変化と進展 2
「あ、でも」
(ホイストン卿が犯罪を……っていうことは、まさか伯父様たちも?)
ふと曇らせた表情を読まれたらしい。シリルは言葉を続ける。
「今の時点で、リドル男爵夫妻が誘拐や人身売買に関わっている証拠はない。あの男たちを使ったのは、あくまでローラを連れ戻すためのはずだ」
それを聞いて、ローラの肩が少し軽くなった。自分に対しては冷たい養父母だったが、犯罪に加担しているとは思いたくなかった。
今後の調べで結果は変わるかもしれない。けれど今、そう言い切られなくて済んだことに安堵の息を吐く。
「だから、呪いのほうはそれが終わってからになる。まあ、少し後になるだけだ」
シリルの顔は暗くない。諦めたり投げやりになったりしたのではなく、エドガーの協力で解呪に一歩近付いたことで、心に余裕ができたようだ。
強がっているようにも見えなくて、それならいいかとローラも大きく頷いた。
「じゃあ、私はこのまま図書室を調べたり、いつも通りごはんを作ったりしますね」
「ああ。そうしてくれ……って、ローラはキッチンに行くところだったんだよな。引き止めて悪かった」
窓の外に目をやって、シリルも今の時間を把握したようだ。
「今日のメニューは?」
「ローストビーフにしました。ポテトとビーンズをつけますよ」
「いいね。デザートは」
「フルーツがあります。あとはデザートっていうか、間食用にビスケットを焼こうと思ってました」
「チーズの?」
「えっと、はい」
「昨日、俺が頼んだやつだ」
思わせぶりな笑みを寄越されてドキリとする。動揺がバレないように、ローラは平気な顔で会話を続けた。
「そ、そうですけど……なにか?」
「いや、嬉しくて。すぐに作ってくれると思っていなかったから」
「っ、えっと」
シリルはそう言って、今度は分かりやすくにこりと笑った。作ったものではないその表情に心臓が跳ねる。
ますます返事をし損ねていると、シリルはローラにさらに一歩近付いて、空いているほうの腕を伸ばしてきた。
(えっ?)
足の爪先が触れる距離で髪に触れて、シリルは手を下ろす。カサリと耳元で小さな音がして髪から離れた指には、木の葉が摘ままれていた。
「……外で昼寝でもしたのか?」
「ち、違います! 図書室にいて……あっ、窓を開けていたから、それできっと、風が運んで――」
「冗談だ。そんなに慌てて否定しなくてもいいだろう」
くくっと笑われるが、慌てるに決まっている。だってこんなに近いのだ。でもなぜか足が動かなくて、離れることができない。
「別に昼寝しても構わないし。本を調べてくれるのは助かるが、ちゃんと休めよ」
「それは……シリル様も」
「ああ、分かってる。じゃあ後でまた。ビスケット、楽しみにしてる」
そう言ってふわりと笑い、ローラが持つ手紙の上に葉を重ねて置いて、シリルは去って行った。執務室へ向かう後ろ姿が見えなくなって、棒立ちだったローラの膝が崩れる。
「……!」
(な、なに今の……!?)
なんだあの笑顔は。
シリルの美形ぶりには慣れていたはずなのに、顔が熱くて心臓がうるさい。
(前までは、私のほうから詰め寄ったりもしていたのに)
一見変わらない暮らしの中で、一番変化があったのはシリルだ。
最近のシリルは、距離が近い。
解呪に前向きになったことで、フレディやローラに対して壁を作ることを完全に止めたらしい。人生を諦めたり、斜に構えたりしていた様子も消えて、明るい表情を浮かべることが増えた。
なにか楽しげに言って、フレディと声を出して笑い合っていたりもする。
(それはすごくいいことだし、食事の感想を言ってくれるようにもなって、それもすごく嬉しいんだけど)
感想だけでなく、先ほどのビスケットのように、食べたいもののリクエストもしてくるようになった。食事に興味がなくて、仕方なく口に入れていたこれまでのシリルを思うと、大いに歓迎すべき変化である。
だから、喜ばしいことこの上ないのだが、朗らかになったシリルは、ローラに対しての遠慮もなくなった。
(向こうから距離を縮められるの、慣れない……!)
