泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳 三
三
「また悪く、黙って澄まして、お前さんの頭の上を来るじゃないか。足もなくってさ」
「あら、」
と瞳を大きくして、
「風船に足があって可いものだっか。でもな、薄暗うならはって、糸がよう見えんよって、ほんに青い玉ばかり浮いてますえな」
と真顔で言う。
「だからね、なんだよ。お前さんの名に花が咲いて(*紫色の桐の花)、そいつが幻になって、こう、はっと簪から後光でも射しているのかと思った。……何しろ、お美していらっしゃる」
「ま、阿呆らしい、私が、何の……」
「本当さ」
「驕りますえ、ほほ、そんな所覗きやはっても、鮒は売っていやせぬもの。ほほほ」と、ちょっと蓮葉な微笑。
橋を渡り越してから、向こう通りの両側は、皆綺麗な店で、人形の顔の仄めくのもあれば、清水焼であろう、大花瓶が颯と五彩に輝くのもある。そのガラス戸の中には籠洋燈が点いていた。そうかと思うと、薬屋らしい看板の金文字が晃々と暗い軒に光るのもあった。娘らしいのが、奥を隔てている暖簾からぼんやりと戸外を覗いていたのもある。
で、清之助は物珍しそうに、通りがかりに、そこらをきょろきょろと見廻していたが、一足後れで背後から、笑い声を密と浴びせて、『鮒は売らぬ』とお桐がからかう。
鮒にはちょっと訳がある。
清之助はお桐に案内されて、今日は北野から壬生へ廻って、大廻りに電車で前刻の所(*松原小橋の停留場)まで来た。(*注1)が、その天満宮から地蔵堂へ巡る間を、相談ずく……と言っては可笑しいが、お桐も望んで二人で歩行いた。――途中、何処かの小路で、一人鮒を売っていた男がいた。若い娘が売っているというのではなし、緋の袴を穿いているというのでもなし、魚屋が鮒を売るのに不思議はないが、さあ、その商っていた場所である。大きな溝板を前にして、商家と商家の羽目板を両方から、しかも二、三枚、どちらだったか、引きめくれて、壁の崩れを見せた真ん中である。路地口の木戸にくっつけて、笊を二つ台にして、その上へ茣蓙を渡したのに、活きた鮒の水を切って、ピチピチするのをざらりと置いた。
金物屋……古着屋……荒物屋……など、どれも平屋づくりの低い家が、道から一段下がったと思う所に、先ほどの大溝を前にして、活気がなさそうに控えていたから、どうやっても場末には違いなかった。
が、抜けるような青空……とは行かない。空はどんよりとしている。そんな下での露店の鮒売りである。
その日は元来節分であった。……年越(*注2)と言うので、北野から壬生へかけて、洛中の老若男女の参詣が夥多しい。境内は言うに及ばず、道筋の所々に商人が沢山出て居る。……ところで、この鮒売りも東京ならば小父さんが、植木屋の灯を横取りして、薄暗くしゃがみ込んで、縁日としてはまずまずの場所で金魚を売ろうとしているのと同列だと思える。
そんな場所に、その鮒売りは居たのである。のっそりと頭が高く、木戸の上へ兀が越すまでに、でっぷり肥った大男で、下駄履きで突っ立ったところを見れば、見越入道とも言える身体つきである。……何をかっと逆気せ上がっているのか、よく分からないけれど、後ろ鉢巻きをして、看板のような州浜形(*ミッキーマウスを逆さにしたような形)の眼鏡を掛けている。
おや、珍しい。と言っても清之助は特段興味を持って見る気もなかったのだが、ちょうどこの鮒売りの前を通る時、背後から声も掛けず、ただ地響きがしたと思うと、人力車が揃って、がらがらと被さるようにやって来た。
「静としておいでやす。車夫衆が、よう(*上手く)避けはるよってな」
と、今に始まったことではない。頻りに人力車が往き来をするので、路すがらお桐が言って聞かしていたのだが……。それを性根の据らないおのぼりさんの癖で、慌てて飛んで交わしたために、溝板をがたりと踏んで、やっとのことで大道に身体を斜にして堪えた。ただ、そうしながらもひょいと車上を見れば、真っ先に練って飛んで来たのが、爽やかな紋着で……。イヤ、塗ったこと、塗ったこと!……男女七歳にして云々以来、京女郎は色が白いものだと覚悟をした男だが、その白粉にも程がある。……素顔の人もいるのに、何ということ、瞼にぱっと生臙脂(*鮮やかな紅色の染料)が塗られ、頬の皺が風に縮む。ああ、その上に、見るに堪えない、反らした受け口に笹色紅(*緑色がかった光沢のある玉虫色の口紅)が点してある。
注1:二人の行程を見てみる。
「お桐は清之助を案内して木屋町から北周りで北野天満宮へ行き、北野から壬生寺まで京都の西の境界線を歩く。節分には厄落としのため四方詣の習慣があるので、二人は北野神社と壬生寺に参詣した。秀吉の造らせたお土居は明治になってかなり失われたが、北野神社から紙屋川に沿って西院へ、そこからほぼ直角に東へと曲がり、壬生寺あたりに続く。二人は北野から二条駅を通って直線的に壬生寺に向かう。……略……壬生寺を訪れた後、二人は二条駅まで戻り、電車で京都駅を廻って鴨川沿いの松原小橋の停留所まで行く。壬生から人力車で東へ行けばいいものをわざわざ京都の町を半周し、行きと帰りで一回りしたことになる。」
横田 忍氏「泉鏡花の『楊柳歌』――柳の歌と鏡花の原風景――(国文学年次別論文集 近代1 平成21年 P.273から引用)
これを図に示したものが、弦巻克二氏の『楊柳歌』私注の<注8>に掲げられてあるので、興味のある方はご参照ください。
注2:年越……ここで言う「年越」は節分のことである。節分は立春、立夏、立秋、立冬の前日を表す言葉であるが、今では春だけに使われている。この節分(お年越)、京都には「おばけ」という風習がある。それは次章で。
「鮒にはちょっと訳がある」以降は、九章まで、その日のこれまでの経過が書かれている。
○ 鏡花の文体について
今日は、志賀直哉が鏡花の文体に関して書いているものをご紹介。
「文章」 志賀直哉
泉さんの文章は普通難解なものとされてゐるが、難解なりに不思議な魅力があり、読者はそれに引きつけられる。私は若い頃、泉さんの作品に傾倒し、其頃までのものは恐らく一つ余さず読んでゐたが、文章をよく理解できないままに今云う不思議な魅力にひかれ愛読してゐたのかも知れない。自分も小説を書くやうになり、文章も全く別な行き方に進み、私は永く泉さんの作品から遠ざかってゐたが、最近再び晩年のものを読んで、泉さんの文章が難解なものだという考は大分変わって来た。難解ではあるが、叮嚀に見ると、決して不可解なものではなく、筋の通った文章である事を知った。只、一種の調子があり、且つ聯想から来る烈しい飛躍がある為に、読者は急いでそれに追いつこうとする。それ故、普通散文を読む場合のやうに一つ一つの意味を明瞭には呑み込めないのだ。同時にその事が全体的には雰囲気となり、魅力ともなってゐるが、文章そのものはよく見れば決して曖昧なところのあるものではない。又、構成の点でも非常に自由で、時間の前後など思ひ切って過去現在を勝手気儘に往き来する。
かういう文章技巧の天分だけをとって云っても泉さんは古今独歩の小説家で、年経て益々光りを加へる作家だと思ふ。
鏡花論集成(立風書房)
付録 岩波書店版「鏡花全集」目録より
(Pp.402-403)




