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天才創業者・織田信長の下で潰れる前に、本能寺が起きない組織を作ります~MBAホルダー明智光秀の事業承継計画  作者: 東雲 諒杏
第十一章 俺を消す

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第102話 薬を買う侍


 俺は、動けなくなった。

 (薬)

 堺で、宗易が言った言葉を思い出した。近ごろ、眠りの薬がよう売れます。あれは、織田家の家中の話だと思った。俺の家中の話だった。

「たき。どのような薬だ」

「――眠り薬にございます。腹の薬と。そして、酒にございます」

 三つを書き取った。眠り薬。腹の薬。酒。

 (全部、同じだ)

 全部、眠るための薬だ。

 家中を見回した。三十人。全員が、俺を見ていた。そして、誰も、口を開かなかった。

 その沈黙で、理解した。

 (知っている)

 全員が、知っていた。誰が、薬を買っているか。そして、誰も言わなかった。俺は、「報告は早いほど手柄」と決めた。だが、これは、報告されなかった。

「知っておる者は、おるか」

 しばらく、誰も答えなかった。やがて、利三が言った。

「知っており申す」

「なぜ、言わなかった」

「――恥ゆえにござる」

 俺は、動けなかった。

 (恥)

 薬を買っていることが、恥だ。眠れないことが、恥だ。弱いと、思われる。

「利三。おぬしは、買っておるか」

 静まり返った。利三は、しばらく答えなかった。

「――買っており申す」

 俺は、目を閉じた。

「いつからだ」

「三年ほど前から」

 (三年)

 七年前、この男の板を見た。着手速度、九十五。書字、九十九。そして、自分の限界の申告、六。あのとき俺は思った。この男は、限界が来たときに倒れる。倒れるまで、誰にも分からない。

 分かっていた。七年前から、分かっていた。そして、七年、聞かなかった。

「なぜだ」

「眠れませぬゆえ」

「なぜ、眠れぬ」

 利三は、答えなかった。俺は、待った。

「――殿のことを、考えており申す。殿は、いつ倒れられるか分かり申さぬ。七年前も、倒れられた。去年も、倒れられた。――そして、次に倒れられたら」

 声が、掠れた。

「――起きられぬかもしれ申さぬ」

 俺は、答えられなかった。

 (そうか)

