自分の居場所 3
食後、フレディに案内されて客室に向かうエドガーを見送ると、食堂にはローラと小さいシリルの二人が残った。
「さあ、お坊ちゃまも寝る時間ですね!」
「寝ない」
「えっ、夜更かしは駄目ですよ」
「え、じゃない。見た目は子どもでも、なかみは大人だって分かってるだろ」
「だって体は子どもですよね? お食事の時だってフレディさんにまかせて、お坊ちゃまがあまり話さなかったのは、眠いからでは?」
「あのなあ……」
時計を指差して寝ろと言うローラに、シリルは呆れた顔をする。その表情はたしかに大人のシリルと同じなのだが、幼い姿だとどうしたって可愛らしさのほうが勝って「じゃあ、しょうがないですね! 起きてていいですよ」とは言い難い。
「しごともあるし、まだオルグレンきょうと話さなきゃならないこともある。寝ているヒマはない」
(そんな、子供らしいカタコトで言われても説得力がないんですけど!)
シリルの変身が解けるところも実際に確認するため、エドガーは朝まで侯爵家にいる予定だ。その間に話し合いたいこともあるだろう。夜更かしだっていつものことだ。
だとしてもやはり、子供は寝る時間なのである。
「それにオルグレン卿も、お小さいお坊ちゃまが相手だとやりにくくないでしょうか」
「外見を気にするようなやつじゃないだろ。それとローラ、『お坊ちゃま』はよせ」
「あっ、それもそうですね。じゃあ、侯爵様……いや、なんか違和感。閣下……ますます違いますね! どうしましょう、なんて呼べば?」
いくら中身が同じだと分かっていても、ちびっこ姿のシリルを「侯爵様」とは呼びにくい。万が一、誰かに聞かれてもまずいだろう。
困るローラに、小さいシリルは短い腕を組んでふんと横を向く。言ったらきっと怒られるが、偉そうで可愛い。
「名前でよべばいいだろ、シリルって」
「ふ、不敬では」
「いまさらだな」
「そうですけど!」
名前呼びはちょっとハードルが高くないだろうか。
抱きかかえたり自分のベッドに寝かしつけたりと、これまで自分がしてきたやらかしを思えば、本当に今さらであるが。
「いいから、ほら言ってみろ」
「えええ、怒らないでくれますか」
「なんでよばれておこるんだよ」
言質は取った。ならばご希望通り名前で呼ぼうと思ったのだが。
「じゃあ、シ、シリ――」
どうしてかうまく舌が動かない。そのうえ急に暴れ出した動悸も気になる。
(な、なんでドキドキするのっ?)
シリルは変身中でも意識は繋がっていて記憶もある、と知ったときも心臓に悪かったが、今日のこれは少し違う感じの居心地の悪さだ。
何度試しても詰まってしまってちゃんと呼べないローラに、シリルはがっかりと肩を落とした。
「……オレの名前はよべないのか」
「いえ、そんなことは……っ」
「フレディのことは、名前でよべるのに」
「あう」
変身中は、そのときの姿に心が引っ張られると言っていた。感情が表に出ているのは変身中の今だからだろうけれど、目の前でしょんぼりされるとものすごく罪悪感が湧く。
「いいよ、もう。ローラはじぶんの部屋にもどれ」
「だ、駄目ですって。できます、ちゃんと呼びますから! シリル!」
「よびすて?」
「あっ」
勢い込んだら呼べた。が、敬称を忘れた。
あわあわと狼狽えるローラに、小さいシリルは一瞬目を丸くした後で声を上げて笑った。
「ははっ、なんだそれ。おまえ、おもしろ……っ!」
「す、すすすみませんっ」
「べつにいい。オレもローラってよんでるし」
「カンダイなお心に感謝いたします……シ、シリル様……」
こちらも片言になると余計に笑われた。盛大に笑われて、はっと息を呑む。
(侯爵様が笑ってる……)
魔女の呪いのことがバレてからローラに対しても多少は壁が低くなった気はするが、大人のシリルはいつもどこか諦めたような顔をしていて、笑ったりはしゃいだりするところを見たことがない。
子どもの姿に変わっていても、シリルはシリルだ。
本当は、大人のシリルもこういうふうに屈託なく笑うのだろう――呪いさえなければ。
(……昼間の侯爵様にも笑ってほしいな)
今さらだが、魔女の呪いというものの重さを感じて胸が詰まる。
(やっぱり、どうしたって呪いを解かなきゃ)
ローラはシリルとフレディ、そしてダンフォード侯爵家に何度も危ないところを救ってもらった。ここで雇ってもらえたおかげで、実父とも出会えた。
増えていくばかりの恩も返したいし、なによりも昼間のシリルの笑顔が見てみたい。
どんな人だって仏頂面より笑った顔のほうが魅力的だ。ただでさえ美形なシリルである。破壊力抜群の笑顔であることは間違いないだろうが、そういった下世話な好奇心ではなく純粋に、いつも自分のことを後回しにする彼に何も気にせず笑ってほしいと思う。
(うん。そのためにも頑張ろう!)
