第127話 長い道
天正十九年、三月。
信長と共に、西へ向かっていた。
行軍は、遅かった。兵が、多い。三万を超えている。そして、荷駄が、その倍だ。
(これが、天下だ)
十四年前、織田家は畿内の家だった。今は、この行列が、西へ行く。
道中、毎日、信長と話した。最初の話は、鷹の量り方だった。
「日向守。鷹は、朝に量る。食う前だからだ。食えば、重くなる」
「他には」
「同じ秤を使う。秤を替えれば、数が変わる」
(枡と、同じだ)
「他には」
「量る者を、替えぬ。人が替われば、持ち方が変わる。そして、持ち方が変われば、数が変わる」
――量るときは、同じ刻、同じ秤、同じ者にて。
「上様。これは、大きゅうございます。比べるための決まりにございます。同じ刻、同じ秤、同じ者。これが揃わねば、違いが見えませぬ」
「日向守。当たり前のことだ」
「上様には、当たり前にございます。ですが、家中の者には、当たり前ではございませぬ。ゆえに、書きまする」
利三と書付を並べたとき、三つ目に出てきた「数えた日が違う」を、この人は三十一年前から知っていた。
◇
四月。播磨に入った。姫路で、羽柴秀吉が迎えた。五十五になっていた。そして、太っていた。
「上様ッ! ようこそ!」
声は、変わっていない。
「日向守様。お痩せになられた。奥方様のこと、伺い申した。お悔やみ申し上げる」
その夜、秀吉と話した。二人だけだった。
「日向守様。上様は、九州で終いと申されたそうにござるな。そして、その後は、中将様と」
「さようにございます」
「日向守様。それがしは、どうなり申す」
(正直に答えるか)
「筑前殿。それがしにも、分かりませぬ。ですが、一つだけ、申せることがございます。筑前殿が、いちばん力をお持ちにございます。そして、それは、変わりませぬ。中将様が家督を継がれても、筑前殿が、いちばん力をお持ちにございます」
「ゆえに、危ういと」
「さようにございます」
「日向守様は、はっきり申されるな」
「ですが、筑前殿。一つ、お考えいただきたいことがございます。力を持つことと、力を使うことは、別にございます。筑前殿は、力をお持ちにございます。ですが、使わぬこともできまする」
「なにゆえ、使わぬのでござる」
「使えば、失うゆえにございます。筑前殿が、二十年かけて作られたものにございます。播磨。但馬。因幡。備前。これらは、筑前殿が治められました。力を使えば、戦になりまする。そして、戦になれば、治めたものが、崩れまする」
「日向守様。それは、それがしを縛る言葉にござるな」
「さようにございます。ですが、筑前殿。縛られておるのは、それがしも同じにございます。それがしは、十四年、書付を書いてまいりました。そして、それが、それがしの縄にございます。それがしは、突然、別のことができませぬ」
「日向守様。それは、窮屈にござろう」
「窮屈にございます。ですが、楽にもございます。迷わずに済みますゆえ」
「日向守様。それは、羨ましゅうござる。それがしは、毎日、迷うており申す。そして、迷うのは、疲れ申す」
「筑前殿。ならば、縄をお作りくださいませ。『これだけは、せぬ』というものを、決めてくださいませ」
「日向守様は、何を決めておられる」
「三つ、ございます。一つ。隠さぬこと。二つ。己一人で、兵を動かさぬこと。三つ。――上様と、中将様が、同じ場所におられぬようにすること。二つ、同時に失うことを、防ぐためにございます」
「日向守様。それは、十四年、考えておられるのでござるな。ならば、それがしも、決め申そう。一つだけ、決め申す。――『上様と中将様が、共におられる限り、それがしは動かぬ』と」
俺は、しばらく黙っていた。
(「共におられる限り」。逆に言えば、どちらかがいなくなれば、動く)
「筑前殿。それは」
「お分かりでござろう。それがしは、嘘は申さぬ」
「――かたじけのうございます」
「日向守様。それがしは、日向守様が好きにござる。ですが、味方とは限り申さぬ」
「存じております」
この男は、縄を作った。だが、その縄は、二人が同じ場所にいるときにだけ効く。俺の三つ目の縄と、逆向きに結んである。それを、隠さずに言った。心覚えの書に、写す。
◇
六月。九州に入った。戦が始まった。だが、戦と呼べるものではなかった。島津は、戦わずに降った。三万の軍を見て。
(終わった)
十四年。そして、天下が、静まった。
七月。九州の陣で、信長と話していた。
「日向守。終わったな。――日向守。わしは、これから何をする」
(来た)
「次」がなくなった。この人が、いちばん恐れていたことだ。
「上様。治めることにございます」
「勘九郎がやる」
「さようにございます。ゆえに、上様は、別のことをなさいませ。――鷹を、量ってくださいませ。そして、その量り方を、教えてくださいませ。若い者に」
「日向守。それは、退屈だ」
「退屈にございます。ですが、三十一年、続けてこられました。上様は、退屈なことを、三十一年続けられるお方にございます」
「日向守。おぬしは、うまいことを言う。だが、退屈は、退屈だ。――日向守。わしは、海を見たい。九州の先には、海がある。そして、その先には、国がある」
(行かれるのか)
「上様。渡られますか」
「渡らぬ。だが、見る。見て、描く。――地図をだ。この国の地図を、描く」
(地図)
この時代、正確な日本地図はない。誰も、全体を見たことがない。
「上様。それは、大きな仕事にございます」
「そうだ。そして、退屈だ」
俺は、少し笑った。
「日向守。おぬしも、やれ」
「喜んで」




