第122話 中将様の天下
天正十七年、正月。
信忠が、天下の仕置きを始めて、一年が過ぎた。
安土の年賀に出た。そして、変化に気づいた。
諸将の目が、信忠を見ている。
(去年とは、違う)
去年までは、諸将は上様を見ていた。信忠が何か言っても、上様の顔を確かめた。今は、違う。
その日の評定を、注意して見ていた。議題は、北陸の兵の割り振りだった。八年前と、同じ議題だ。
柴田勝家が、願い出た。
「中将様。越前より、兵を増やしとうござる」
(中将様に、願い出た)
八年前、この人は上様に願い出た。今は、信忠に願い出ている。
信忠は、書付を読んだ。
「修理。三つ、聞く」
俺は、笑いそうになった。八年前と、同じだ。
「一つ。兵は、どこから出す」
「越前と、加賀からにござる」
「二つ。近江からは、出さぬのだな」
「出し申さぬ。近江から出せば、丹波と播磨への荷が細り申す」
俺は、動けなかった。
(覚えている)
八年前、信忠がこの人に問うたことだ。そして、この人は答えられなかった。今は、先に言っている。
「三つ。この兵で、加賀は落ちるか」
勝家は、しばらく黙っていた。
「――落ちませぬ」
広間が、ざわついた。
(正直に言った)
「ならば、なぜ増やす」
「落とすためではござらぬ。守るためにござる。――冬にござる。中将様。北陸の冬は、四月にござる。その四月、こちらは動けませぬ。そして、動けぬ間に、加賀の者が動き申す。こちらの城の周りに、砦を築き申す。そして、春になると、こちらは砦を崩すことから始め申す。毎年、それにござる」
(なるほど)
攻めるためではなく、冬の間の防御のため。そして、それは、翌年の攻めを早める。雪を数えた人の、言葉だ。
「修理。認める。ただし、一つ、条件がある。春に、砦がいくつあったかを、数えて報せよ。そして、来年の春も、数えよ。兵を増やして、砦が減ったなら、それは効いたということだ。減らなければ、別の手を考えねばならぬ」
俺は、深く平伏した。
(育った)
これは、俺が教えたことではない。この人が、自分で作った。
◇
評定の後、信忠に呼ばれた。
「日向守。今日は、どうだった」
「お見事にございました」
「そなたは、そればかりだな」
「他に、申し上げることがございませぬゆえ」
「日向守。一つ、聞きたい。――わしは、父上のようになれるか」
(八年前と、同じ問いだ)
「なれませぬ」
「八年前と、同じことを言うな」
「同じにございます。ですが、一つ、変わったことがございます。八年前、中将様は『追いつけるか』とお尋ねになりました。今は、『なれるか』とお尋ねになりました。追いつくのと、なるのは、違いまする。追いつくのは、同じ道を走ることにございます。なるのは、同じ場所に立つことにございます。――道は、違うてもよろしゅうございます」
「日向守。そなた、うまく言うな」
「上様にも、同じことを申されました」
信忠は、少し笑った。
「父上と、同じことを言うか」
「さようにございます」
「日向守。もう一つ、聞きたい。――そなたは、あと何年、働ける」
(来た)
「分かりませぬ」
「六十一だな。父上は、五十六だ。そして、わしは、三十二だ。日向守。わしは、そなたより三十年、長く生きる。ゆえに、そなたがおらぬ三十年を、考えねばならぬ。――そなたの跡を継ぐ者を、育ててくれ」
「育てております。斎藤利三。明智秀満。三沢。そして、それがしの子にございます」
「子は、幾つになった」
「十四にございます」
「日向守。その子を、わしに預けよ。わしのもとで、育てる」
俺は、しばらく黙っていた。
(どういう意味だ)
二つの読み方がある。人質。明智の家を縛るための。育成。次の世代を作るための。
「中将様。それは、人質にございますか」
「そう思うか」
「思いませぬ。ですが、外から見れば、そう見えまする」
「日向守。そなた、また『外から見れば』か。――だが、正しい。ゆえに、こうする。日向守の子だけではない。柴田の子も、羽柴の甥も、丹羽の子も、滝川の子も。全部、預かる」
(全部)
全員なら、人質ではない。前世の言葉なら、学校だ。
「中将様。それは、何をなさるおつもりでございますか」
「教える。そして、互いを知らせる」
(そうか)
次の世代を、若いうちに繋いでおく。そうすれば、次の代では、諸将が互いを知っている。俺が「諸将直繋ぎの覚」でやったことを、この人は、二十年早く始める。
「中将様。それは、それがしの考えつかぬことにございました」
「日向守。そなたは、繋ぎを渡すことばかり考えておった。だが、渡すより、初めから繋いでおくほうが、易い」
「中将様。一つ、お願いがございます。――女子も、お預かりくださいませ。諸将の娘を、共に学ばせていただきとうございます。娘は、いずれ他家へ嫁ぎまする。そのとき、既に他家の者を知っておれば、嫁ぎ先が、初めての場所ではなくなりまする」
「日向守。それは、そなたの娘のことか」
「さようにございます。玉は、十九で嫁ぎました。そして、細川の家を、何も知りませなんだ。――それがしも、知りませなんだ」
「日向守。娘御は、今、いかがしておる」
「子を、二人産みました」
「会うておるか」
「――会うておりませぬ。丹後は、遠うございますゆえ」
信忠は、しばらく黙っていた。
「日向守。行け。丹後へ行け。一月、休みをやる。――命令だ。そなたが断れぬよう、命令にする」
「ありがたく存じます」
「日向守。そなたは、六年前、娘御に約束の書付を作ったそうだな。『年に一度、必ず会いに行く』と」
(知っている)
「どちらで、お聞きになりました」
「斎藤利三だ」
額を押さえた。またか。
「良い家臣だ。――日向守。そなたは、その約束を、守っておらぬな」
「守っておりませぬ」
「ならば、守れ。そなたは、諸将に『約束を守れ』と言うてきた。そなたが守らねば、誰も守らぬ」




