エドガーとオリビア 2
「それが、オリビアと初めて会った晩のことだ」
「な、なるほど……」
ダンフォード侯爵家の応接室で簡単に自己紹介をした後、ローラは実母オリビアのことを教えてくれるエドガーの話に聞き入っていた。
ソファーにエドガーと並んで座り、向かいの席にはシリル、その後ろにフレディが立っている。
自分が立派なソファーに座っていることに違和感と恐縮しかないが、エドガーが手を離さないのだから仕方がない。
話が一段落したところで、エドガーはローラの淹れたお茶を満足そうに飲んだ。すっかり冷めているのに、これでいいと譲らない。
二杯目は新しく淹れようと思いながら、今聞いた話をローラは反芻する。母とエドガー、二人の出会いも興味深いが、デビュタントの夜会でそんな行動をする母に驚きだ。
(王宮の夜会に参加して、抜け出して……)
どうやら自分の母という人は少し変わっているらしい。
エドガーが不審に思ったとおり、令嬢というものは一生に一度のデビュタントを心待ちにし、ドレスに宮殿、そこでの出会いといったキラキラ要素に惹かれるはずだ。
流星群はローラだって好きだが、普通は天秤に掛けないと思う。
(お母さん、自由だな!?)
「自由というか、考え方がローラと似ている感じがするねえ」
「だな」
「はっ、わたし声に出してた!?」
フレディに言われて自分の口を押さえるが、すっかり聞こえていたらしい。シリルも深く頷いていて、しまったと見上げると、ずっとこちらを見ているエドガーと目が合った。
エドガーは青い目に金髪で容姿も整っている。色も違うし、パッと見て自分と似ているところも見つけられないが、不思議と拒む気持ちも起きない。
むしろ、なんとなく不摂生を思わせる顔色に、野菜と肉たっぷりのスープを山ほど作って食べさせたい気分になる。
そのエドガーが言うには、ローラはオリビアと外見がよく似ているそうだ。
顔立ちだけでなく、声や、濃茶の瞳にダークブラウンの髪という色合いも同じで、ちょうど出会った年頃も同じ。違うのは、ローラのほうが少し小柄なくらい。
だからオリビアが目の前に現れたと思ったのだ、と打ち明けられた。
「えっと、そんなに似ていますか?」
「ああ。服装以外は瓜二つだ……物怖じしなそうなところも、似ている」
ローラの性格を知らないだろうに、断言されてしまう。
それを嫌だとも思わないのは、会ってすぐのローラもエドガーになにか絆のようなものを感じるからかもしれなかった。
エドガーから知らされる亡き母オリビアの姿は、ローラの想像以上に生き生きとしていた。
夜会の晩は結局大広間には戻らず流星を堪能したあと、散会となった人混みにオリビアは両親を見つけ、何食わぬ顔で「また明日」と言って走って戻ったそうだ。
そして翌日、仕事中のエドガーの元に昨夜の礼だといって昼食が入ったバスケットを持ったオリビアが現れて、交流が始まったのだという。
「夜会を抜け出したことがバレて怒られたと言っていたが、反省した様子はなかったな」
世間の評判などどこ吹く風で、過ぎるほどにおおらか。自由気ままに見えて、なんだかんだと我と筋を通すオリビアにエドガーはその日から何度も振り回された。
けれどエドガーの目には、オリビアは魅力ある人物として映ったようだ。そしてそれはオリビアも一緒で、二人の交流は、ごく自然に男女の交際に変わった。
あけっぴろげなオリビアと狭い世界でだけ生きてきたエドガーの間に秘密はなく、お互いをまるごと知って二人で恋をした。
これからは毎年一緒に流れ星を見よう、と言い出したのはオリビアだ。誰かとする約束など初めてで、けれど拒む気持ちなどひとつもないエドガーはただ頷いた。
魔術師との付き合いは外聞が悪いから、二人で大っぴらに街を歩いたり、パーティーに出かけたりすることはなかったが、会えるだけの時間を一緒に過ごした。
興味のあるものを見つけたオリビアが駆け出して、エドガーが追いかけるのがお決まりで。捕まえられたオリビアは、エドガーの腕の中で笑いながら見つけたものを話して聞かせる。そんなふうにして二人は仲を深めていったそうだ。
(……伯母様の話す「オリビア」より、ずっと好きだな)
オリビアとの思い出を、まるで昨日のことのように話すエドガーにローラの胸が詰まる。
自身の妹であるオリビアについて、伯母が懐かしそうに話すことなどない。
姉妹の情などないといわんばかりの口ぶりで、出てくるのは憎しみと悪口ばかり。だから、ローラはこれまで自分の母親についてなにか聞こうという気にもなれなかった。
伯母は家族写真の一枚も手元に残さなかったから、髪や目の色、そして顔立ちが母と似ていることも知らなかった。
もしエドガーが言うように自分が母に生き写しならば、伯母があれほどローラにきつく当たったのも理解できる。
厄介な妹と同じ顔をしたお荷物な姪。伯母の立場であれば、どれだけ憎んでも憎み足りないに違いない。
(やっぱり、私がもっと早くあの家を出ればよかった)
今さらだが、そう思う。
そして、遅ればせでも、家を出て良かったと思う。
