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泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳 二十八

 二十八


「おお、念仏堂のお爺はんが帰らはった」

 と言う。……お桐はまた、自分の姉が、あいあいと言ったのも、三千歳が岸勇のすべてに首肯(しゅこう)して、あいあいと言う、それも、――坂で逢ったあの大爺(おおじご)歩行(ある)く時に、人とも仏とも分からぬ声で、えいえい、えいえい、と拍子をつけて言う、それと同じ響きだと、恍惚(うっとり)しながら妙なことを言い出す。

 見知ってから、十年ぐらいになるが、いつまで経っても同じような(とし)に思える――夏も生絹(すずし)の頭巾を()けた、歯も髭もない大爺(おおじご)は、同じ念仏堂に籠もって、南無とも言わず、もくもくと木魚(もくぎょ)(たた)く。――(ねずみ)木綿(もめん)に黒の一重(ひとえ)(ひろ)(そで)道服(どうふく)を着て仏前に屈んだ背は、木魚を据えた蒲団よりも低い、造りつけのように何時も莞爾(にこ)々々(にこ)した尊者(そんじゃ)であるから、参詣(さんけい)する老若(ろうにゃく)はいずれも見知ったものばかりで、顔馴染みでないものはない。

 とりわけ()参詣(まいり)(つき)参詣(まいり)は人が多い。(くるわ)の者は馴れ馴れしく、舞妓などは(そっ)と入って、背中を(とん)(たた)いてさっと()げる。こちょこちょと(くすぐ)る者もいる。ある時などは、二人で組んで、一人が背後(うしろ)から目隠しをしたこともあった。その悪戯(いたずら)は、もう一人が「えい」と口真似をしながら、撞木(しゅもく)(*(かね)を叩く仏具)を置いてある下から、木魚を引き(すべ)らせ、それをポカリと(つっ)(ころ)がして、ホホホと手を(たた)くのである。

 それを「えい、えい」と言って叱る。……その叱るのも、(ほめ)めるのも、(うなず)くのも、えい、えいで、難儀な坂を上り下りする時の掛け声だけではない。

 その立て違えた堂の中へ、すっと入って、澄ました顔で、お桐が木魚を敲くことなどは今でもある。

 出て来て、大爺(おおじご)が、

「えい」

 と莞爾(にこ)やかにほくほくと頷く。……また木魚の音も、心して聞けば、大爺(おおじご)がえいえいと言う声に(ひと)しい。であるから、遠くても、近くても、木魚の音を聞くと、もくもくと静まって、もくもくと動く。それに籠もって――ピアノ、オルガンの(ぼう)とした中にも微妙な声が、谿(たに)(がわ)黄金(こがね)の岩に白銀(しろがね)の水の糸が触れるように――三千歳のあいあいも、亡き姉のあいあいも、寂しく、心細く、そぞろ悲しく可懐(なつ)かしく、()なを(さす)られるようにも、胸を抱かれるようにも響いて聞こえる。……と言って、ほろりとした。

(ちご)ヶ淵へ行ったらな、やっぱり淵の底の方に木魚の音が聞こえますやろ。……その淵へ、(ねえ)はんは何で行かはった? (あて)()ったのえ。あんた」

 と切々(きれぎれ)に……

(ねえ)はんにな、一人言い交わした人が出来た。(しん)にな。生命(いのち)掛けて()いてやった。俳優(やくしゃ)はんどす……帯も紐も、櫛、(こうがい)、髪のものもなくしやはるよって(*貢いでしまうので)、(かあ)はんが(なか)を裂かはった。(ねえ)はん、襦袢の襟を噛み裂いて、二階で泣いてばかりどした。

 (あて)な、(そっ)文箱(ふばこ)(ことづ)かって、(かあ)はんの目を忍んで、宿へも楽屋へも使いをしたのえ。……知れてもな、(あて)がする使いやと、(かあ)はん叱らはらんよって、(あて)の座敷へ連れもうて、逢わいてあげていたのどす。

 けどな、段々辛うなって、活きては()やはらん様子が見える。(あて)にかて見えるんやもの、(かあ)はんがな、心を鬼にして思案しやはった。

 他に意見のしようがないはけ、お桐はん、あんた、(ねえ)はんから、あの人を相対(あいたい)づくで(*話しして)もろうて(しも)うておくれやす。……(いもと)に譲ったら、あきらめてくれるやろ、としみじみ(あて)に頼みやはった。

 (あて)えらい阿房(あほ)やったな。……ほんに、そしたら(ねえ)はんも、あきらめがつくやら知れん。――今、そのままにしておいたら、命はあるにしたかって、気が違わずには()やはりせん(*いられないだろう)。――そう(おも)うたよって、横恋慕した。

 (ねえ)はん、(あて)に、あの人おくれやす、て真剣な顔で言うた」

 と、お桐は目の(つや)涼しく、

少時(しばらく)黙って、(あて)の顔見やはって、人形や簪の、いつもの(でん)(*いつもと同じ)や。……あい、と一言いやはった。

 思い込んだ心ではな、自分の男や、気も心も(ゆる)いた仲、よそのあんたが、とれるなら()って見や、思やはったも知れんけれど。……

 その俳優(やくしゃ)もな、浮気やないか。

 小楊枝(こようじ)噛んで(べに)で書いても、乳の下切った血と違わん……女子(おなご)の切ない(じょう)(*手紙)やもの。切火(きりび)打っても見ようもの(*切り火を切るくらい、真剣な気持ちで見てもよさそうなもの)。

 開けたら(おか)しなもんが出て、楽屋の鏡を曇らす訳でもないのに、衣服(きもの)()わいて(*衣服(きもの)を整えて)、ちゃんとして、文箱(ふばこ)の紐を解いたかて、男の恥にはならんものを……」

 と美しい(こぶし)を握って、(きぬ)柔らかに(ふく)らかな、切なる思いの胸をしっかり(おさ)えた。


次回、最終です。

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