第12話 朝倉という旧取引先
枡の切り替えは、思ったより揉めた。
坂本の周辺、七つの村。その代表者たちを城に呼んだのは、秋も深まった頃だった。
俺は最初に、京枡を見せた。
「これより、明智の領では、この枡を使う」
村の年寄りたちの顔が、一斉に強張った。
言葉より先に、体が反応している。この人たちは、枡の話が何を意味するかを、骨で知っている。
「同時に、年貢の率を改める」
空気が、さらに冷えた。
誰も口を開かない。それどころか、目も合わせない。
――ああ。
これは、こちらの言葉を聞いていない。
結論を、もう出している。「新しい枡=増税」という結論を。
俺は紙を出しかけて、やめた。
そして、桶を持ってこさせた。
◇
庭に、二つの枡を並べた。
村で使われている古い枡と、京枡。
俺は自分の手で、古い枡に米を盛った。すり切りにして、それを京枡に移した。
京枡は、いっぱいにならなかった。
「見ての通りだ」
年寄りたちが、身を乗り出した。
「新しい枡のほうが、大きい。同じ『一石』でも、量が増える」
誰も、何も言わない。だが目つきが変わった。
「つまり、枡だけを変えれば、そのぶん年貢は増える」
俺は、言った。
「それを、増やさぬ」
年寄りの一人が、初めて口を開いた。
「……お殿様。それは、どういう」
「率を下げる。ちょうど、この差の分だけ」
俺は控えていた利三を呼び、算を弾かせた。
利三は珠を鳴らし、しばらくして、数を読み上げた。
「――五分と、三厘」
「その分、率を下げる。差し引き、村が納める米の量は、今までと変わらぬ」
年寄りたちが、顔を見合わせた。
まだ疑っている。当然だ。
「疑うだろう」
俺が言うと、年寄りたちがびくりとした。
「疑ってよい」
俺は、紙を出した。
利三が徹夜で書いた、七枚。村ごとに一枚。
「村ごとに、去年の納め高と、新しい枡と率での納め高を書いてある。持ち帰って、村の者と数え直せ」
最年長の年寄りが、震える手で紙を受け取った。
「……われらに、これを」
「読める者がおるだろう」
「……おりまする」
「ならば読ませよ。合わぬところがあれば、言ってこい。こちらが直す」
しんとした。
やがて、その年寄りが、恐る恐る言った。
「お殿様。もし、われらが……納得せなんだら」
俺は答えた。
「切り替えを、一年延ばす」
利三が、後ろで小さく息を呑んだ。
◇
年寄りたちが帰った後、利三が食い下がってきた。
「殿。一年延ばすと申されたが、あれは」
「言った通りだ」
「――上様は、京枡をお勧めになっておりまする。遅れれば」
「遅れて叱られるのは、俺だ」
俺は縁側に腰を下ろした。
「利三。強いて切り替えれば、村は従う。逆らえば潰されると知っているからな」
「……さようで」
「従うが、隠す」
利三が、眉を寄せた。
「収穫を隠す。田を隠す。人を隠す。表向きは従って、裏で数字が狂う」
これは前世で、嫌というほど見た。
納得のない目標を押し付けられた現場は、必ず数字を操作する。売上を翌月に回す。在庫を別の倉庫に移す。誰も悪人ではない。ただ、生き延びようとしているだけだ。
そして数年後、帳簿の上の会社と、実際の会社が、まったく別の生き物になる。
「利三。俺が知りたいのは、正しい数だ。正しい数が欲しければ、隠す気を起こさせてはならぬ」
利三は、しばらく黙っていた。
そして、ぼそりと言った。
「――殿。それが、浅井の話と繋がっており申すか」
俺は、この男を見た。
繋がっている。
この男は、それを自分で見つけた。
◇
その夜の書院。
俺は紙に、こう書いた。
――朝倉義景。越前の主。浅井にとって、何であったか。
「利三。おぬしは、越前をどう見る」
「古い家にござる」
利三は即答した。
「朝倉は、応仁の頃から越前を治めており申す。一乗谷は、京にも劣らぬ町であったと」
「強いか」
「……強うはござらぬ」
利三は、少し言葉を選んだ。