さしあたってローラが役に立てるのはいつも通りのメイドの仕事と、魔女の名前探しだ。
明日からを思ってよし、と両手を握りしめると、まだ面白そうにしているシリルに向かって手を差し出す。
「オルグレン卿とは、また明け方にお話をするんですよね。ひとまず一緒に二階に行きましょう」
応接室と同じ階にある執務室では、仮眠も取れるようになっている。寝ろと言っても素直に聞いてくれないのなら、せめて寝台のある部屋に押し込んでおこうという魂胆だ。
中身が大人だと知ってしまったから前みたいに寝かしつけるわけにもいかないが、子ども姿のときくらい夜はちゃんと休んでほしいのも本当だ。
「ひとりで行ける」
「私がご一緒したいんですよ。いいでしょう、シリル様?」
「っ、べ、べつにいい、けど」
頑張って名前呼びをしたところ、シリルは今度は笑わずに落ち着かなさそうにした。だからローラもますますそわそわしながら、誤魔化すように伸ばされた手をはっしと繋ぐ。
「あ、あははっ、慣れませんね!」
「なれるまで呼んだらいいんじゃないか?」
「あー、たしかに……って、いや、照れくさいです!」
「なら、フレディは?」
「フレディさんはなんかこう、気安いというか。抵抗がなくて」
「……きやすくなくて悪かったな」
(えっ?)
あからさまに面白くなさそうに膨れられて、ローラは驚いた。
「ローラはフレディのほうがすきなんだろ」
「違いますよ!? フレディさんは頼りになるし、好きか嫌いかで言ったらそれはもちろん嫌いじゃないですけど、油断もできなそうですし!」
そう、フレディは親しみやすいが切れ者でもあり、あくまで職場仲間であり上司だ。シリルと比べてどっちがどうとか考えたこともない。
なのにシリルがむくれるから、ローラは本気で焦った。なんだかよく分からないが、誤解されたくないという気持ちに突き動かされる。
「いい、わかってる」
「わかってないです! 私はシリル様のこと大好きですから!」
「は?」
「あれっ?」
(私、今なんて?)
こちらを見上げる紫の瞳と視線が合う。まあるくなったシリルの瞳に、自分がなにを言ったのか遅れて気づく。
「いやその、違……わないし、あれ?」
――どうしよう。
嘘は言っていないから訂正もできないけれど、やけに胸が煩いし顔が熱い。
(いや、これは、その……き、きっと考え過ぎ!)
理不尽な呪いを受けて、人嫌い侯爵などという噂まで利用するくらいなのに、それでもローラのような人間を見捨てられず手を差し伸べてくれた。
そんなシリルを尊敬するし、呪いを解いて幸せになって欲しいと思う。そう思うのは、なにもおかしくないはずだ。
(ええと、そういうことだよね)
自分でも少し説明しきれていないような気がするが、きっとそういうことだ。人間的に好き、とかそういう。
「い、行きましょうかっ」
「……ああ」
無理やり心を落ち着けて前だけを向いて歩き始めたローラと、手を繋いだシリルの頬は同じように染まっていた。