母との交際を通してエドガーは生きることや他人に対して関心を持つことを少しだけ覚え、オリビアも世の中の動きに広く興味を持つようになった。
一方で、ゆるやかに下降していたノークス子爵家の財政は目に見えて逼迫してきた。
どうにか没落を防ぐために伯母とリドル男爵の縁組みが決められ、オリビアも政略的な結婚を命じられた。
伯母は、生家より下の家格となる男爵位でしかない伯父との結婚にまったく納得しなかったし、今も納得していない。
でも、伯父は年齢的に釣り合っている相手だったし、ちゃんと妻として嫁ぐことができた。
しかしオリビアに用意された縁談は、ずっと年上の金持ちの愛人になるというもの。しかも嫁ぎ先は外国で、行ったらまず二度と帰国できないだろう遠方だ。
それを知ったエドガーは、相手が出す支度金以上のもの用意してオリビアに求婚した。
「もしかして、祖父母はそれを断ったんですか?」
「そうだ。魔術師と近づきになるくらいならこのまま没落したほうがマシだ、と拒絶された。まあ、予想はしたが」
エドガーはもともと求婚を断られるのは承知の上で、せめて支度金だけは受け取ってもらえたらいいと思っていたそうだ。金策が出来れば、オリビアが身売りのような政略結婚はしなくて済むからだ。
しかし、ノークス子爵は金すら拒絶した。魔術師から受け取るものはすべて汚らわしいと、目の前で振り払われたという。
娘が魔術師と交際していたことに激怒した両親から交際を猛反対され、オリビアは家に軟禁状態となった。
「むしろ、私から引き離すためにオリビアを早く嫁がせようとした」
「……どうしてそこまで」
「それほど魔術師というものが忌み嫌われているということだ」
「ちっとも理解できません」
言い切ったローラの、エドガーと繋いだ手が力強く握り直された。
だって、本気で分からない。同じ人間だし、なにも悪いことなどしていない。話を聞いていると、家のために娘を売るオリビアの両親――自分の祖父母のほうが非難されるべきではないかとまで思ってしまう。
(……侯爵様の呪いと同じだ。本人には何の落ち度もないのに)
やるせなくて、悔しい。こうして少し話しただけだが、エドガーは無条件で忌避されるような人ではないし、シリルだって呪いが移っただけでなにひとつ悪くない。
偏見というものに憤っているうちに、エドガーはまた話を続ける。
どうあれ、親に反対されてはオリビアとの結婚は叶わない。まだ若く、魔術師としての立場も弱かったエドガーは、それならばと自分の足元を固めることに邁進した。
幸いなことに、オリビアの結婚までにはまだ一年ほどの時間があった。
ノークス家は子爵位だ。彼らがエドガーを門前払いできなくなるくらい地位を上げれば、融通がきかせられる。そのためにそれまで無関心だった政争にも身を投じた。
今までエドガーにばかり激務を課し、成果だけを奪っていた上司や先輩魔術師を容赦なく告発し実力で振り落とし、短期間で着々と職位を上げ、必要であれば王族とも懇意にし恩を売った。
ノークス子爵も、二人の娘を売るように嫁がせることに若干の罪悪感はあったのだろう。王宮内で存在感を増していくエドガーに分が悪いと見て、ひとまず王都を離れて領地へ戻ることにした。
「……帰郷の直前に、オリビアが家を抜け出してきた」
深夜、両親の見張りの目をかいくぐって来たオリビアはすっかり痩せて、顔色も悪かった。
嫌な予感がして一緒に二人で逃げようと懇願したが、オリビアは首を縦に振らなかった。
あんな人たちでも親だし、姉にだけ苦労をさせるわけにいかないと言って、けれど、諦めないで、とエドガーに告げた。
「領地に戻っても、両親を説得し続ける。だから自分を諦めないでほしいと……」
エドガーにできたのは、約束の証として自身の魔力を込めた指輪を渡すことだけ。まだ明け切らぬ早朝、泣き笑いでもう一度誓い合って出ていくオリビアを、奥歯を噛みしめて見送った。
――それが間違いだったと気づいたのは翌年、恐ろしいほどの早さで魔術師次長の地位に就いてから。
すぐさま子爵領に赴いたエドガーは、オリビアが亡くなっていたことを告げられる。
領地でも軟禁が続いていたオリビアの動向は探れないため、父の子爵の動きを注視していた。得た力を使い裏から手を回し、オリビアが売られる予定の国への出国に目を光らせた。
一年の間、特に動きは見えず安心していたのだが、実際にはオリビアは一人寂しく土に還っていたのだ。
すでに埋葬も済んでおり、魔力を探しても指輪の反応もない。
病みがちになった両親に代わって、オリビアの葬儀を取り仕切ったのは伯母だった。話を聞こうと嫁ぎ先のリドル家に赴いたがヒステリックに追い返され、暗澹たる気持ちで王都に戻った。
以来、エドガーは他人への関心を一切失った。
自暴自棄になり捨て身で仕事にのめり込んでいるうちにとうとう魔術師長にまで上り詰めたが、そのころにはノークス家が絶えたことにもなんの興味も湧かなかった。
伯母は、ローラの存在をエドガーに知らせなかった。
「え、じゃあ……」
「子ができたことすら知らなかった。すまない」
知っていたら絶対に引き取っていたと、苦しそうに言うエドガーをローラは声も無く見つめた。




