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泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳 二

この「楊柳歌」という題名は、最初は「ふたりづれ」だったらしい。慶應義塾大学の図書館に原稿が残されていて、タイトルは最初「ふたりづれ」とされていたが、「楊柳歌」に書き直されているとのこと。

 楊柳とは柳のこと。なぜ、柳なのかは清水寺との関係があるのだが、それはまたもう少し後で。



「いやどうして、不思議なほど優しく聞こえる。……」

「有難うおすえ、おかみはんに(よろ)しゅう」と、お桐は莞爾(にっこり)して、また俯向(うつむ)いた。

「そう叮嚀(ていねい)に挨拶されて、家内(かない)にお言託(ことづけ)けまで(うけたまわ)ると、このまま停車場(ステエション)へ駈け出して家へ帰らねばならなくなる。さあ、真面目に、ご案内。……なんのって、話ながら線路を抜けられるところが嬉しい。ええと、ここを真っ直ぐに参りますかね」

「そうどす、この辺もちょっと賑やかだすやろ」

 と、人通りの中を、横に切れると、酒屋の蔵らしい白壁造りの横町を通って、ついと加茂川の岸へ出た。すぐに橋があって、『お渡りやす』とでも言うように、色もほんのりと白んだ中に、夕日の余波(なごり)を薄く()めて、(たお)やかに夕暮れの橋を渡る人を迎えているようである。水面(みなも)も同じような(おもむ)きで、向こう岸の(のき)行燈(あんど)の、東山の袖に()げた雪洞(ぼんぼり)のようなのが少しだけちらちらと()いたばかり。流れに映るのもまだ二片(ふたひら)三片(みひら)だが、これから一足ずつ暮れて行くに従い、(べに)の眺めが増すらしい。

 河原に干した……枯草が酔ったような……(あか)合羽(がっぱ)の上を、冷たい風が静かに渡る。と、真っ白な腹を(かえ)して、ひらひらと千鳥が飛んだ。比叡(ひえ)おろしが雪にしようか、天気にしようか、と(そっ)と様子を見に来たのであろう。それ、その山の峰の辺りを、寒い雲がスーッと通る。……(とび)(うめ)気勢(けはい)かな。(*注1)あの、雲の動きようで、星が霜になるのかも知れない。

「寒くはないかい。コートを着てくればよかったかな」

(いえ)、大事おへん」と……それでも艶々(つやつや)とした黒い毛皮の頸巻(えりまき)に細い(おとがい)を埋めて言った。

貴下(あんた)はん、寒うおすか」

「私は男だ」

(あてえ)かて女え」

 と、唇がちらりと赤い。岸にはまた一つ(あかり)()えた。

「この橋は?」

「松原の橋どす。あっちのが五条の橋え」

「ああ、そうか」

 と言ったが、清之助はそれと気が付いて、御曹司(おんぞうし)牛若丸に失礼したと思った。大体、名所古跡を見るのに、美人の案内者はよろしくない。美人と一緒だと、どうしたことか、武蔵坊(*弁慶…牛若丸(義経)に仕える)さえ忘れたのである。(*注2)……その癖、薄明るい桃の下路(したみち)を行くような、この橋を清水(きよみず)に向けて渡るのに、女は(うちぎ)、男は狩衣(かりぎぬ)(なり)をするのが相応(ふさわ)しいなどと思っている。……しかも、橋の上で、四、五人の工夫(こうふ)が、どやどやと来たのさえ、墨染めの法衣(ころも)に鉢巻をして、七つ道具を背負っている(*弁慶のいでたち)と想像している。髭の生えたのは(やっこ)殿(どの)みたいで、大津絵(おおつえ)(*滋賀県大津市で江戸時代から名産として描かれた民俗絵画)のような人通りでは、皆が酔って腰もふらふらと、躍るようにして擦れ違う。向こうの、あの墨絵の(ひさし)のどれかには、鬼の(めん)の看板を掛けて、白酒を売っているのかも知れない。(*注3)


 渡ってやがて橋の中央(なかば)にかかると、嵯峨野に落ちる日の影か、音羽(おとわ)の森の月の気勢(けはい)か、二人の姿が欄干にかかって薄く映る。その空へふわふわと(かぶ)さるように、東山の薄紫(うすむらさき)が一緒に落ちて、色を重ねて、橋も春めく(した)()えのよう。

