第106話 外を、渡す
天正十四年、五月。
俺は、三沢の言葉を、ずっと考えていた。止まるのは、外との話である。
外との交渉を、全部一人でやっている。安土。岐阜。播磨。北陸。土佐。堺。
(これを、渡さねばならぬ)
書き出した。
――外との繋ぎ。一、上様(安土)。二、中将様(岐阜)。三、羽柴筑前守(中国)。四、柴田修理亮(北陸)。五、丹羽五郎左衛門。六、滝川左近将監。七、村井貞勝(京)。八、長宗我部宮内少輔(土佐)――これは、三七郎様に引き継いだ。九、千宗易(堺)。十、細川兵部大輔(丹後)。
一覧を見た。
(九つ)
九つの繋ぎを、俺一人が持っている。前世の営業部長の携帯と、同じだ。あの人が辞めた日、会社は九つの取引先の顔を、一度に失った。
「利三。相談がある」
一覧を見せた。利三は読み、青くなった。
「殿。これは」
「繋ぎだ。全部、俺が持っておる。――これを、分けたい」
利三は、しばらく黙っていた。
「殿。これは、分けられませぬ。繋ぎは、人と人にござる。上様は、殿を知っておられる。――それがしを、ご存じない」
俺は、頷いた。その通りだ。人間関係は、引き継げない。これが、最大の難問だ。
しばらく考えた。
「利三。一つ、聞く。おぬしは、村井様を知っておるか」
「お顔は、存じており申す。話したことは、ござらぬ」
「ならば、話せ。京へ行き、村井様と話してこい」
「何を、話しまする」
「何でもよい」
利三は、渋い顔をした。
「殿。それでは、用がござらぬ」
「用があるときに行けば、それは用の話になる。用がないときに行けば、人の話になる」
「それは、無駄ではござらぬか」
「無駄だ。だが、その無駄が、繋ぎだ。利三。俺は、七年、諸方を回った。その多くは、用があって行った。だが、繋ぎができたのは、用の後だ。柴田様と繋がったのは、雪の話を聞いたときだ。あれは、用ではない。滝川様と繋がったのは、茶を飲んだときだ。あれも、用ではない。――用の話だけでは、繋ぎはできぬ」
「殿。それがしは、話が下手にござる」
俺は、少し笑った。
「知っている。だが、書は上手い。村井様は、書を好まれる。そして、字の汚い者を嫌われる。――おぬしの字を、見せてこい。そして、村井様の帳面を見せていただけ」
◇
利三は、京へ行き、三日で戻ってきた。書院に飛び込んできた。
「殿ッ。村井様の帳面を、拝見いたし申した。十八年分にござる。――そして、誤りに、印が押してござった」
俺は、少し笑った。
「気づいたか」
「気づき申した。そして、村井様に伺い申した。『なにゆえ、消されぬのですか』と」
「村井様は、何と」
「『消せば、なにゆえ間違えたかが分からなくなる』と」
「俺も、同じことを聞いた。七年前だ」
利三は、少し驚いた顔をした。
「殿。村井様は、こうも申されました。『日向守どのも、同じことを聞かれた』と。――そして。『主と家臣が、同じところに目を止める家は、続く』と」
俺は、動けなかった。
(そうか)
繋ぎは、人と人ではない。目の付けどころだ。
――繋ぎは、人と人ではない。同じところに目を止める者どうしが、繋がる。ゆえに、繋ぎは、渡せる。ただし、渡すのは、名ではない。目の付けどころである。
◇
その日から、方法を変えた。利三に、俺の「見方」を教える。毎日、半刻。書付を並べて、聞く。
「利三。この二つを見て、何が見える」
最初、答えられなかった。
「分かり申さぬ」
「分からぬでよい。だが、何か言え」
「――数が、違い申す」
「そうだ。なぜ違うと思う」
「分かり申さぬ」
「ならば、三つ考えよ。当たっておらずともよい。三つ、言え」
利三は、しばらく考えた。
「一つ。数え方が違う。二つ。片方が、間違うておる。三つ……」
俺は、待った。
「――三つ。数えた日が、違う」
俺は、身を乗り出した。
「利三。それだ。これは、月の初めに数えたものだ。こちらは、月の終わりだ」
「ならば、比べられませぬな」
「そうだ。同じ日に数えねば、比べられぬ」
――比べるには、揃えねばならぬ。日を揃え、枡を揃え、様式を揃える。揃えねば、違いが見えぬ。
「利三。今、おぬしは、問題を見つけた」
面食らった顔をした。
「それがしが、でござるか。それがしは、ただ思いついただけにござる」
「俺も、同じだ。利三。俺は、七年、問題を見つけてきた。だが、全部、思いつきだ。並べて、眺めて、思いつく。それだけだ」
「殿。それでは、当たらぬこともござろう」
「ある。むしろ、外れるほうが多い。ゆえに、三つ考える。三つのうち、一つ当たれば良い。利三。これは、才ではない。数だ。思いつきを、多く出す。そして、確かめる。それだけのことだ」
「殿。それがしにも、できまするか」
「できる。ただし、一つ、要るものがある。――『分からぬ』と言えることだ。分かったふりをすれば、そこで止まる。『分からぬ』と言えば、続く」
利三は、少し笑った。
「殿。それがしは、それだけは得意にござる。『分かり申さぬ』は、七年、申しており申す」
俺は、笑った。
「利三。おぬしに、繋ぎを一つ渡す。――村井様だ。これから、京の話は、おぬしが行け」
「殿は」
「行かぬ。俺が行けば、村井様は俺と話す。おぬしが行けば、おぬしと話される」
「殿。それは、寂しゅうござらぬか」
俺は、少し笑った。与三郎と、同じことを聞く。
「寂しい。だが、俺は、いずれ死ぬ。そのとき、村井様と明智の家の繋ぎが切れる。――それは、困る」
「承知いたし申した。ですが、殿。一つ、お願いがござる。――時々は、共に行っていただきたい。それがし一人では、心細うござる」
「五十一にもなって」
「五十二にござる。そして、心細うござる」
俺は、しばらく黙っていた。
「分かった。最初の三度は、共に行く。だが、四度目からは、おぬし一人だ」
その夜、書いた。
――繋ぎを渡すには、三度、共に行く。一度目は、紹介する。二度目は、共に話す。三度目は、黙って座る。四度目からは、行かぬ。
――三度目が、いちばん難しい。黙って座るのは、話すより難しいゆえ。




