戻った日常
ホイストン卿の捕縛から数日。下町には弾むように駆けるローラの姿があった。
「女将さーーん!」
「ローラ! なんだか大変なことがあったそうじゃないか」
開店時間にはまだ早いが、店の二階が住居の女将はタイミングよく店前を箒で掃いていた。
ローラを長年虐げていたリドルの義両親が捕まったことは下町でも噂になっていた。しかし公表はされず、ローラもその後下町に姿を現さないことから、あくまで噂の範疇を出なかった。
気を揉んでいた女将だが、元気そうなローラを見てほっとした表情を浮かべる。
「あのね! 歌! 灰色狼の! 聞かせて!」
伯父夫婦とホイストン卿の脅威が去り、ローラを狙う者はもういない。すっかり安全になったと判断したローラは早速、あの日途中までしか聞けなかった歌の続きを聞きに来た。
(みんなはまだ忙しいから、私ができることをしないと!)
シリルたちも一緒に来たがったのだが、ホイストン卿逮捕に関する聴取などの最中だ。先に手の空いたローラは魔女の名前に関する手がかりを探そうと、下町方面の調査を買って出たのだった。
「歌? なにを藪から棒に……人が心配していたっていうのに、アンタはもう!」
「あっ、えへへ、ごめんなさい。あのね――」
店に引き入れられたローラは、呪いのことや魔女のことは伝えず、義両親は捕まったこと、ダンフォード侯爵家で働いていること、そこで実父のエドガーと偶然に出会ったことをかいつまんで伝える。
「――はあ、なんだか込み入ったことがあったみたいだけど、実の親が見つかったのはよかったね」
「そうなの!」
実父が魔術師だというのは警戒案件だが、あのリドル夫妻よりはずっとマシだ。しかもローラが笑っているのだから悪くない縁なのだろう、と女将は思ってくれたようだ。
「それで、灰色狼の歌なんだけど」
「分かった、分かった。歌えばいいんだろ?」
別のお貴族様から灰色狼の歌をご所望された、ということにして女将に歌をねだる。
ローラが言わない背景があることは察しただろうが、多くのもめ事をスルーしてきた女将は聞きわけよく、灰色狼の歌を歌ってくれた。
魔道具を起動させ、この前聞いた一番と二番はローラも一緒に。そのあとは女将ひとりで。
通い慣れた酒場のホールに、女将の歌声が響く。最後の四番を二度繰り返して、歌は終わった。
「――って感じだけど。これでいいかい?」
「うん、ありがとう!!」
(やっぱり歌詞に「魔女」は出てこなかった……けど、ようやく最後まで聞けた!)
やりきった感でいっぱいのローラは女将に抱きついて礼を言い、フレディから渡された硬貨が入った小袋をカウンターに載せる。
「ええとね、これ――」
「遠慮なくいただいとくよ。口止め料も入っているんだろう? ……ローラ、あんた大事にされてるんだよね?」
「女将さんにはもう心配かけないと、思う」
「それならいいよ。あーあ、ウチの子にしようと思ってたのに」
ふざけた口調の女将の瞳は優しそうに垂れていて、本気の言葉だと分かる。この店と女将がなければ、虐げられ続けたローラの暮らしはもっと厳しいものだったに違いない。
最後にもう一度抱きつくと、ぎゅっと抱き締め返される。
「元気で過ごしなよ」
「……女将さん、本当にありがとう」
女将に別れを告げて、ローラは酒場を後にした。
§
運輸局の高官であり、伯爵という地位にあるホイストン卿の公判は、世間への影響を鑑みてと、誘拐された子どもたちの将来を守るためという二点から、非公開で行われた。
だが、公開されなかったからといって、判決が甘くなることはない。
先に判明していた未成年者略取や横領だけでなく、密輸など余罪も多くあった。さらに病死とされていた妻たちを手に掛けていたことまで明らかになり、当然のように極刑が申し渡された。
同時に逮捕されたリドル夫妻は、人身売買や殺害行為そのものにはまだ関わっていなかったものの、犯罪行為を背景にした投資事業だと分かってホイストン卿に協力していた事実が重く見られた。
それに投資の勧誘で詐欺を働いていたり、養子であるローラに対する虐待行為などもあり、それなりの重刑が科された。
監獄から出てくる頃には老齢となっている二人の人生は厳しいものになるだろう。
攫われた子供たちは地下室から保護され、親元へ戻った。すでに国外へ売り払われてしまった子供に関しても、外交ルートを通して奪還に向けて動き始めている。
一連の事件が幕引きとなり、ようやくダンフォード侯爵家も落ち着きを取り戻した。
「ああー、ようやく終わった……!」
「フレディさん、お疲れさまです。シリル様も」
「ローラも色々訊かれて大変だっただろ」
「お二人ほどではないですよ。私はちょこっと話すだけでしたから」
諸々が落ち着いて、久し振りに三人でテーブルを囲んでいる。
ローラも労われるが、テーブルに突っ伏すフレディは疲労の色が濃い。方々に顔を出し、書類を作成し、証言の取りまとめをし……と通常の侯爵家の業務と平行で、ホイストン卿逮捕の事後処理に当たったため、かなりの重労働だったに違いない。
シリルも、王太子や貴族院の偉い人たちとの折衝などで頻繁に登城していた――というわけで、この中でローラが一番楽をしていたのは間違いない。
手首の傷痕はすっかり消えた。これを見る度にシリルが痛そうな、悲しそうな顔をするので、治って良かったと思う。
(心配性なんだよなあ)
挨拶もろくにできなかった最初の頃とは大違いな今のシリルに、戸惑うことはまだある。けれど、こちらのほうが本来のシリルなのだと分かるから、このままがいいと思っている。
「そんなお疲れさまのフレディさんお待ちかね。今日のおやつです」
「おっ、シュークリーム!」
「きれいに丸く焼けました。さすがのオーブンですね!」
大きく膨らんだシューの中には、カスタードクリームがたっぷり詰まっている。
シリルの母が書いたレシピではないが、あの例の本に載っていた作り方で、生前に何度か作ってくれたそう。
実は、シリルの母よりも父のほうが甘い物を好んだそうだ。そんなことも思い出せたと、シリルは嬉しそうにシュークリームを手に取る。
「そうだシリル。オルグレン卿は、次はいつ来るんだ?」
「いや、はっきりと約束はしていない。なにか分かり次第連絡する、と言っていたが」
エドガーとは相変わらず手紙でやりとりが続いていて、ホイストン卿の諸々が終わったら改めて解呪に向けて動き出すことになっていた。
ただ、今は本当にようやく一息ついたところ。
まずはこうして休憩をしたのちに、先日女将から聞いてきた歌の歌詞を精査し、またその後でエドガーに魔術探査で魔力の歪みポイントを探してもらえれば――などと今後の予定を話していた。




