新たな一歩 2
シリルの変身が解けて元の体に戻ったのを見届けると、エドガーはすぐに帰ると言い出した。
ローラとしては朝食も食べていってほしかったのだが、一日でも早く解呪するために早速資料を調べたいと言われたら引き止められない。
それならせめて、と持ち帰り用にして渡すことにする。腕によりを掛けて作ったサンドイッチが詰まった紙袋を差し出すと、慣れない手つきで受け取られた。
「早めに食べてくださいね」
「……ああ」
シリルと同じで、平気で食事を抜きそうな人である。釘を刺すと戸惑ったように頷いて、エドガーは空いている手でポケットを探る。
「手を」
「? はい」
不思議に思いつつ素直に出した手のひらに、シャラと鎖の音を立ててペンダントが落ちる。
目を丸くするローラがなにか言う前に、ペンダントに嵌まった半透明の石にエドガーが指先で触れた。
「この魔石は、オリビアに渡した指輪についているのと揃いだ」
「魔石……」
(そういえば、お母さんに「指輪を渡した」って言ってたっけ)
ということは、父と母は揃いの魔石を指輪とペンダントにしてそれぞれが持ち、離れる二人のよすがとしたのだろう。
「持っていなさい」
「い、いいんですか? 大事な物ですよね」
「構わない。オリビアもそうしろと言うはずだ」
昨日の話を思い出して遠慮しようとしたが、さくりと却下された。エドガーは続けて、小さく呪文のようなものを呟く。と、石がほわりと光り、青く染まった。
「ふわっ? 色が変わった!?」
「今、この石に私の魔力を込めた。気休め程度だが守りになるだろう」
「守り……あの、でも何も心配はないと思うのですが」
女将の店で、伯父に依頼された男たちに捕まりそうになったこと以外は、ここ最近で身に危険を感じたことはない。
釈然としない気持ちでエドガーを見上げると、同じように思ったらしいシリルが口を開く。
「オルグレン卿は、ダンフォード侯爵家が安全ではないと仰るのですか」
「オリビアは安全なはずの自宅で亡くなった。手紙の一通も交わせないままで……もっと何かできていたらと、さんざん後悔した」
母のことを言われると反論できない。シリルも気まずい顔をした。
「侯爵を信用していないわけではない。だが不測の事態はいつも予想の範囲外で起こる。リドルの二人からだけでなく、ホイストン卿にも探されているのだろう。アレは面倒な奴だからな、魔石は保険だと思ってほしい」
手の中の魔石と同じ色の瞳がローラを見下ろす。エドガーはきっと、ローラにかつて救えなかった母を重ねているのだろう。
「とはいえ、魔石の容量からいって守れるのは一度か二度が限度だ。使う機会がないことを祈る」
「はい。ありがとうございます。……このペンダント、持ち歩いていたんですか」
「そうだが」
「毎日?」
「それがどうした」
エドガーは実の娘の存在すら知らなかった。渡すつもりで持ってきたはずがない。
母はもういないのに、それでもこうして二人を繋ぐ魔石を持ち歩いていた――二十年近くも。そのことに胸がいっぱいになる。
「……お母さんは、本当に愛されていたんですね」
「……守れなかったがな」
吐き捨てるような言葉には、隠しきれない自嘲が滲んでいた。
「そんなことないです。きっと伝わっていますよ」
「……っ」
落としてしまわないようにそっと魔石のペンダントを胸に押し抱くと、エドガーはきつく握り込んだ拳を開いてそっとローラの髪を撫でた。
「……呪いと魔女について、なにか分かったら連絡する。奴らは、ダンフォード侯爵のほうで対処してくれ」
「お任せを」
(『奴ら』?)
