新たな一歩 1
早朝、元の姿に戻ったシリルは執務室でエドガーと向かい合っていた。
魔女の呪いによる変身は、エドガーの魔術師としての興味を引いたらしい。昨晩から微に入り細に入り観察されたし質問もされたが、あくまで研究対象としてだけ捉えているエドガーの眼差しに嫌悪感は持たなかった。
呪いの現象について問われるまま話すうち、ローラと出会った初日に攫われそうになったことや、その後、下町にガラの悪い男たちがローラを捜しに来た話になる。
「は? 人攫いにレモンを投げつけて撃退した? ローラが?」
「はい。私は麻袋に入れられていたので、実際には見ていないのですが」
「……間違いなくオリビアの娘だな」
危ないことを、とため息まじりに言うエドガーの目元が、どこか懐かしそうに緩む。
母であるオリビアも通りすがりの揉め事に首を突っ込んだりと、似たようなところがあったらしい。
(向こう見ずなのは親譲りか)
確かに、皆が恐れる魔術師に怖がりもせず近付いたオリビアと、呪われていると分かってなおシリルの元に残ると言い張ったローラはよく似た気質なのだろう。
そんなオリビアに、きっと目の前のエドガーは救われた。
(多分、俺も……そうなんだろうな)
解呪の方法を探しているとはいっても、最近は惰性で続けているようなものだった。どうせ無理だと諦めていたところに、ローラが現れた。
それからの変化はどうだろう。
もちろん呪いはまだ解けていないし、魔女がどこにいるかも分からない。
けれど手探りすらできなかったこれまでを思えば、手繰るべき糸を掴めるだけでも進歩である。
(まさかこうなるとは)
――シリルの父、前伯爵がまだ存命の頃。
父は日が傾き出すと部屋に籠もり、自分で自分に鎖を付けた。夜間、父の部屋に近付くことは禁じられていたが、聞こえてくる苦しそうな獣の唸り声や咆哮に「呪い」の存在を忘れたことはない。
幼い頃は、一生呪われた姿のまま人間に戻らないのでは、と毎晩が恐ろしかった。朝になって父の顔を見るまで安心できず、そうしてまた夜が来るのが怖かった。
当事者である父は別の意味でもっとつらかっただろう。なにせ、呪いで獣になった祖父がシリルの母に襲いかかったように、今度は自分が誰かを殺すかもしれないのだから。
自分が撃ち殺した獣が祖父だったこと、その呪いが自分に降りかかっていることによる父の心労は重かった。
日に日に憔悴していく父が心配で、止めるフレディを説き伏せて夜中に部屋をこっそり覗いたことがある。
灯りの無い暗い部屋で、獅子になった父は手足に付けた太い鎖を引きずりながら檻の中を歩き回っていた。風に揺れる枝の音に苛立ち、荒れた床に爪を立てる。その姿に人間らしいところなどどこにもない。
姿は違っても中身は父だと分かっていたはずだったのに、そのとき感じた本能に基づく恐怖は抗えるものではなかった。
怯んだシリルが立てた靴音で獅子の光る瞳に捉えられ、殺気立った咆哮が響く――フレディに部屋の外へ引きずり戻されなければ、父は頑丈な檻を突き破るまで突進を止めなかったに違いない。
あの晩改めて、シリルは魔女の呪いの恐ろしさと理不尽さを身をもって実感した。
ほどなく、父は自ら命を絶った。常々、シリルに呪いを継がせたくないと言っていたから、計画したのではなく衝動的だったに違いない。
それから今日まで、呪いはシリルと共にある。
シリルが祖父や父と違ったのは、姿が変わっても自我が残っていたこと。代と時間を重ねたことで、強大な魔女の力も多少弱まったらしい。
子供とはいえ人間に変身し、言葉も話せるのはシリルが初めてだ。しかし、人としての意識も精神も、いつまで保つか分からない。
誰かを襲うよりは、と自分を消した父の気持ちが嫌になるほど分かってしまう。シリルにはこの呪いを継がせる子がいないから、なおのこと。
だが、目を瞑れば祖父や父母の姿が蘇る。
