は、村井様の役所で、利三の後ろに。二度目は、北ノ庄で、三沢の後ろに。今日は、自分の家で、自分の子の後ろに。三度とも、言いたいことは、三つ以上あった。
光慶は、震えていた。だが、始めた。
「皆。この一月、何があったか」
誰も答えなかった。十八の若者が、仕切っている。家中は、様子を見ている。
利三が、言った。
「申し上げます。丹波の道が、崩れており申す。北の峠にござる。先月の雨からにござる」
光慶は、書き留めた。
「他には」
(そこで、終わるか)
普通なら、「どうするか」を聞く。だが、それは決めることだ。この子は、並べることに徹した。
「申し上げます。荷が、遅れております。二日にございます。なぜかは、分かりませぬ」
三沢だった。光慶は、書き留めた。しばらく黙っていた。そして――
「今、二つ出ました。『丹波の道が崩れた』と、『荷が二日遅れた』にございます。――これは、繋がっておりますか」
俺は、身を乗り出した。
(繋げた)
三沢は、しばらく黙っていた。
「繋がっており申す。北の峠を通る荷が、迂回しております」
「ならば、道を直せば、荷は戻りますか」
「戻り申す」
「ならば、道を直しまする」
(決めた)
「若殿。お待ちくださいませ。道を直すには、費えがかかり申す。三十貫ほど」
光慶は、しばらく黙っていた。
「荷が二日遅れると、いかほどの損にございますか」
(比べた)
「月に、十貫ほどかと」
「ならば、三月で、三十貫にございます。道を直せば、三月で元が取れまする。――直しまする」
(計算した)
「承知いたし申した」
◇
寄合の後。
「光慶。今日は、どうだった」
「怖うございました」
「だが、決めたな」
「決めてしまいました。間違うておるかもしれませぬ」
「間違うておる。たぶん、どこかが間違うておる。だが、それでよい。間違いは、直せるゆえだ。だが、決めねば、直すこともできぬ。光慶。今日、おぬしは、直せるものを作った」
「父上。父上は、決めるとき、怖くございませぬか」
「怖い。十六年、怖い。そして、慣れぬ」
「父上。それは、良いことでございますか」
「良いことだ。怖くなくなれば、雑になる。そして、雑になれば、人が死ぬ」
「父上。もう一つ、伺ってよろしいですか。父上は、いつまで、見ておられますか」
「分からぬ。だが、いなくなる」
「父上。それまでに、何を教えていただけますか」
俺は、しばらく考えた。
「一つだけだ。――聞き方だ。何を決めるかは、教えられぬ。事情が、変わるゆえだ。だが、聞き方は、変わらぬ。三つある。一つ。『分からぬ』と言えること。二つ。『他には』と聞き続けること。三つ。聞いたことを、書き留めること」
「父上。それだけでございますか」
「それだけだ。だが、十六年やって、まだ足りぬ」
光慶は、書付を出した。舟の書付だ。七年、続いていた。堅田の舟、坂本の舟、堺の船、九州で見た南蛮の船。俺が九州から持ち帰った絵を、この子は、自分の綴じに足していた。
「父上。これは、聞いたことを書き留めたものにございます。そして、『分からぬ』も、書いてございます」
めくると、ところどころに、その四文字があった。
(三年続ければ、誰も真似できぬ)
七年前に俺が言った言葉を、この子は、七年、守った。家中で、この子を笑う者は、もういない。