触れられた髪まで熱い気がして確かめようとして、手には父からの手紙とシリルが取ってくれた葉を持っていたことに気づく。その二つを並べて見ていたら、なんだか胸がむずがゆくなった。
ドギマギする気持ちを抑えるように、胸元に下がるエドガーのペンダントを別の手でぎゅっと握る。
「……い、行かなきゃ!」
気まずさはひとまずここに置いて、やるべきことをしにいこう。
膝に力を入れて立ち上がると、ローラもその場を離れた。
シリルと別れてキッチンに来たローラは時計を確かめると、食事の支度を進めることにした。
食材を搬入する商人がいつも来る時間まで、まだあと半時ほどある。先に下ごしらえを済ませてしまおうと、ジャガイモを手に取ったのだが、そのタイミングで使用人用出入り口の呼び鈴が鳴った。
「えっ、もう来た?」
長年ダンフォード家に出入りをしている商人は誠実な人柄の老夫婦で、決まって同じ時間に訪れていたのだが、今日は少し早いらしい。珍しいこともあるものだ。
(フレディさんはまだ来てないけど……)
品物の目利きはローラの役目で、支払い台帳のチェックはフレディの担当だ。いつもは二人揃って商人を迎えるのだが、フレディはまだシリルのところにいる。
呼びに行こうかとも思ったが、二度目のベルが鳴り、ひとまず出入り口へと向かった。扉を薄く開ければ、商会の制服――帽子とマント――を身に着けたいつもの二人が、屋根付きの荷馬車の前で立っている。
今日、頼んだ食材には魚介類も入っている。氷を入れてくれただろうが、天気もいいしできるだけ早く受け取りたい。
薄く開けた扉から、さわ、と風が吹き込んだ。冷たくないはずのそれに鳥肌が立つ。
(フレディさんにも、呼び鈴は……聞こえたよね?)
一瞬感じた嫌な予感をやり過ごすように首を振る。
品物を確かめているうちにフレディも来るだろう。ローラはいつも通り、商人の二人を邸内に招き入れた。
「お待たせしました。いつものところに置いてくださ――!?」
食材はこっち、日用品は向こう、と案内しようとしたローラの手がぐいっと摑まれる。
そのまま羽交い締めにされ、声を上げようとした口は布で塞がれた。
「――! ――!!」
どうにか身を捻って逃れようとするが敵わず、後ろ手に縛り上げられる。と、商人の頭からフードがパサリと落ちてその顔が露わになる。
(う、嘘……なんでっ?)
「余計な手間を掛けさせやがって……!」
伯父のリドル男爵が、憎々しげな表情でローラを睨んでいた。そして、もう一人は。
「あなた、さあ早く行きましょう。ホイストン卿がお待ちよ」
(伯母様も!? っていうか、ホイストン卿っ?)
蛇のようにしつこい男だと言ったフレディの声が耳に蘇る。諦めていなかったのだ。
(嫌……っ)
逃げ出した日にホイストン卿に抱いた恐怖を思い出して、冷や汗が背中を伝う。どうにか逃れようと藻掻くが、背は低くても伯父はやはり男で力では敵わない。
抵抗空しく引きずられるように連れ出され、突き飛ばすように荷馬車に押し込まれる。荷台に倒れ込んだローラが起き上がる前に閉められた扉に錠が降ろされ、馬車はすぐに動き出した。
(ちょ、ちょっとこれは……いや、ちょっとじゃなく、まずいかも!)
ガタゴトと激しく揺れる車内では起き上がることもままならない。荒れた木の床に体が打ち付けられながらどうにか壁際に寄るが、残念ながら扉の鍵は頑丈で開けられず、逃げられそうな隙間も見当たらなかった。
(……大丈夫。きっとフレディさんがすぐ来て、私がいないことに気づくはず)
行く当てのないローラでさえ匿ってくれた二人が、見捨てることはないだろう。
けれど、荷台に転がされたまま外も見えなくて、攫われたローラでさえどこに向かっているのか分からない。シリルたちが探してくれてもすぐに見つけてもらえるとは思えないし、それよりなにより。
(私が足を引っ張っちゃった……)
ホイストン卿の一件を片付けて、解呪に向けて動くはずだった。ローラがこんなことになってしまって、その予定が大きく乱れるに違いない。
呪いを解く役に立つどころか、迷惑を掛けている。そのことが縛り上げられた腕より痛くて、ローラは奥歯を噛みしめた。
§
しばらく馬車に揺られて、ようやく停まる。
移動にかかった時間からすると王都は出ていないと思うが、馬車を降りる前に手を縛られて目隠しまでされたから、ここがどのあたりなのかは分からない。
伯父に担がれて運ばれて、どこかの家の中に入ったようだ。乱暴に床に下ろされて目隠しの布が落ちる。
(うわあ……)
連れてこられた部屋の様相に、ローラは内心でぎょっとした。成金風というのだろうか、壁紙も家具も派手なだけで品がない。
ダンフォード侯爵家の重厚な佇まいにすっかり慣れたローラの目には、なんとも居心地が悪く映った。
悪趣味な室内に落ち着かず眉を下げるが、それよりも問題は――。
「お、お待たせしました、ホイストン卿。この通り、ローラを連れて参りました」
まるで玉座のような大きな椅子に掛けて、ホイストン卿がそこにいた。




