変化と進展 3
あの日にリドルの家で見たのと同じ、酷薄そうな瞳がローラを見おろす。なんとも言えない寒気がして背筋が震え、口を塞がれている訳でもないのに息が詰まって悲鳴を呑み込んだ。
「本当に待たされたな」
「申し訳――」
「口先ばかりの謝罪は聞き飽きた」
「はっ、はい!」
「リドル男爵。支度金を倍額で返済しなくて済んで、よかったな?」
冷たくもねっとりとした声に、伯父夫婦は揃って頭を下げた。
「しかし、約束した期日に遅れたことは事実。前に言ったとおり、私の事業への参加はやはり見送らせてもらおう」
「そ、そんな!」
「まあ……娘の働き次第では、次回の売買の配当からは渡してやってもいい」
もったいぶった許可に、絶望に染まった伯父の顔色がぱっと明るくなる。押し黙ったままの伯母もほっとした表情を隠さない。
思ったとおり、自分が売られていたことを見せつけられて心が重くなるが、二人の会話の中に気になる言葉がいくつかあった。
(事業とか売買って、もしかして……)
ホイストン卿には人身売買の疑いが掛かっている。心当たりのある単語にローラの胸がざわついた。
「ぜひに! 方々から秘密裏に借り入れてホイストン卿の事業に投資をしてきたのです。いくら表に出せないこととはいえ、ここで引かれては私どもも立つ瀬がございません」
「ふん、調子のよいことを言う」
「ですから、このローラをいかようにでもお使いになって――」
(伯父様、ホイストン卿が危ないことをしていると知っていて、投資したり、私を売ったりしたの!?)
まさかの事実にさらに頭が痛くなる。ホイストン卿が犯罪行為に手を染めている証拠はまだ掴めていないが、少なくとも非合法だという認識はあるらしい。
だが、すっかり高揚している表情を見るに、伯父は悪事に荷担しているというよりも、ギャンブルのような投資に魅力を感じているような気もする。
(伯母様は……よく分からないけど)
金銭よりも、伯母はローラが酷い目に遭えば満足なのだろう。床に座り込んだままのローラに向けられる歪んだ眼差しは今、達成感に満ちていた。
(……帰りたいなあ)
気分の悪い会話が頭上で交わされる中、ローラは手首に掛かるロープをどうにか緩められないかと頑張っていた。きつく縛られているが、所詮は素人。捻ったり擦ったりするうちになんとなく結び目が解けてきた。
ここは一階だ。ホイストン卿の向こうにある大きな窓から逃げられたら一番いいが、さすがにそれは無理だろう。背後の扉から逃げるしかないが、廊下をどっちに走れば玄関なのかも分からない。
(家に入ってから、そう何回も曲がったりはしなかった……よね)
間取りも知らない屋敷から抜け出せるかは賭けだが、ローラはこれまで散々助けられた自分の勘を信じることにした。絶対に隙を突いて逃げてみせる。
(! ほどけた……!)
はらりとロープが落ちた、その時。
調子よく話をする伯父につまらなそうな相槌を打っていたホイストン卿と目が合う。
(バレた!?)
さっと血の気が引いたローラはホイストン卿より早く立ち上がり、扉に向かって突進した。
「――待て!」
「ローラ!!」
ホイストン卿の制止と伯母の呼び声を振り切ってドアノブに手を掛け――る寸前で、追いついた伯父に肩を摑まれて引き倒された。
したたかに床に背中と後頭部を打ちつけて、衝撃で息が止まる。そのまま腕を捕らえられて強引に起こされたローラの目に、今にも殴ろうと腕を振りかぶる伯父が映った。
「お前は……っ!」
「い、嫌!」
ぎゅっと目を瞑り、空いている腕で頭を庇う。だが、予期した衝撃の代わりに背後でドカンと豪快な音がした。
厚い木の扉が割れ落ち、ついでに土壁も粉砕されて煙が上がる。パラパラと小石が降る中、気づけば伯父の手を離れて誰かの腕に囲われていた。
「え……?」
「無事か!? 無事だな! 待たせた、ローラ」
「シリル様!?」
ボロボロになったローラの服や、赤く擦れた手首を見てシリルが盛大に眉をしかめる。さらに深くローラを抱き込むと、怒りの眼差しを伯父やホイストン卿に向けた。
「誰だ! 勝手に人の家に入り込んで――」
「ホイストン卿、ジェローム・リドル男爵とマチルダ・リドル夫妻の三名。ローラ・リドル誘拐の現行犯で逮捕する」
「なんだと!?」
社交をせず、引きこもっているシリルの顔を知っている者は多くない。伯父夫婦もホイストン卿もそうで、突然現れたシリルが貴族だということは身なりから分かるだろうが、まさか王太子直任の命を受けたダンフォード侯爵だとは思いもよらないようだ。
人数的にも自分たちが有利だと思ったのだろう。投降するどころか、好戦的な雰囲気を漂わせた。
「どこのどいつか知らないが、こんなことをしてただで済むとは思うなよ!」
言うなり飛びかかってきたジェロームを、シリルは危なげなく片足で蹴り払う。男爵が派手に床に転がる音に重なって、伯母の悲鳴が小さく響いた。
「無駄な抵抗だな」
「貴様……っ!?」
なにか言いかけたホイストン卿だが、睨み合うシリルの背後を見て目を見開いて固まる。コツ、と固い足音がして、現れたのは王宮魔術師のローブを纏ったエドガーだ。
「そ、そのローブは、魔術師……!」
恐怖と嫌悪が入り交じった悲鳴を真っ先に上げたのは伯母だ。