 俺は、自分の体のことばかり考えていた。倒れたら、家が止まる、と。だが、家臣は、俺が死ぬことを恐れている。仕組みの話ではない。情の話だ。

「他に、眠れぬ者はおるか」

 しばらく、誰も動かなかった。やがて、一人が手を挙げた。次に、もう一人。そして――

 数えた。十一人。三十人のうち、十一人。

 その光景を、しばらく見ていた。

「皆。手を、下ろせ」

 全員が、手を下ろした。

「――俺が、悪い」

 部屋が、ざわついた。

「殿ッ。殿のせいでは」

「俺のせいだ。俺は、七年、走ってきた。そして、皆を走らせてきた。――だが、皆が疲れておることを、見ておらなんだ」

 平伏しそうになった。だが、しなかった。主が家臣に平伏すれば、家臣が困る。煕子に、教わった。

「だから、これから変える」

 白紙を取った。

「寄合の一つ目の話を、これにする」

 書いた。

 ――疲れておる者は、おるか。

 利三が、渋い顔をした。

「殿。それは、誰も申しませぬ」

「そうだろうな。ゆえに、聞き方を変える」

 書き直した。

 ――この一月、いちばん忙しかった者は、誰か。

「これなら、言えるか」

 やがて、三沢が言った。

「言えまする。『疲れた』と申すのは、恥にございます。ですが、『忙しい』と申すのは、恥ではございませぬ」

 俺は、深く頷いた。言葉が違うだけだ。だが、その違いが、決定的だ。面談で「困っていること」を「腹が立ったこと」に変えたのと、同じだ。

 書付に書いた。

 ――「疲れたか」と問うてはならぬ。「忙しかったか」と問え。同じことを聞いておるが、答えが違う。

 ――人は、弱さを認めることを恥じる。ゆえに、弱さを聞かず、量を聞け。


    ◇


 最初の月、名が挙がったのは、意外な男だった。蔵の書付を扱う、若い家臣だ。俺は、この男の名を、あまり知らなかった。

「なぜ、この者が」

 三沢が答えた。

「この者に、全部が集まっておりますゆえ。荷の書付。蔵の書付。村の書付。全部、この者が写しております」

「名は」

「与三郎と申します」

「一月に、何枚書く」

「――三百ほどにございます」

 (三百)

「一日に、十枚か。他に、役目は」

「蔵の見回りと、荷の受け渡しと」

 額を押さえた。

「与三郎。おぬし、いつ寝ておる」

「夜半には」

「朝は」

「明け六つには起きまする」

 (四刻も、寝ていない)

「なぜ、言わなかった」

「役目にございますゆえ」

 俺は、動けなかった。

 (役目書だ)

 俺が作った役目書に、こう書いてある。書付の写しを作ること。量は、書いていない。

 背筋が冷えた。

 (俺の書付が、この男を潰している)

 その夜、役目書を見直した。全二百三。一つずつ見た。「何をするか」が書いてある。「どれだけするか」が書いていない。だから、際限なく増える。そして、誰も気づかない。

 ――役目には、量を書かねばならぬ。量がなければ、役目は際限なく膨らむ。膨らんだ役目は、人を潰す。そして、潰れるまで、誰も気づかぬ。


    ◇


 翌日、与三郎を呼んだ。

「与三郎。おぬしの役目を、書き直す」

 青くなった。

「お、お役御免でございましょうか」

「違う。減らす」

「減らす、と」

「一日に、書付は五枚までとする」

「ですが、それでは間に合いませぬ」

「間に合わぬ。ゆえに、人を増やす」

 与三郎は、しばらく黙っていた。

「殿。それは、それがしが至らぬゆえでございますか」

 俺は、答えられなかった。

 (これだ)

 仕事を減らされると、人は「無能だと思われた」と考える。だから、減らされることを嫌う。そして、抱え込む。前世の俺が、そうだった。

「違う。与三郎。おぬしは、よくやっておる。一日に十枚、三年書き続けた。誰にも、できぬことだ。――だが。おぬしが倒れたら、明智の家は止まる」

「それがしが、でございますか」

「そうだ。おぬしが書付を全部写しておる。ゆえに、おぬしが倒れれば、書付が止まる。そして、書付が止まれば、この家は止まる。――おぬしは、それだけ大事な役目についておる」

「そのようなこと、考えたこともございませなんだ」

「ゆえに、人を増やす。おぬしが倒れても、止まらぬようにするためだ」

 少し笑った。

「――おぬしを、消す。俺も、同じことをしておる。俺を、消しておる」

 与三郎は、しばらく黙っていた。

「殿。それは、寂しゅうございませぬか」

 俺は、答えられなかった。

 (寂しい)

 そう思ったことがあるか。

「――寂しい。だが、寂しいのと、要らぬのは、違う。俺が消えても家が回るということは、俺が休めるということだ。――そして、おぬしが休めるということだ」

「殿。それがし、三年、休んでおりませぬ」

 目を閉じた。

「何がしたい。休みが取れたら、何がしたい」

 与三郎は、長いこと考えた。

「――思いつきませぬ」

 俺は、動けなかった。三年休んでいないと、休み方を忘れる。俺と、同じだ。舟の上で寝転がっても、頭が備中へ行っていた。

「与三郎。ならば、探せ。休みを取って、何がしたいかを探せ。――それが、次の役目だ」

「役目、でございますか」

「役目だ。役目書に、書いておく」

 その夜、役目書の与三郎の項に、書き足した。

 ――書付の写し。一日五枚まで。

 ――休みに何をしたいかを、探すこと。なぜ:三年、探しておらぬゆえ。


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