泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳 二十五
二十五
「で、また、そんなに児ヶ淵が恋しかったら、ここをその水の底だと思えば可い。そして、今までより数多く、度々お参詣をしたらどうだね。……龍宮だって、そこにずっと居るよりも、時々の方がもっと居心地が可いと思う。淵の水も、海の潮も、雨も涙も同じ水です」
この清水は知る人も知る、楊柳観音であられます。(*注1)
「二人でここに立っていて、頻りに何か身に染むように思われるのは、夜の冷たさもあろう、山の樹立の雫もあろう、瀧の音もあろう。けど、それよりは観世音の柳の露が点滴るんです。
雲も柳、棟も柳、舞台も柳の梢にある。……大気の中に生きているものが、その大気の形が分からないように、水の中に居る魚は、その水が目には見えない。
それと同じで、お互いに樹も枝も分からないが、ここは柳の葉の中だろう。その浅翠、濃い緑を水だと思い、波だと思えば、流れる風には鬢も濡れよう、静まる枝には袖も淀んで、燈籠の灯も揺れて映る。そのままの淵じゃないか。
あの龍頭から湧くのを両手で掬えば、望みの通り、氷の下の、その水もあるじゃないか。
何も淵川へ沈んだり、骨を砕く必要もない。お桐さん、そうじゃないか」
我ながら上手く説くことが出来たと、清之助はうち沈んだお桐の顔色が花やかに晴れるのを待っていたが、と、間もなく、懐疑の瞳はうるみを帯びて見開かれた。
「よう言うておくれやしたな。あの……な、そうやかて、影のような柳ばかりでは、私、可厭。その枝の茂った中を、燕見たように(*みたいに)、私出たり入ったりするばかしでは辛抱できへん」
「否、燕だと言うからよくない」
清之助は莞爾して、
「そう、お桐さんが住んでいるなら、青柳の茂った中に、夕月が細り籠もって、薄りと鴨川の水へ映るようなものだろうか」
「まあ……お月様どころやおへん、私はな、燕でも虫でも構やへんけど、一人では可厭やて言うのどっせ」
「だから寂しくないように、観音様がおいでなんだよ」と、これには清之助は猶予わなかった。
ところがお桐は、言葉の切れるのを待たないで、
「そしたら観音はんは、私の好きな人になっておくれやすか。鳥刺のお爺はんやったら、私嫌い!」
と拗ねたように雪の頸に後れ毛を掛けて、頭を振った。
清之助はこれには一瞬言葉に支えたが、力を入れて、
「怪しからんことを、そんな!……餌刺になって可いものかね。お前さんが随分好ましいと思っているような、まあ、どんなのが望みだか知らないけれど、申し分のない、思うような男になって下さるんだよ。
若有女人設欲求男 礼拝供養 観世音菩薩 便生福徳利慧之男(*注2)
――と普門品という御経にあるとさ。だから、驚くべきことに、ご自分が男になっても下さるんだ」と、慰めるように、悟して言う。
お桐は聞き沁みる様子だったが、
「その人やかて、何んどすやろ、――やっぱりこの舞台が柳で充満や言やはるように、私の目には見えんのどすやろ」
「まあ、同じことさ、そう思えば間違いはない」
「私、そんなら知りへん(*分からない)」
と、衝と向こうを向いて、目も遥かに夜の京の灯を見やった。
「……柳やなんか、影でも、幻でも大事おへんけどな、好いた人が形ないのやったら、私居てられやへんの。どの袖へ女子が縋る。……誰に抱てもらうのどす、何処の枕に手が入るのえ!……
あのな、一心の思いが燃えて、天上から振袖の火を降らいて(*降らせて)、江戸のありたけ焼きやはった、――その、強い、……私らの神様のような娘はんやかて、お稚児の姿を三枚橋で見やはったやないか。そして、まだその記念や言うて、振袖を縫やはって、それを抱いて焦がれ死にしやはったんどすやろな」