皆の動揺をものともせず、エドガーは室内に足を進める。シリルに庇われたローラにちらりと見て痛々しそうに目を眇めると、底冷えのするような声で問いかけた。
「ダンフォード侯爵、被疑者はこの三名か」
「はい。オルグレン卿」
「は? だ、ダンフォード侯爵!?」
先に現れた男性がシリル・ダンフォード侯爵だということ、さらに王宮魔術師長のエドガーまでこの場にいることに圧倒されて、リドル男爵が茫然とする。
『捕縛』
その陰で身を翻して逃亡を謀ったホイストン卿が窓に近寄るより早く、エドガーの魔術を載せた声がロープを出現させ、しゅるりと伸びた細縄ががっちりと三人を縛り上げた。
「なんだこれは!」
「ひいぃ! ま、魔術!!」
「や、やめて!!」
『回収』
容赦なく引きずられて目の前に並ばせられるのを、ローラはシリルの腕の中で唖然として見守る。
「し、シリル様、これはどういう……?」
「オルグレン卿からもらった魔石が反応して、この場所が分かった」
「あ! そういえば着けっぱなしでした」
言われて慌てて胸元を探る。服の下から取り出した青い魔石は朝よりも色が薄まり、ゆらゆらと煙のように内部がくすぶっていた。
「はあ、すごい……」
御守りとして持っているように、ということだったが、まさか居所を示すことまでするとは思わなかった。ちなみに、壁と扉を壊したのはエドガーだそう。屋敷ごと粉砕しようとするのをどうにか止めたとのことで、ローラは「魔法すごい」と目を丸くする。
「そういえば、あんなに転んだり頭を打ったりしたのに、そこまでダメージもないです。魔石っていろんなことができるんですねえ」
こんなときでも呑気に感心がるローラに、いつものシリルなら呆れた言葉の一つも掛けただろう。しかし今はそうせず、ぐっと何かを堪えたようにして目を伏せた。
「……すまない。もっと早く来られたらよかった」
擦れて血が滲む手首と、土埃が付いた頬に触れてシリルが申し訳なさそうな顔をする。自責の念しか感じられない謝罪に、ローラのほうが申し訳ない思いに襲われた。
「わ、私が油断したせいです! シリル様はなにも悪くなくて……そういえば、いつもの商人さんは大丈夫でした!?」
「気を失っていたが怪我はない。フレディが介抱している」
「よかったぁ……!」
あの人たちこそ、巻き込まれた被害者だ。無事だと聞いてほっとする。
「……こんなときも他人の心配なのか」
「え? だって、私はもう助けてもらいましたし」
きょとんと見上げるローラにシリルは軽く溜め息を吐くと、改めて肩を抱き寄せた。
「!?」
「座らせてやりたいが、もう少し我慢しろ。俺に寄りかかっておけ」
「は、はい」
どうやらローラの疲労具合を心配してくれたらしい。たしかに体を預けられると楽だし、安心できるので……妙に火照る顔は気づかないふりでシリルの言葉に甘えた。
そうこうする間に縛り上げられた三人も大人しくなっていて、シリルとエドガーが視線を交わす。
「ダンフォード侯爵、憲兵に連絡は」
「済んでいます。到着も間もなくかと」
シリルの返事に頷いて、エドガーは伯母マチルダの前に出た。
「……見下げ果てたものだ」
「なっ、なによ!」
「貴様に言いたいことは山ほどあるが……その価値もない」
表情の変化が薄いエドガーだが、その声と発する空気で尋常じゃなく怒っていると伝わってくる。泡を吹いて倒れそうなほど顔色を失くした伯母が後退ろうともがくが、縛り上げられた状態ではそれもできない。
「ローラは私が引き取る。金輪際、この娘に関わるな」
「――っ!」
罵詈雑言を叫ぼうとした伯母の口を、別の縄が塞ぐ。うなり声が響く室内に忌々しそうに手を振って、代わりに暴言を吐こうとした夫リドル男爵の口元にも縄が巻き付いた。
そこに、外から軍靴が近付いてくる。
「ああ、来たな」
なだれ込むように入ってきた憲兵に引っ立てられるまま、伯父夫婦がまず部屋から連れて行かれる。
エドガーにローラを託すと、一人残されたホイストン卿の前にシリルが立った。
「攫った子供たちを隠している部屋を開けてもらおう」
「……さあ、一体なんのことやら」
「誘拐も人身売買も横領も、証拠は挙がっている。手下の奴らは一足先に牢にいるぞ」
「なに!?」
「逃げられると思うな」
それでも無視を決め込むホイストン卿に、エドガーが指先を向けて頭から足まで計るように動かした。
「ダンフォード侯爵。部屋の鍵が襟の裏に」
「は!? どうしてそれを――」
「助かります、オルグレン卿」
悔しそうに顔を歪ませるホイストン卿の後ろ襟を捲ると、縫い止められた鍵が現れてローラは目を丸くする。
シリルはその鍵を取ると、憲兵の一人に渡した。
「子供たちはこの地下だ」
「はい!」
「ぐっ、く、くそ……」
「連れて行け」
ギリギリと歯を食いしばるホイストン卿も引っ立てられ、地下からは子供たちの救出が始まった音が聞こえてくる。
急に静かになった室内でエドガーとシリルの顔を交互に見る。
「……一段落?」
「だな」
「はあぁ、よかったー! あの、シリル様ありがとうございました! それと、その……ありがとうございます、お、お父さん……?」
「……!」
照れ隠しの笑顔で告げるとエドガーから力一杯抱き締められて、その腕の隙間から見えたシリルもほっとしたように微笑んでいて、ローラはようやく深く息を吐いた。




