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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第十三章 鷹の帳面

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第130話 地図

第130話 地図


 天正二十年、四月。

 安土にいた。信長は、大きな部屋を用意していた。床に、紙が広げてあった。巨大な紙だった。十畳を覆っている。白紙だ。

「日向守。これだ。描く。だが、どう描くかが、分からぬ」

 (分からない)

 この人の口から、その言葉を聞くのは、四国のとき以来だ。

「上様。絵図なら、ございましょう」

「ある。国ごとの絵図が、六十六。だが、繋がらぬ。大きさが、揃っておらぬ。そして、向きも、揃っておらぬ」

 (枡と、同じだ)

「上様。ならば、揃えねばなりませぬ」

「どうやってだ」

 前世の知識を探った。測量。三角測量。だが、道具が要る。

「上様。一つ、思いつくことがございます。――道にございます。国と国の間には、道がございます。そして、その道の長さは、測れまする」

「日向守。それは、既に測っておる。道の普請をした折、測らせた」

「その書付は」

「村井が持っておる」

 俺は、少し笑った。やはり。


    ◇


 五月。京へ行った。村井貞勝は、七十三になっていた。まだ、役所にいた。

「日向守どの。道の書付でござろう。上様より、文が参り申した。『日向守が行く。道の書付を出せ』と」

 村井が出したのは、驚くほど厚い束だった。

「二十年分にござる」

 ――京より、安土まで。十二里三町。京より、大坂まで。十里半。京より、堺まで。十三里。

 (全部、測ってある)

「村井様。誰が測られました」

「道普請の者にござる。そして、それがしが、書き留め申した」

「村井様。これは、宝にございます」

「ただの、道の長さにござる」

「違いまする。これを繋げば、この国の形が見えまする」

 村井は、しばらく黙っていた。

「日向守どの。それは、まことでござるか」

「まことにございます」

 誤りの印を押した人は、道の長さも、誰も見ない帳面に、二十年書いていた。褒められる前例のない帳面が、国の形になる。


    ◇


 六月。安土に戻った。大きな紙の前に立った。信長も、そこにいた。

「日向守。始めるか」

「始めまする」

 まず、京を打った。紙の中ほどに。そこから、線を引いた。京より、安土まで。十二里三町。距離を、紙の上の長さに直した。点を打った。

「上様。これが、安土にございます」

「近いな」

「さようにございます。ですが、この紙は、まだ小そうございます。九州まで描けば、この紙では足りませぬ」

「ならば、大きくせよ。この部屋いっぱいだ」

 その日から、毎日、紙の上にいた。信長は、驚くほど熱心だった。自ら、墨を磨り、線を引いた。

 (子供のようだ)

 五十八の男が。速さも、鋭さも、この紙の上では要らなかった。要るのは、同じ枡で数えた道の長さだけだった。

 七月。紙の上に、畿内が現れた。

「日向守。狭いな。わしは、この狭いところを取るのに、二十年かけた」

「上様。狭いのは、紙の上だからにございます。歩けば、遠うございます」

「そうだな」


    ◇


 八月。東国が現れ始めた。だが、そこで止まった。

 (書付が、ない)

 東国の道は、測られていない。

「上様。東国は、描けませぬ。道が、測られておりませぬ」

「ならば、測らせよ。――滝川だ」

「上様。左近将監様は、東国の繋ぎをなさっております」

「知っておる。ゆえに、あの男だ」

 (そうか)

 あの人は、東国を歩き回っている。そして、道を知っている。

 滝川一益に文を書いた。返事は、十日で来た。

 ――承知いたし申した。だが、一つ、伺いたい。これは、何のためにござる。

 ――地図を、作っております。この国、全部の地図にございます。上様が、お作りになっております。

 返事は、五日で来た。

 ――上様が、地図を。それは、面白うござる。それがしは、三十年、東国を歩き申した。そして、その道が、地図になり申すか。日向守どの。それがしは、これまで、何も残しており申さなんだ。領国もござらぬ。家臣も少のうござる。そして、六十を過ぎ申した。

