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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第十三章 鷹の帳面

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123/151

第123話 丹後


 天正十七年、三月。

 俺は、丹後にいた。六年ぶりだった。玉が嫁いでから、初めてだ。

 宮津の城で、細川藤孝が迎えた。五十六になっていた。

「日向守どの。よくぞお越しくださった。――六年、でござるな」

「申し訳ございませぬ」

「謝られることではござらぬ。日向守どのは、天下を回っておられた。――だが」

 扇を閉じた。

「玉どのは、待っておられ申した」

 俺は、動けなかった。

「兵部大輔様。玉は」

「変わっており申さぬ。理屈を、こねられまする」

 俺は、思わず笑った。

「そして、細川の家を、変えられ申した。奥の女子が、皆、字を書き申す。そして、帳面をつけており申す。――人の帳面にござる。誰の子が生まれた。誰の親が死んだ。誰が足を痛めた。誰が困っておる。それを、書いておられる」

 (煕子の帳面だ)

 煕子から、玉へ。そして、細川の家へ。

「日向守どの。一つ、申し上げてよろしいか。それがしは、最初、嫌でござった。女子が、字を書くことにござる。細川は、古い家にござる。そして、古い家には、古いやり方がござる」

「今は、いかがでございますか」

「――助かっており申す。去年、家中で流行り病がござった。そのとき、玉どのが書付を出され申した。『長く病む者の看方』とやらにござる。桶の水を替え、部屋を分け、看る者を定め申した。そして、死んだ者は、三人で済み申した」

「病んだ者は、幾人でございましたか」

「四十二人にござる。以前なら、半分は死んでおり申した」

 俺は、深く平伏した。

「日向守どの。かたじけのうござる」

 藤孝は、扇を膝に置き、深く頭を下げた。

「兵部大輔様。おやめくださいませ」

「いや。これは、申し上げねばならぬ。六年前、それがしは、日向守どのの書付を『歌に詠みにくい』と申し申した。それがしは、あれを、縁起の悪いものと思うており申した。――だが、違い申した。あれは、人を生かす書付にござった」


    ◇


 その日の夕、玉に会った。二十五になっていた。

 (煕子に、似た)

 背筋の伸び方が、同じだ。

「父上」

「玉。久しいな」

「六年でございます。――父上。謝られませぬよう。文は、頂いておりました。月に一度、必ず」

「返事は、来なんだな」

「書いておりました。出しませなんだ」

「なぜだ」

「父上の書付に、こうございました。『婚家の悪しきことを、実家に告げぬこと』と」

 (玉が書いた条だ)

「玉。あれは、おぬしが書いた」

「さようでございます。そして、守りました」

「辛いことも、あったか」

「ございました」

「話してくれるか」

「もう、済んだことでございます」

「玉。済んだことでも、聞きたい」

 玉は、しばらく黙っていた。

「父上。一つだけ、申し上げます。夫は、癇の強い方でございます。そして、二年目に、一度、刀を抜かれました。侍女にございます。膳の運び方が、悪かったと」

「斬られたか」

「斬られませなんだ。わたくしが、間に入りましたゆえ。そして、こう申しました。『半刻、庭にお出になってくださいませ』と」

 俺は、動けなかった。

 (俺が、言ったことだ)

 六年前、忠興に言った。怒られたら、部屋を出てくださいませ。半刻でよろしゅうございます、と。あの言葉が、玉の口を通って、刀と侍女のあいだに立った。

「与一郎どのは、出られたか」

「出られました。そして、戻られて、こう申されました。『日向守どのに、教わったか』と。わたくしは、『父上に、教わりました』と」

 俺は、しばらく座っていた。

「玉。すまなかった。あの男を、選んだことだ」

「父上。それは、違います。夫は、変わられました。今は、腹が立つと、ご自分で庭に出られます。そして、戻られて、こう仰せられます。『済まぬ』と。――父上。人は、変わります。ただ、変わるには、道が要ります。『庭に出る』という道を、父上が教えてくださいました」

「玉。それは、俺の手柄ではない。与一郎どのが、庭に出られたゆえだ」

 玉は、少し笑った。

「父上。それも、違います。わたくしが、間に入りましたゆえでございます」

 俺は、少し笑った。

「玉。おぬしは、変わらぬな」

「父上も、変わられませぬ」


    ◇


 その夜、孫に会った。二人いた。上が五つ。下が三つ。

 上の子は、俺を見て、言った。

「おじいさま」

 俺は、動けなかった。

 (おじいさま)

 そう呼ばれたことがない。前世でも、この世でも。三つの世を生きて、初めてだった。

「おじいさまは、どこから来られました」

「近江だ」

「近江は、遠いですか」

「遠い」

「では、なぜ来られました」

 俺は、しばらく答えられなかった。

「――約束したゆえだ。おぬしの母とだ」

 子は、玉を見た。

「母上。まことですか」

 玉は、懐から紙を出した。半分に裂かれた、白紙だった。いや、白紙ではない。俺の字で、こうある。

 ――一、年に一度、必ず会いに行く。

「ここに、書いてございます」

 子は、覗き込んだ。

「読めませぬ」

「ゆえに、字を習うのです」

 俺は、その光景を、しばらく見ていた。

 (六年、守らなかった)

 「年に一度」と書いて、六年守らなかった。だが、この紙は、残っていた。約束を破った証拠が、約束を思い出させる道になった。

「玉。四条目を、覚えておるか」

「覚えております。『明智と細川が敵となりし場合、おぬしは父を捨ててもよい。誰も、それを咎めぬ。父も、咎めぬ』」

「玉。それを、一つ、直したい。『敵となりし場合』を、『父が、謀反人と呼ばれし場合』としたい」

「父上。それは、何が違うのですか」

「敵になるのは、両家のことだ。だが、謀反人と呼ばれるのは、俺一人のことだ。そして、俺は、後者を恐れておる」

「父上。何かございましたか」

「何もない。だが、形が、揃うことがある。そして、形が揃えば、人は疑う」

 玉は、しばらく黙っていた。

「父上。直しませぬ。『捨ててもよい』は、既に書いてございます。何があろうと、わたくしは、捨ててもよいのです。ゆえに、直す要はございませぬ」

「玉。おぬしは、捨てるか」

「捨てませぬ」

「なぜだ」

「『捨ててもよい』と書いてくださった父上を、捨てられませぬゆえ」


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