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泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳 二十三

 二十三


「そして、ここからずっとこう見渡す京の夜は、漆に蒔絵(まきえ)をしたように美しい。そこには人の姿はないから……二人だけで立ったこの場所などは、妙に浮世離れをして、龍宮にでも来たようだよ」

 清之助は欄干に()いて見下すようにして下界を眺めていた頬杖を引っ込ませ、しっかり腕組みをするまで、冗談ではなく真顔で言った。

 また、実際その空は真昼に眺めた工場の煙突さえ、吐き出す煙が後から後から、東山や鴨の水に、(ぬぐ)われ()され洗われて、直ぐに薄い霞となって、須磨、明石の(うら)(なぎ)(*海岸に打ち寄せる穏やかで凪いだ波)に千鳥を縫って、松に繋ぎ止められた船の帆柱かと眺められる。ことさら、夜の色に包まれれば、その船が波に沈んで、水底の宮殿の別の一室(ひとま)に、新築として柱立てをした風情である。

 ()(むね)(*屋根の頂上)は八方から亀甲形(きっこうがた)の波を合わせたように、濃く(かさ)なり、淡く(ひら)けて、所々に(ぬれ)(いろ)(さっ)と、蒼く、(くれない)(にしき)を流す。電燈は珊瑚の(わた)殿(どの)瑪瑙(めのう)桟橋(かけはし)。四条あたりの川水(かわみず)に広告の悪火(あっか)が燃えるのさえ、翡翠(ひすい)岩室(いわむろ)へ夕陽に染められた波が寄せるようで、満ち来る潮はぱっと浅葱(あさぎ)(いろ)に、また朱鷺(とき)(いろ)に透き通るかと美しい。だからこそ、この都は、砂利(じゃり)を砕くような古びた水車(みずぐるま)友染(ゆうぜん)の水を巡らし、鍛冶(かじ)が炎を打つ(つち)も、仙人が(べに)()っているくらいに思えるのである。

 鴨川は庭に一面の金銀の星の(いさご)を敷いたよう。その川筋は昼の風の名残が(またた)いて輝き、彼方(かなた)には王城の天高く一簇(ひとむら)の白い雲があり、まだ暮れ果てていない嵯峨の北方(ほくほう)(へき)瑠璃(るり)に澄み渡って、円山だと思える森の(くま)、祇園一帯には(もや)が低くかかり、(ほの)かな薔薇色に(いろど)るのであった。

 その時、瀧の音が(かす)かに聞こえた。この水底にも春立つと、巖間(いわま)(くぐ)る秘密の音信(おとづれ)があるのだ。()()ろす左手の崖の下、千仞(せんじん)(たに)孤家(ひとつや)に、燈火(ともしび)の影三つ、三筋の瀧が眼の前に実際に現れたようで、耳を澄ませば、音羽の音も三つに分かれて伝ってくる。

 (いわお)を刻んだ長梯子(ながばしご)が、真っ直ぐにそちらに掛かって、折から珍しいことに、影のように三人ほど、もう最下の段へ、一人ずつ順々に下りていくのが、あたかも泥亀(すっぽん)が縦に泳ぐ、潜水夫の形に見えた。……瀧の流れに風が添い、地に敷いたような柳の梢が、海松房(みるふさ)(よう)になって揺れていた。

 お桐がこれを(かた)()に見替えて、

「阿弥陀堂へ下りて行かはるのえ」

「ああ、あの浦島の三人、(のぼ)って来れば()いのに。……乙姫はここに居るんだから」

 と乗って出るようにして、段の下を深く見る。……

「あら、龍宮や思やはる? そしたら、(あて)なぞ、こうして風船に吊り下がったところは、それな、女子(おなご)衣服(きもの)着た海月(くらげ)どっせ」

「するとこっちは海鼠(なまこ)だ。しかもこう堅くなったところは金海鼠(きんこ)(*海鼠の一種)だね。懐中(ふところ)も軽いけれど、雲の上へ乗りだしている形は、ふらふら立ち泳ぎをしているようでならない。……そうでなくっても、お前さんとじゃ、平地を歩いても目が眩みそうなんです。こんなに高い所じゃ、それこそ危なっかしい」

「そしたら可厭(いや)な心持ちしやはるか」

「好過ぎるくらいだね。お桐さんは?」

(あて)かて、こんな(しん)とした所大好きどっせ。やっぱりお酒に酔うたように、ふうわりと塩梅(あんばい)よう浮き上がっているようどす。何時までも、何時までもこうして()とうすえ。……けどな、翌朝(あした)までも……何の、翌朝(あした)までやろ、あんたはん帰らはる汽車の時間までも、ここには居られへんのえな。

 橋の欄干でもそうどすけど、この欄干ばっかりえ」

 と胸を引いてから、欄干を向こうへ()すようにして、

(あて)たちが生きるも死ぬるのも、欄干一つやおへんか。これをな、ふいと外へ跨いだら、思うようになるのどっせ。……

 そして、こんな、いい心持ちやったら、崖へ落ちいで、欄干と同じ高さの空を、ふらふらと泳いで行かりょうも知れンのえ、なあ」

 と(じっ)と見越す……(ぬれ)(いろ)に輝く瞳。


つづく



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