第112話 命じられて、京にいる
思いついたのは、単純なことだった。
――命令として、京にいる。
自分の判断で京の近くにいれば、疑われる。なぜ、あそこにいた、と。だが、命じられて、いるなら。
その夜、文を書いた。
――中将様へ。お願いがございます。それがしに、京の警固を命じてくださいませ。上様が京に逗留される間、京の警固を務める者が要ります。それを、それがしに命じていただきとうございます。
筆を止め、書き足した。
――ただし、それがしから願い出たとは、なさらぬようお願いいたします。中将様が、お考えになったこととしてくださいませ。
(嘘を、頼んでいる)
胸が痛んだ。だが、出した。
返事は、六日で来た。
――文、読んだ。断る。
身を固くした。
――そなたの願いは、二つある。一つ、京の警固を命ぜよ。二つ、それを、わしが考えたことにせよ。一つ目は、認める。二つ目は、断る。なにゆえならば、嘘は、いずれ露見するゆえ。露見したとき、そなたはもっと疑われる。
(正しい)
嘘は、リスクを増やす。
――ゆえに、こうする。そなたが願い出たことを、書き記す。そして、わしが認めたことも、書き記す。両方を書いて、諸将に回す。
息を呑んだ。全部、公開する。隠さない。
――日向守。そなたは、隠そうとしすぎる。八年前、そなたはわしに教えた。『隠れてやっておることを、隠れたままにしておくのが、いちばん危ない』と。『表に出せば、条件がつけられる』と。ならば、そなたも、表に出せ。そして、条件をつけられよ。
俺は、書状を持ったまま、座っていた。
(負けた)
そして、それが嬉しかった。玉に負けたときと、同じ嬉しさだった。
◇
四月の末。中将様の名で、触れが出た。
――上様御在京の間、京の警固を、明智日向守に命ずる。右は、日向守より願い出でたるものなり。中将、これを認む。
(書いてある)
どう読まれるか。二通りある。「日向守は、警固の役を欲しがった」。悪く読める。「日向守は、隠さなかった」。良く読める。どちらに転ぶか、分からなかった。
五月に入って、反応が来た。
柴田勝家。
――触れを見た。『日向守より願い出でたる』とあった。わしは、これを見て、こう思った。『この男は、隠さぬ』と。
(伝わった)
丹羽長秀。
――触れを拝見いたし申した。そして、それがしも、願い出とうござる。上様御在京の間、若狭より兵を出し、京の東を固めとうござる。日向守どのが西を、それがしが東を。
(増えた。一人ではなくなる)
返事を書いた。
――ぜひ、お願い申し上げます。そして、一つ、お願いがございます。丹羽様と、それがしの兵を、離しておいていただきとうございます。近づけば、合わせて動いておると見られますゆえ。
返事は、三日で来た。
――承知いたし申した。そして、一つ、申し上げたい。日向守どのは、疲れておられる。そこまで気を回されては、身が持ち申さぬ。少しは、我らを信じられよ。
俺は、動けなかった。
(信じる)
八年、誰も信じてこなかったかもしれない。いや、違う。信じている。だが、信じることと、備えることは別だ。
――それがしは、丹羽様を信じております。ですが、それがしが信じておることを、他の者は知りませぬ。ゆえに、形を整えます。疑いは、当人どうしの間には生じませぬ。見ておる者の間に、生じまする。
◇
五月。丹波の亀山で、京の警固の準備を進めていた。兵は、二千。多すぎず、少なすぎず。
「利三。二千で足りるか」
「足り申す。ただし、守るだけならば」
「守るだけでよい。攻めることは、せぬ」
書付を作った。
――京警固之覚。一、兵は二千とす。これを超えざること。二、兵は、京の外に置く。京中に入れざること。三、京中に入るは、警固の者三十のみ。四、日々の動きを書き記し、中将様へ送ること。五、上様の宿所には、近づかざること。
五条目を、しばらく見ていた。
(これは、辛い)
上様の宿所に近づかない。何かが起きたとき、駆けつけられないということだ。
書き直した。
――五、上様の宿所には、上様のお召しなくば、近づかざること。ただし、火急の場合は、この限りにあらず。火急とは、次のごとし。一つ、宿所より火の手が上がりたるとき。二つ、宿所の近くにて、兵の動きありしとき。三つ、上様の使者が来たらざること、半日に及びしとき。
(三つ目だ)
火は、見える。兵の動きも、見える。三つ目は、違う。何も起きていないことが、異常だと分かる。
――上様の宿所より、日に二度、使者を出していただくよう、お願いすること。朝と、夕にて。使者が来たらざれば、異変ありとみなす。
(定時報告だ)
上様にも、願いを出した。返事は、意外なものだった。
――使者は、出す。だが、なぜ二度だ。
――二度と申し上げましたのは、半日で気づくためにございます。一度であれば、一日、気づきませぬ。三度であれば、上様のお手を煩わせすぎまする。
――三度にせよ。朝、昼、夕とする。半日では、遅い。日向守。おぬしは、遠慮しすぎる。わしの手を煩わせることを、案じておるな。だが、使者を出すのは、わしではない。小姓だ。
俺は、少し笑った。その通りだ。
――そして、もう一つ、決めた。使者は、必ず、同じ者を出す。なぜならば、別の者が来れば、おぬしは分からぬゆえだ。同じ者が来れば、その者が来ぬときに、異変と分かる。
(上手い)
――お考え、まことにありがたく存じます。それがしの案より、優れております。一つだけ、付け加えさせてくださいませ。その者の名と、顔を、それがしに教えていただきとうございます。
返事は、名前と共に来た。
――弥助。
「利三。弥助という者を知っておるか」
「存じており申す。上様の小姓にござる。――黒うござる。肌が、黒うござる。南蛮より参った者にて」
記憶が動いた。
(ああ)
上様に仕えた、黒人の家臣。
「利三。なぜ、その者なのだ」
「――見間違えぬゆえでござろう」
俺は、深く頷いた。定時報告の使者は、「その者が来ないこと」が異常の合図になる。だから、見間違えてはならない。遠くからでも、誰か分かる者。
――報せの者は、遠くからでも見分けのつく者を選ぶべし。見分けがつかねば、来たかどうかが分からぬゆえ。
(あの人は、俺より、よほど実務が分かっている)
◇
五月の半ば。準備は整った。
亀山で、書付を並べた。御動座之覚。上様、御不慮の折の覚。京警固之覚。日々の記録の様式。
(八年で、ここまで来た)
(足りるか)
(足りぬ)
――これらは全部、何かが起きた後のものだ。起きる前に止めるものが、ない。
止めるには、誰が起こすかを、知らねばならぬ。
(それは、疑うことだ)
しばらく迷った。そして、筆を取った。
――誰が、上様を討ちうるか。
その一行を書いて、手が止まった。書いていいのか。だが、書いた。
――一、明智日向守。
自分の名を、最初に書いた。当然だ。京に、いちばん近い。二千の兵を持っている。そして、八年前の「歴史」では、俺が討った。
――動機。なし。ただし、四国の件にて、面目を失いたることあり。外より見れば、動機ありと見ゆる。
(そうだ)
俺には、動機がない。だが、外から見れば、ある。
(それが、恐ろしい)