 俺は、拳を握った。

 ――ですが、道なら、残せ申す。日向守どの。測り申す。そして、書き申す。


    ◇


 九月。東国から、書付が来始めた。厚い。小田原より、鎌倉まで。鎌倉より、府中まで。府中より、川越まで。紙の上に置き、線を引いた。

 だが、書付には、道の長さ以外のものも混じっていた。

 ――右の道、北条家の許しを得て測り申した。小田原にて、氏政(うじまさ)どのに会い申す。「何のために測る」と問われ申したゆえ、「地図を作る」と答え申した。氏政どのは、「地図は、攻める者が作るもの」と申され申した。

 ――それがしは、こう答え申した。「攻める者も作り申す。だが、治める者も作り申す」と。

 俺は、その二行を、長いこと見ていた。

 (――上手い)

 滝川一益は、交渉を教わっていない。だが、三十年、東国を歩いてきた。歩いてきた者は、言い訳が上手くなる。

 書付の続きに、こうあった。

 ――氏政どのは、こう申され申した。「では、こちらの分も測ってよい。ただし、写しを一枚、こちらにも頂きたい」と。

 ――それがしは、承知いたし申した。日向守どの。差し出がましきことをいたし申した。お叱りを受け申す覚悟にござる。


    ◇


 その書付の末尾に、一枚、別の紙が挟まっていた。

 滝川様の手ではない。細い、几帳面な字である。

 ――三河、遠江、駿河の道、別紙のとおり。里数は、十年前より測り置き申した。お入り用とあらば、御自由に。

 署名は、なかった。かわりに、小さな印が一つ押してあった。

 俺は、その紙を広げた。

 道の長さが、びっしりと並んでいる。宿から宿、川の渡し、峠の上り下り。雨の季節に通れなくなる区間には、小さな印がついていた。

 東国の他のどの書付よりも、細かい。

 (――十年前)

 十年前に、俺は駿河でこの人に会っている。帰り際に『荷の覚』を一部渡した。戦に役立つものは要らぬ、戦が終わった後に要るものが欲しい、と言われて渡した紙である。

 あの人は、それを持ち帰って、自分の国を測った。

 そして十年、誰にも言わずに置いていた。

 俺は、しばらくその紙を見ていた。

 (――返ってきた)

 渡した紙が、十年かけて、別の形になって戻ってきている。

 滝川様の文に、こう添えてあった。

 ――この紙は、それがしが頼んだものにはござらぬ。測りに参ったところ、既にできており申した。「ついでに持って行ってくだされ」と申され申した。

 ――日向守どの。あのお方は、十年前から、地図を作る気でおられたのではござらぬか。

 俺は、その二行を読んで、筆を置いた。

 作る気でいたかどうかは、分からない。

 分かるのは、十年前に測っておいた者だけが、今日それを出せるということだ。

 ――測るのは、使う日が来る前である。

 俺は、その一行を書き足した。

 そして、もう一行。

 ――そして、使う日が来たときに黙っていられる者は、おそらく、いちばん遠くまで行く。

 俺は、すぐに返事を書いた。

 ――左近将監様。お叱りなど、ございませぬ。写しを渡すのは、正しゅうございます。地図は、隠せば疑われ、見せれば信じられまする。北条様が写しをお持ちであれば、こちらが東へ攻めるとき、必ず露見いたします。――ゆえに、攻めにくくなります。それは、上様にとって損に見えて、実は得にございます。

 筆を止め、書き足した。

 ――そして、北条様も、同じことをお考えになるでしょう。


    ◇


 九月の末、越後からも書付が来た。

 こちらは、頼んでいない。

 ――越後、上杉家より。景勝(かげかつ)どのの名代として、直江山城守(なおえやましろのかみ)と申す者が参り申した。

 滝川様の文である。

 ――「北条が地図を作ると聞いた。ならば、こちらも入れてくだされ」と申され申した。それがしは、「上様のお許しがいる」と答え申した。すると、こう返され申した。「許しを待つ間に、道は変わらぬ。測るだけ測っておいてくだされ」と。

 俺は、その一行で、少し笑った。

 (――上手い)

