泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳 二十六
二十六
「ほんに、その娘はんは、恋に強うてけなり(*羨ましい)おす。綺麗な振袖だけ残いて、その、あの袖の下に消えやはった。友染に積もる淡雪のように、身体は弱い女子やけどな。……
その淡雪を消す、真っ赤な太陽の光をすぐに取って、思いの火にしやはった。煙を立てて、ひらひらと人の姿で風に舞い立つ、稚児の紫の振袖が、炎になって搦みついて、円明寺とやらの棟の瓦の上へ、雲にかかって、すっくりと上らはった時は、どんなに嬉しおしたやろ。(*振袖火事……『十八の注3』参照)
私、本読んでも身体中ぞくぞくする。恐怖いのやない、けなるうて(*羨ましくて)。
石段を下りて去た、あの産寧坂曲がる角で、先刻不意に三千歳はんが、小姓の姿で来やはった――三枚橋の駕籠で見染めたと同じ姿見た時はな、手を曳いてやはる岸勇はんの前垂も燃えてるか思うたえ。
あの姿があれなりで(*そのままで)、三千歳はんやなかったら、私な、――それが、あの鬼でも魔でも大事おへん。……振袖借りて抱き締めて、児ヶ淵へ行きまっせ。その一念で――迚も、その強い、情の深い、東京の娘はんのように火になっては燃え得でも(*燃えることは出来なくても)、京の私は水になる。……
なったら水に、水になったら、鳥辺野の露、嵯峨野の雨、鴨川には流れいでも(*流れなくても)、憫然や思うてくれはる人の袖の雫にはなりますやろ、なあ」
崖の暗夜に燃え立つばかり、小袖の裏の白羽二重にも膚の血潮が緋桃となって、薄紅に透き通るかと思えた。黒髪の艶の光ったのが、炎を消す雨とともに、露を誘うような声も濡れて、折からの燈籠の灯にひときわ鮮やかに際立ち、袖も裳裾も滴る色香。
美しいかな、京の水。(*お桐の風情)
「果敢う涙になるのやかて、空蝉と言いまっせな。……藻抜けの袖にも縋りたいもの。……生きているのに、あんたはん、影も形もない好いた人……もったいないか知りへんけど、仏はんやかて(*仏様だとしても)どうなります」
清之助はしどろもどろになりながら、
「凄……いよ、お桐さん。――驚いた。どうもその烈しいのには。そう何も、しかし……何です、果敢なむことはないじゃないか。それがね、決して影も形もないものとは限らない。願いによっては、きっとその好いた人を仏が授けて下さるんだよ」
「ああ、あの、活きた?」
「そうさ」
「ものを言やはる?」
「そうですとも」
「一緒に連れ立って歩かはる……?」
「もちろん」
と答えた。
「清之助はん」と、初めて名を言った。知ってはいただろうが、この時初めて、清之助は呼ばれた自分の名に愕然として、
「え?」
「あんたはんでも授かりまっか?」
「詰まらん、お桐さん――私、私などを授けるような、そんな野暮な」
と、言葉がちょっと途絶えた。
幽かに響く瀧の音……神心ともに澄む折から、慎み直して静かに省み、
「そんな間違った仏様があるものかね」
「そやかて私が望んだらば、え?」
「望むなんて……」
「望むとするのえ」
「授かるとします」
「授かるえな」
「ああ、授かったら?」
「観音様」
と白い手で、……
一足退る清之助を胸で縋って、欄干にするすると摺れる二人の袖の音。舞台の影法師が、はらはらと、燈籠を離れて動く。
「そしたら、あんたはん、……これからな、児ヶ淵へ連れて行ておくれやす」と、外套の端を衝と取った。
清之助は更まって、
「そんな我が儘を言うものには、夫はお授けにならんのだよ」
と、厳しい面で言う。
つづく