「兵は多うござる。国も富んでおり申した。されど、動きが遅い」
なるほど。
俺は紙に書いた。
――古い。大きい。富んでいる。遅い。
前世の言葉に置き換えれば、こうなる。
業界の老舗。資産はある。歴史もある。だが意思決定が遅く、変化に対応できない。
そして、浅井にとって、その老舗は「恩義のある取引先」だった。
浅井久政の代、浅井家は六角に押されて滅びかけていた。そのとき支えたのが朝倉だ。浅井家中の古参にとって、朝倉は命の恩人だ。
――取引先ではなく、恩人。
これが厄介なのだ。
取引先なら、条件で切り替えられる。
恩人は、切り替えられない。
「利三。では、織田はどう見える」
「――新しゅうござる」
「うむ」
「速い。強い。そして、恐ろしい」
利三は、そこで一度言葉を切った。
「浅井の者から見れば、そうであったかと」
俺は紙に、二つの円を描いた。
――朝倉(古い、恩義、遅い、弱い)
――織田(新しい、恐ろしい、速い、強い)
そして、その真ん中に、小さな円を描いた。
――浅井。
浅井長政は、この二つの間に立っていた。
現代で言えば、こういうことだ。
長年世話になってきた老舗の取引先と、急成長中の新興企業。新興企業と組めば、会社は伸びる。だが老舗を切ることになる。
しかも、社内の古参社員は全員、老舗との付き合いで育っている。
若い社長は、新興企業と組みたい。
だが古参は納得しない。
――そこへ、新興企業が言う。「あの老舗を、うちが潰す」と。
俺は筆を止めた。
手が、少し冷たくなっていた。
(――こうして書き出すと、詰んでいる)
長政に、どんな選択肢があったか。
朝倉を見捨てて織田につく。すると家中が割れる。父・久政をはじめとする古参が離反する。最悪、家中で殺される。
織田を裏切って朝倉につく。すると、織田と全面戦争になる。勝ち目は薄い。
中立を保つ。――どちらからも敵と見なされる。
三つとも、地獄だ。
「殿」
利三が、静かに言った。
「浅井備前守どのは、どれを選ばれた」
「二つ目だ」
「なぜ、と思われる」
俺は、しばらく答えられなかった。
それから、言った。
「――家中を、割らずに済む道を選んだのだと思う」
利三が、目を伏せた。
「あの人は、家を守ろうとした。守ろうとして、外を敵に回した」
俺は紙を見た。
「そして三年後、家ごと滅んだ」
部屋が、静かになった。
俺は、その静けさの中で、別のことを考えていた。
――俺だ。
六年後、俺は同じ位置に立つ。
織田家という新興企業。その中で、俺は方面軍を任されている。丹波の国衆を服属させ、彼らの上に立っている。彼らは俺を通じて織田を見ている。
そして、もし信長が、丹波の国衆に対して何かを決めたら。
俺は、彼らに説明できるのか。
できなければ、俺は長政と同じ場所に立つ。
(――いや)
俺は筆を取った。
そして、紙に大きく書いた。
――説明できる材料を、先に取っておく。
これだ。
浅井長政に足りなかったのは、忠義でも勇気でもない。
方針が変わる前に、その理由を家中に説明できる材料を、手元に持っておくことだ。
現代なら、こう言う。
――取次役に、決定の背景情報を渡せ。
組織の中で、外部と接する担当者は、常に二つの顔の間に立つ。本社の顔と、相手の顔。本社が方針を変えたとき、担当者に説明材料がなければ、担当者は相手の前で嘘つきになる。
嘘つきになった担当者は、信用を失う。
信用を失った担当者は――もう、本社の役に立たない。
俺は、書き終えた紙を見た。
この一行は、六年後の俺を救うかもしれない。
だが今は、まだ紙の上の言葉に過ぎない。
「利三」
「は」
「明日、丹波の国衆の名を、全部書き出せ」
「……全部で」
「全部だ。名と、家と、いつ服属したか、何を約束したか」
利三が、げんなりした顔をした。
そして、いつもの台詞を言った。
「――で、いつやりますので」