魔女の呪いに翻弄され、家族を喪ったうえに自分まで消えるのはどうにも癪だった。
せめてと変身した姿で諜報を始めたのは自棄だったが、うまくいったところで達成感などなく空しくなるばかり。呪いの副産物の能力を王太子に高く買われても嬉しくない。
すさむ一方のシリルに、フレディはよく付き合ってくれたと思う。領地を任せている先代執事のシリルの祖父にも、頭が上がらない。主従を越えた存在の彼らがいてくれなければ、もうとっくにシリルはこの世にいなかっただろう。
こんなふうに思えるようになったのも、最近だ。
(まさか、呪われている自分を肯定されるとは思わなかった)
――『侯爵様は立派だと思います』
拒絶されると疑わなかったから、正面切って言われた言葉を素直に受け止める心の準備は無かった。自分のことも呪いも怖がらないローラの存在が、シリルの救いになったのだと認めないわけにはいかない。
そのローラは、リドル家で虐げられていなかったら出会うこともなかっただろう。それを思うと複雑な気持ちになる。
不幸を喜びたくはないが、過去を否定すれば現在もないのだし、そもそもシリルが勝手に救われただけでローラ自身にそういう気持ちはないはずだ。
お人好しではあるが、自分が得をするために他人におもねることをしない人間だと、見ていれば分かるから。
(俺が誘拐されたところに居合わせたのも、家から逃げ出したときにダンフォードを思い出したのも、ただの偶然だ)
けれど、その偶然に助けられた。
解呪できるかどうかは分からない。けれど今、充分に救われていると思う。そんなローラにシリルができることは、リドル家やホイストン卿の脅威を消すことだろう。
そんなことを振り返りながらも話は進んでおり、エドガーは確かめるようにシリルに問いかける。
「――では侯爵を攫った男たちと、リドル男爵の依頼でローラを捜しに来た男たちは同一だと言うのだな」
「ええ。ローラが言うには、リドル男爵はあのような男たちとの付き合いはなかったそうなので、ホイストン卿が仲介したのでしょう」
「なるほど」
シリルの返事に、エドガーも納得して頷く。
「ホイストン卿は運輸局の高官です。彼個人と運輸局には不自然な資金の流れがあるとして、王宮監査室の警戒対象になっています」
「横領か」
「有り体に言えば」
ホイストン卿は、シリルが王太子から身辺調査を依頼されていた人物である。黒い噂があるだけに狡猾でなかなか尻尾が掴めなかったが、王太子命令と変身した姿を使い各方面を探り、やっと帳簿や日誌などを手に入れた。
資料を精査したところ、複数の使途不明金が発覚した。一度の誤差は些少だが、積もり積もってホイストン卿の元で消えた金額はかなりになる。
横領だけでも罪に問えるが、それだけではないとシリルの勘が言っている。
王都での誘拐事件にも関わっている可能性があるのなら、その点も見逃すわけにいかない。
そこにリドル男爵も繋がっているかはまだ不明だが、ローラの身内だからといって温情をかけることはない。もし罪が明らかになった場合は、相応の罰が科せられる。
(……ローラがこれまでに受けた仕打ちを思えば、数年牢に押し込んだ程度では足りないが)
リドル男爵とホイストン卿を繋いだ人物は目星がついた。あとは裏を取って、両者の関係を明らかにするだけなのだが。
「面倒だな。魔女の前に、ホイストン卿とリドル男爵夫妻を排除するか」
――いきなり何を言い出すのか。
指先で魔力を編みつつ不穏なことを口にされて、シリルは内心で噎せた。エドガーなら言葉通り「排除」できるだろう、しかも跡形無く。
「そ、そういうわけには」
「トカゲの尻尾ではなく、頭を切るのなら問題なかろう」
オリビアとの連絡を故意に絶たれたこと、ローラという存在を隠し虐げていたこと等、エドガーがリドル男爵たちに思うところがあるのは分かる。
しかし、王宮魔術師長が個人的に鉄槌を下したらそれこそ大問題だ。後ろに控えるフレディもさすがに顔面を引きつらせている。