伯母たちのことだろうか。首を傾げるが、サンドイッチを作っている間にローラ抜きで話をしていたから、そのときに話題に出たのかもしれない。
そういえばだが、今朝のシリルはなんとなくこれまでと雰囲気が違う気がする。エドガーとの話し合いが有益なものだったのだろうか。
もしそうなら、自分の頭越しに思わせぶりに視線を交わされて仲間はずれの気がしても、ローラは我慢する。
(後で訊いたら、教えてもらえるかな)
解呪に関わることなら教えてほしい、と思っているうちに、エドガーの手が名残惜しそうに離れた。
「では、これで。見送りは遠慮する」
言葉はシリルに、眼差しはローラに向けて言うと、エドガーはくるりと身を返して去って行く。門前に迎えを呼んでいたらしく、やがて馬車が遠ざかる音が聞こえた。
(……行っちゃったなあ)
来た時も唐突だったが、去るときもあっけない。
さらりと風が吹いて別れの余韻も消えれば、実父との対面となった昨日からのあれこれが現実だったのか、早速分からなくなりそうだ。
しかしローラの手の中には、実際に青い石のペンダントがある。これは確かに、今しがたエドガーから渡された物だ。
感慨に浸っていると、フレディの明るい声が響く。
「いやいやいや、魔石かあ!」
「珍しいんですか?」
「そりゃあね! 魔道具ならそれなりに使ったことがあるけど、魔石そのものを見るのは初めてだよ」
魔石とは、魔力を込められる宝石質の石の総称である。
魔道具にも魔石が使われるが、表からは分からない場所に隠されており、修理の際でなければ目にすることはない。
「じゃあ、もしかして侯爵様も初めて?」
「いや、俺は王太子が持っている魔石を見たことがある。あちらも防御用で、護身のための魔法が掛かっていた」
「そうするとこれって、まさかの王太子殿下と一緒!?」
「そうなるな。王族が持つ魔石もオルグレン卿が手がけただろうし」
だいぶレアな物を渡されてしまったと分かったローラの口から気弱な悲鳴が出る。
「……こ、こ、これ、侯爵様が持っていてください!」
「は? ローラが渡されたんだろ」
「でもでも、殿下とお揃いなんて心臓に悪いです!」
「お、おい」
無理に押しつけたが、シリルはそのままローラの目の前にペンダントを吊す。受け取れと言わんばかりだが、後退りして涙目で見つめてしまう。
手のひらサイズの巾着袋に全財産が入るローラにとって、王族が持つ物と同レベルの品などいくらなんでも贅沢すぎる。
「オルグレン卿はローラに渡したんだ。父親からの贈り物なんだから、ちゃんと自分で持っておけ」
シリルの言うことは尤もだが、ちょっとどころじゃない高級品なんて持っているのが怖い。魔石のペンダントではなく、綿のハンカチだったらローラだって喜んで持ち歩ける。
「だって、ええと、お料理の中に落としちゃったり、あっ、お風呂のときに外して失くしちゃったら!?」
「魔石は熱にも強いし濡れても大丈夫だから、そのままお風呂に入っても平気だよ。オルグレン卿からも『身に着けておけ』って言われたでしょ」
フレディにも言われてますます頭を抱える。
「でも」
「はあ……ローラ、ほら」
なかなか思い切れないローラに、シリルが仕方ないなというように軽く溜息を吐いて近寄る。
すぐ傍に来たシリルに驚いて顔を上げると、体を囲うように腕を回された。
「!?」
すぐ目の前に迫るクラバットに、何事かと心臓が跳ねる。
子どもになったシリルや犬の姿のときは、こちらから抱きついたり撫でたりとスキンシップの経験がある。
だが、本来の大人の姿のシリルとは節度を保った距離で接していたから、こんなに近いのは初めてだ。
(は? え? な、何を……で、でもいや、中身は一緒だもん、ほら、お坊ちゃまのときは抱き上げたり、「おやすみなさい」のキスも――!?)
どうにか落ち着こうとして、今度は自分のやらかしが蘇る。「なにをしたの、私!」と過去の自分を叱っていると――。
「こうして掛けておけば落とさないだろ」
ペンダントの輪がローラの頭を通っていく。キラリと光る鎖が視界の上から下に過ぎて、青い魔石が胸元に収まった。
「……へ、あ」
「鎖も丈夫そうだから、着けっぱなしでも切れたりしないし」
「ふ、ふえぇ」
「ははっ、なにその声」
我ながら情けない声が出て、シリルがぷはっと吹き出した。
「え……」
(笑った……)
初めて大人のシリルがはっきり笑ったところを見て、ローラの動揺も止まる。
見たかったシリルの笑顔が目の前にある。
楽しそうにくつくつと笑うシリルには「人嫌い侯爵」の面影などなくて、朝の爽やかな光と相まって、とても目映かった。




