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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第十三章 鷹の帳面

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125/151

第125話 誰も、止めぬ


 天正十八年、正月。

 坂本にいた。年賀には、出なかった。喪に服す、と届けた。だが、本当は、動けなかった。

 毎日、書院にいた。そして、帳面をつけた。煕子の帳面を、続けている。誰が、どうしたかを。

 だが、書けなかった。

 (知らない)

 城中の誰が、何をしているか。俺は、知らない。

 (聞くしかない)


    ◇


 その日から、城中を歩いた。台所へ行った。およしがいた。二十六になっていた。子を抱いていた。

 板が、浮かんだ。この十年、下働きの者に板が出たことはない。

 ――――――――――――――――――

 およし 二十六歳

 坂本城 台所

 【総評】毎日、同じ顔を見ている者。

 ――――――――――――――――――

 ◆特記事項

  変化の察知    九十五

  己の功への自覚    三

  字        四十二

  桶の重さの記憶    百

 ――――――――――――――――――

 (――変化の察知、九十五)

 諸将の誰よりも高い。上様でさえ、この項目は九十を超えていない。

 そして、己の功への自覚、三。

 (――この者は、自分が何をしているか、分かっておらぬ)

「お、お殿様ッ」

「よい。子は、元気か」

「元気にございます。与一と申します」

「およし。一つ、聞きたい。煕子は、何を書いておった」

「人のことにございます」

「どうやって、知っておった」

「聞いておられました。毎日、お一人ずつ。『変わったことはないか』と。そして、『困っておることはないか』と」

 二つを、書き取った。

「およし。答えたか」

「最初は、答えませなんだ。言うても、仕方がないと思うておりましたゆえ」

 (同じだ)

 家中が言わなかった理由と、同じだ。

「いつから、答えるようになった」

「半年ほど後にございます。お方様が、直してくださったゆえ。――桶にございます。台所の桶が、重うございました。女子が持つには、大きすぎたのでございます。言いました。そして、三日で、小さい桶が来ました」

 (三日)

 小さなことだ。だが、三日で直った。

「およし。それで、答えるようになったか」

「さようでございます。言えば、直ると分かりましたゆえ」

 ――言うても仕方がないと思う者は、言わぬ。一つでも直れば、言うようになる。ゆえに、小さなことを、早く直せ。

 (煕子は、これをやっていた)

 十三年、毎日、一人ずつ聞いて。そして、小さなことを直していた。俺が「報告には必ず返事を書く」と決めた家で、この人は、返事の代わりに、桶を替えていた。

 その日から、同じことを始めた。毎日、一人。城中の者に、聞く。最初は、誰も答えなかった。当然だ。俺は、城主だ。

 一月ほど経って、変わってきた。

「お殿様。門の閂が、固うございます」

 その場で、直させた。二日で、直った。

 その次の日から、言う者が増えた。三月には、日に三つ、四つと出るようになった。全部書き取った。そして、直せるものは、直した。


    ◇


 だが、四月。俺は、倒れた。

 書院で、書付を書いている最中だった。突然、前が見えなくなった。気づくと、床にいた。利三が、隣にいた。顔が、真っ赤だった。泣いている。

「泣くな」

「泣いており申さぬ。殿。三日にござる」

 (三日)

 十四年前と、同じだ。あのときは、四日だった。

 薬師が来た。八十六の老人だ。脈を取り、言った。

「日向守様。お疲れにござる。それだけにござる。ですが、今度は、深うござる。――お方様が、亡くなられ申した。そして、日向守様は、止める者を失われ申した」

 俺は、動けなかった。

 (止める者)

 煕子は、俺を止めていた。「休め」と、言っていた。「たまには、今日終わることを」と。

「先生。利三がおります」

「斎藤様は、家臣にござる。家臣は、止めきれ申さぬ」

 (そうか)

 利三は、止めようとする。だが、最後には、従う。花押の覚でも、俺はそう言った。

「先生。ならば、いかがすれば」

「ご自分で、止まるしかござらぬ」

「それは、できましょうか」

「難しゅうござる。六十年、医をしており申すが、己で止まれた者を、見たことがござらぬ」

「先生。ならば、決まりにいたします」

 老人は、少し笑った。

「日向守様らしゅうござる」


    ◇


 書付を作った。

 ――日向守、休みの覚。一、月に三日、書付を持たざる日を設く。二、右の日は、亀山・坂本のいずれにもおらざること。三、右を守らざるときは、斎藤利三、明智秀満、三沢の三名にて、これを止むること。

 三条目で、手が止まった。家臣に止めさせる。だが、家臣は止めきれない。

 ――四、右を止めたる者を、咎めざること。むしろ、功とす。『功の書』の『止めたる功』に記すこと。

 (これなら)

 止めることが、手柄になる。ならば、止めやすくなる。中将様が作った項目が、俺を止める道具になった。

 家中に配り、信忠にも送った。返事は、五日で来た。

 ――書付、読んだ。そして、足りぬと思うた。家臣が主を止めるのは、難しい。ゆえに、わしが止める。月に三日、そなたを呼ぶ。そして、その三日は、書付の話をせぬ。日向守。これは、命令だ。そなたは、命令には従うであろう。

 (上手い)

 俺は、自分では止まれない。だが、命じられれば、従う。


    ◇


 五月から、始まった。月に三日、岐阜へ行った。いや、岐阜ではない。

「日向守。城では、話をしてしまう。ゆえに、外へ行く」

 最初に行ったのは、鷹狩だった。俺は、鷹狩をしたことがなかった。この体はしている。だが、俺は覚えていない。

「日向守。鷹を持て」

 腕に鷹を乗せた。重い。そして、しばらく歩いた。何も、喋らなかった。

「日向守。鷹は、腹が減っておらねば、飛ばぬ。だが、減りすぎておっても、飛ばぬ。力が出ぬゆえだ。ゆえに、毎日、量を測る。鷹を、量る。そして、毎日、書き記す」

 (帳面だ)

「中将様。それは、いつからなさっておられます」

「十のときからだ。父上に、教わった。『鷹は、毎日量れ』と。『そして、書き留めよ』と」

 俺は、動けなかった。

 (上様が)

「中将様。上様は、ご自身では書かれませぬな」

「書かぬ。だが、鷹だけは、書いておられた。今も、書いておられるはずだ」

「なにゆえ、鷹だけ」

 信忠は、しばらく黙っていた。

「分からぬ。だが、一度、聞いたことがある。『鷹は、わしに何も言わぬゆえ』と」

 俺は、動けなかった。

 (そうか)

 人は、言う。だが、鷹は、言わない。言わないものは、測るしかない。そして、測ったものは、書き留めるしかない。

 しばらく歩いていた。

 (上様は、知っていた)

 言わないものを、どう扱うかを。そして、家臣は、言わない。

 その日、書いた。

 ――人は、言わぬ。ゆえに、量らねばならぬ。そして、量ったものを、書き留めねばならぬ。上様は、それを、鷹で知っておられた。だが、人には、使われなんだ。

 (なぜだ)

 ――なぜならば、人は、言うと思うておられたゆえ。


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― 新着の感想 ―
鷹の帳面、これだったんですね。納得です。
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