「王太子殿下から直接任されていますし、オルグレン卿の手を煩わせるわけにはいきません。それに、彼らが公に罰せられたほうが、ローラの移籍も支障なくできます。彼らについては、私が対処しますので」
「ふむ、そうか」
ローラを口実にすれば、簡単に引き下がってくれてほっとする。
「ではその分、魔女についての調査を進めよう。ところでダンフォード侯爵」
「はい」
「君はローラを娶りたいのか?」
冷や汗を拭いつつ、カップを口元へ運んだところだった。
今度こそしっかり噎せて、落としそうになった茶器をフレディがさっと受け止める。
「なっ、なにを急に……コホッ」
「もしそうなら、少し待ってほしい。あの子は令嬢としての披露目もしていないのだろう」
「は……」
ローラを案ずる声音に、シリルも真顔になった。
表向きは病がちで外に出れないとされ、裏では使用人として酷使されてきたローラは令嬢としての教育を一切受けていない。読み書きさえ下町で習ったほどで、当然、社交デビューもしていない。
エドガーはローラを引き取って、それらをしてやりたいのだ、と言う。
「子が生まれたことさえ知らなかった父親だが、できるかぎりのことはしたいと思う。今さらだがな」
「『今さら』とは、言わないと思います」
「だといいが。私は人の機微に通じないのでね、なにかあるなら言われないとまったく分からないし、言わないで察してもらえるとも思っていない」
だから時間がほしいのだ、とエドガーは重ねて言う。分かり合い、失った過去を埋めるには対話が必要だから。
「まあ、最終的には本人次第だ。そういうわけで、プロポーズは待ってくれると――」
「先走りすぎです、オルグレン卿」
「おや、違ったか? 侯爵はローラに好意的だと思ったが」
ひとりで納得して先に進めようとするエドガーを止めるが、逆にきょとんとされてしまう。
フレディは面白そうに眺めているだけで、役に立ちそうもない。
「いえ、あの、好意も何も。呪われている状態で先のことなど考えられません」
「なるほど、そういうものか。ではやはり、可及的速やかに魔女の件を片付けねばな。おちおち娘も引き取れない」
あっさり引かれて息を吐く。深追いしてこないのは、本人が言うとおり「察する」ことを放棄しているのだろう。
「魔女に関しての資料は多くない。なにか分かったら連絡する」
「お願いします」
頭を下げたところでノックが響く。朝食を摂らずに帰ると言ったオルグレン卿に、それならばなにか持ち帰れるものを、とキッチンに入ったローラの用意ができたらしい。
渡されたサンドイッチを慣れない手つきで受け取るエドガーを眺めながら、予想外のところまで飛んだ会話を思い出しているとフレディが隣に立つ。
「ローラとオルグレン卿、ああやって並んでいるとやっぱり似てるな」
「ああ」
「直球で言わないと伝わらないところも、きっと似ているぞ」
「ああ、そうだな……は?」
上の空で打った相槌に、我に返って聞き直す。
「んー、別に? 花言葉とかじゃ駄目だろうなって」
ニマニマと横目で笑うフレディは、絶対になにか勘違いをしている。睨みつけると、ますます面白そうに喜色を浮かべた。
「いやあ、呪い以外のことが話題に上がるの、平和でいいなぁ」
「おい、フレディ」
揶揄うようにわざとらしく道化るフレディに気づいて、ローラの視線がこちらを向く。
判明した父親の前で多少まだ緊張気味に、それでも嬉しそうな笑顔がフレディとシリルを捉えた。憂いのない瞳に、なぜか満たされる。
「あ、お二人のごはんは食事室にご用意してありますよ。自分でお好きな具を挟む、オープンなサンドイッチにしました!」
「やった、好物!」
「フレディさんがそう言うと思った!」
さっきまで呪いだの魔女だの横領だのといったきな臭い話をしていた部屋は、ローラの明るい声で色を変えたのだった。