と、気負って言う優しい声も、唇にきりりと締まって、朧に燃え立つ紅の艶。
注1:清水寺は「楊柳観音」であると書かれているが、清水寺の本尊は十一面千手観音であって、楊柳観音ではない。
清水寺の縁起に関しては、そのホームページを参照されたいが、この「清水寺、楊柳観音説」に関しては、二、三の論文の中に記述が見られる。
西尾元伸氏は次のように書かれている。
「……清水寺の本尊は、一般的には楊柳観音ではなく千手観音である。既に指摘があるように、鏡花には清水寺の本尊を楊柳観音とする謡曲『花月』や『遊行柳』が念頭にあったのであろう。そして、作中人物の清之助にとっても、清水の舞台上は謡曲・歌舞伎などの先行する舞台作品を想起する場所となっていたのである」(『楊柳歌』の京都、あるいは清水寺――<観音功徳>の顕現をめぐって―― 「論集 泉鏡花 第五集」P.168から引用)
また、横田忍氏においては
「……清水寺の縁起に関わるのは坂上田村麻呂だが、謡曲『田村』では楊柳観音は謡われない。音羽の滝が五色に輝いたとき源流を辿ると朽ちた柳の木が光っていた。「楊柳観音の御所変にてましますかと皆人手を合わせ」祈ると、たちまち芽吹いて……と謡われる謡曲の『花月』こそ鏡花の清水寺のイメージに柳と楊柳観音を結びつけたものであろう。鏡花は清水寺の本尊が、身近な芸能である『花月』のせいで楊柳観音であると本気で思い込んでいたのかもしれない。だからこそ清之助に「此の清水は人も知る、楊柳観音におはします」(二五)と、ためらいもなく語らせている」横田忍氏「泉鏡花の『楊柳歌』――柳の歌と鏡花の原風景―― 国文学年次別論文集 近代1 平成21年 P.269から引用
※ ただし、<此の清水は人も知る、楊柳観音におはします>との言葉は、作品の中では、「 」(かぎ括弧)はない。すなわち、清之助の言葉ではなく、地の文として記述されている。(筆者)
しかし、楊柳観音説を謡曲の中に見るだけはなく、実際に清水寺の本尊が楊柳観音であるとの説もある。
中前正志氏は「清水寺楊柳観音説話覚書」において、その説を紹介されている。
以下、参考までに、いくつか引用してみる。ただし、この引用は私の適当な引用なので、中前氏の本来の論旨は原典をお読みいただきたいと思います。
「楊柳観音については、「起源が『請観音経』にあることはいうまでもない」が、「密教儀軌で楊柳観音といえば、千手観音四十手から生ずる四十観音の一つ、すなわち楊柳手から現れた薬王観自在をさす」とされている」
「千手観音の普通には四十手のうちの一つが楊柳を執っており、……略……この楊柳手から現れたのが、薬王観自在すなわち楊柳観音であって、……略……楊柳観音を千手観音の異名とする説が紹介されてもいる」
「結局、楊柳観音は千手観音の一部から出現したものである、あるいはその異名である、という右の如き諸説からすれば、千手観音と強く結び付いていた清水寺に関して、楊柳観音の説話が行われるようになるのは、特に不思議なことではなく、むしろ自然な成り行きであるとも言えよう。清水寺の千手観音の中に本来、楊柳観音も包合されている、ということになるのだから」
(中前正志氏 「清水寺楊柳観音説話覚書」女子大國文 第百二十五号 平成十一年六月二十日 P.632から引用)
注2:もし、女がいて、たとえば男児が欲しいなら、観音様を礼拝、供養すればいい。そうすれば、福徳と智慧のある男の児が生まれるだろう。
原文には、便生福徳利慧之男とあるが、「妙法蓮華経觀世音菩薩普門品第二十五」には便生福徳智慧之男ともある。
つづく