 測るだけなら、政ではない。政にするかどうかは、後で決められる。

 ――この直江という者、まだ二十三、四にござる。だが、話が速い。そして、こちらの言うことを、二度言わせ申さぬ。

 俺は、その二行を書き留めた。

 二度言わせない、というのは、聞いている者の技である。


    ◇


「上様。越後が、地図に入れてくだされ、と申しております」

 信長は、地図から目を上げた。

「上杉か」

「さようにございます」

「――入れよ」

「よろしいので」

「よい。あの家は、今、動けぬ。柴田が北陸を押さえておるゆえだ」

 信長は、そう言って、また墨を磨り始めた。

「日向守。動けぬ家ほど、こういう話に乗ってくる」

「――なにゆえでございましょうか」

「――何もせぬと、忘れられるゆえだ」

 俺は、その一言を書き留めた。

 (――上様も、そうか)

 この人は、今、地図を描いている。九州を片づけ、天下が静まって、攻める先がなくなった人が。


    ◇


 十月。書付の中に、一つ、見慣れぬ名があった。

 ――奥州、伊達。

 俺は、地図の北の端を見た。まだ、白い。

 ――日向守どのへ。奥州の道は、測れ申さぬ。遠すぎ申す。ただし、聞き取りはいたし申した。奥州には、伊達という家がござる。当代は、まだ十七、八の若者にて、去年、家督を継いだと聞き申す。

 ――この者、片目にござる。幼き頃の病にて、右の目を失うたとか。それを恥じておったが、家臣が「その目は、もう見えぬ。ならば捨てよ」と申し、自ら抉らせたという話にござる。まことかどうかは、分かり申さぬ。

 俺は、その話を、二度読んだ。

 (――噂だ)

 たぶん、半分は作り話だ。だが、作り話が作られること自体が、その人物についての情報になる。人は、つまらぬ男の噂は作らない。

 ――名は、政宗と申すそうにござる。伊達藤次郎政宗(だてまさむね)。

 ――日向守どの。この者、まだ小そうござる。だが、奥州の家は、皆、この者を見ており申す。

 俺は、その一行を、書き留めた。

 (――十七、八)

 中将様が坂本に来られたのが、十九だった。

 あのとき、俺は「六年しかない」と思っていた。だが、この若者には、四十年ある。

 紙の北の端を、指で押さえた。

 (――ここは、まだ描けぬ)

 描けないところを、描けないまま残しておく。それも、地図の作り方の一つだ。

 俺は、紙の北の端に、小さく書いた。

 ――此より北、測らず。道の長さ、知れず。

 ――ただし、家あり。伊達と申す。当代、政宗。若し。


    ◇


 十月の末。東国が、紙の上に現れた。

「広いな」

「広うございます」

「日向守。わしは、東国へ行ったことがない。遠江までだ。その先は、知らぬ」

「上様。行かれますか」

「行かぬ。五十八だ。そして、この地図がある。日向守。地図があれば、行かずとも見える。これは、面白い」

「上様。それが、書くということにございます。書けば、見ておらぬ者にも、見えまする。そして、行けぬ場所にも、行けまする」

「日向守。十五年、おぬしはそれを言うておったのか」

「さようにございます」

「今、分かった。――遅いな」

 俺は、少し笑った。

「十五年でございます」

「そうだな。だが、分かった」


    ◇


 十一月。地図は、九州まで届いた。部屋いっぱいになった。

 紙の端に立って、全体を見た。

 (これが、この国だ)

 長い。そして、細い。

「日向守。細いな。そして、海に囲まれておる。――日向守。この国は、守りやすいな。海が、堀だ」

 (そうか)

 この国は、島だ。海は、天然の堀だ。

「だが、堀は、出るのも難しい。日向守。この国は、これでよい。出ずともよい。中を、良くすればよい」

 俺は、深く平伏した。

 (変わられた)

 十五年前、この人は「わしが歩けば、そこが道になる」と言った。今は、他人が歩いた道を、紙の上に写している。

「上様。一つ、お願いがございます。この地図に、名を入れてくださいませ。測った者の名にございます。道普請の者。滝川様。村井様。そして、上様の名を」

「日向守。おぬしの名は」

「要りませぬ」

 信長は、しばらく黙っていた。

「書け。おぬしが、繋いだ。ゆえに、書け」

 俺は、紙の隅に、小さく書いた。地図の中で、いちばん小さい字だった。それでも、玉の言った通りだ。名がなければ、誰も信じぬ。


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