 ト、この京都が被衣(かつぎ)(*女性が外出する際、頭から被って顔をかくすための布)を(かぶ)ったような姿の、東山のなだらかな肩の辺りが掛かった、松原橋の欄干越しに、高いとも低いとも、どっちつかずの他愛のない(くう)な所を、ぼんやりした、丸い形の……光でもなく、曇るでもなく、薄紫に紅がかった、たとえば鳳凰の卵のようなものが、二人の中を、お桐の黒髪の上あたりをふわふわと浮いて通る。

 清之助は、()()()として歩行(ある)きながら、これを(じっ)と見ていたが、橋の(たもと)で急に思い出したように笑った。

「ああ、まだ護謨(ゴム)風船を持っているんだね。私はどうも前刻(さっき)から何だろうとつくづく眺めて、景色も何も見ずに来た。橋の途中から気がついたんだが」

貴下(あんた)、何や思いやした?」と、一緒に引き合わせて持っていた袖を、白い手首で少し開いて、ト上を向くと、白歯(しらは)(かす)かに見えた。その口で(くわ)えたような護謨風船が、加茂川を離れようとして、ひょいと動いて、反奮(はず)みもせずに、二、三寸ふわりと高くなる。

 ちりちりと千鳥が()いた。



注1:飛梅の気勢……『東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花……』に(ちな)む。遠く離れていても、比叡おろしの寒さが雲に乗ってやって来そうという意味と思われる。


注2:牛若丸と弁慶との決闘は、現在の五条の橋ではないと言われている。その頃にはまだ、五条の橋は存在しなかった。ということで、実際牛若丸と弁慶が出会ったのは、「松原橋」であると言うのが通説のよう。


注3:時節は二月。後にはっきりするが、節分である。その意味で「鬼」「白酒」の言葉が出ている。以後も「鬼」の記述は度々出現する。


 何度も書いていますが、鏡花の文章は、難しくて、何をどのように表現しているのか、分かりにくい。しかし、何度も読み返すうちに分かってくる部分もあって、自分で「あっ、そうか!」と分かった(と思われる)時は本当にうれしいものです。

鏡花の文体については、これまでも様々な人が色々に書かれていますが、少しずつ紹介したいと考えています。


「鏡花作品は難解である。やむなく、繰り返し、繰り返し、一つの作品を読む。ひたすら読んで考える。この、一語一文を味わい、考えるという作業は、いつの間にか日本語を母語とする「私」という存在そのものへの意識を深めていった。日本語の奥深さ、〈ことば〉が背負ってきた日本の文化、自分が日本人であるという自己認識。「字を書く職人」と自称した鏡花の足跡や情念を辿りながら、私も〈ことば〉で考え、〈ことば〉を選び、〈ことば〉を探しながら、自己との対話を続けているうちに、私が何者であり、その私はどこから来て、どこへ向かっているのかを考えるようになっていった。そうして、私は「私」という存在を探究するかのように、鏡花文学と共に歩み始めていった。

 それまで何となく生きてきた私は、鏡花文学を読み味わうことで、〈ことば〉が有している歴史や文化を知り、それによって形成されている自分を見つめることを学んだのである。お陰で、鏡花文学と出会う前の私より、今の私の方が「生きる」ことに対して自覚的になったと思う。もし、あの時、鏡花を選んでいなかったら、いまなお私はただ何となく生きていたかもしれない。鏡花文学は私を変えてくれた。だから、「天才」とか「日本語の魔術師」という鏡花文学への評価は、私にとって特別な意味を帯びたものに聞こえるのである。つまり、鏡花文学と出会ったことで、私の「バース」は「人生ライフ」になった。それは、〈ことば〉によって自己確認や認識が行われ、「私」という唯一の「生」が「私の人生」として立ち上がってくることの実感に他ならない。鏡花文学に限らず、それこそが「文学の力」だと、つくづく思う。 ……(略)」


眞有(まあり) (すみ)() 「文学」の力 ~「バース」が「人生ライフ」になるとき~

日本ペンクラブ 電子文藝館より引用


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