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泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳 二十二

 二十二


 さて、廻廊を静かに渡って――戸はもう開けてあった――御堂(みどう)の正面をやや斜めから伏拝み、それから、ずっと向こう……やがて墨絵に薄く彩色したような鴨川から、四条、五条、そして松原の松の梢を波越して、北野の(やしろ)に手が届くまで、遥か京の町の半ばを、雲から乗り出すようにして眺めていた。……音羽山には星が(ちりば)んでおり、夜の霞の千畳敷とも思える舞台は、すらりと(かかと)(すべ)るようである。二人は、板目の目立って(ふっく)りとしているこの舞台へ出て、欄干に凭れるまで、(みだ)りに言葉は交わさなかった。

 ところで、不思議なことには、この地では、石にも(かど)が立たず、土も(なめ)らかで、木も(すべ)るのである。……他国の道は、通る者が自分自身の足で歩まねばならないが、京都のはそうではない。前刻(さっき)渡った松原(まつばら)(ばし)にしても同じで、この板敷きなども、さてと、立ち向かってみると廊下の方から(すく)って乗せて、すらすらと運んでくれる。……


 花もみじ、吉野、龍田織、御手洗には、金色に搦んだ蔦の、蔓唐草の模様も見えず(*注1)、……梅の枝でもって()(かか)げる金襴の幕もないけれども、(したた)る水の響きを背景に、御堂(みどう)(わた)殿(どの)に差し懸かれば、あたかも能の橋がかり(*揚幕から本舞台へとつながる長い廊下部分)に、大口(おおぐち)(ばかま)(*能装束の一つ)を高くして立ち現れたような気持ちになった。

 シテ(*能での主人公)のその(しら)拍子(びょうし)静々(しずしず)と前に進んだように思えたのである。

 そんな風に思ったせいか、自分を導くお桐の姿は、小袖の褄を、友染(ゆうぜん)の色ある花の影に宿して、菱形のその綟子(もじ)(ばり)の下を行くように見える。(*注2)トほんのりと浴びる煙のような明るさに、羽織も帯も朦朧となって、暖かな玉の素肌は、ただ透き通る白い雪の(はだえ)となって、紫の風船と共に軽くすらすらと浮いて渡るのであった。

 それを見て、清之助は大悲(だいひ)の誓い(*生きとし生けるものを救おうとする仏の願い)を……すなわち、(よう)(りゅう)(*(やなぎ))を持たれた御手(おんて)の糸に京の芸妓(げいしゃ)(すが)らせて、『東海(とうかい)(うお)をして霊場に結縁(けちえん)なさしめ給う』(*注3)のだと心清々(すがすが)しく、骨の髄まで、また、()の澄むまで、尊く、しみじみと感じたのであった。


 あれを見よ、燈籠の()が連なって、朧々(おぼろおぼろ)に見える、(くま)は、(ごう)天井(てんじょう)は、(うつばり)は、(したた)るような(みどり)の影となった。黒く見えるのは(こま)やかな葉で、柳の枝が茂っている気勢(けはい)である。

 唐戸(*開き戸)越しに(そっ)と見れば、秘密の山は夜に(とざ)して、三つの燭火(しょくか)が三カ所、合わせて九つの()があるだけである。(しん)として静まり返り、(うるし)のように暗かったが、伏し拝む二人の所作(しょさ)に、燈籠の影も動けば、欄間(らんま)(くま)の柳も揺れた。(とう)(しん)がちらりとする時、天蓋(てんがい)なのか、旗なのか、柱のような錦の色は濃い蒼色となって、龍の背にお乗りになった薩埵(さった)(*菩薩)の()(すそ)()の当たりにしたように、煌々(きらきら)と輝く折、微妙な薫りがぱっと放たれ、そこへ名香の煙が(から)んだのか、紫の雲がたなびいた。


 清之助が立って礼をすれば、お桐は(ひざまず)いて拝む。……お桐の(うなじ)は白かった。――ここへは(かげ)(きよ)も来、()古屋(こや)も来、頼政(よりまさ)も来て、(ぬえ)も来て、(よど)(ぎみ)も来たのであろう。……掛かっている額を見れば、朧気ではあるが、あの雪の(きぬ)、緋の袴、黄金(こがね)の兜、白羽の()萌黄縅(もえぎおどし)の鎧は誰だろう。――人知れず、夜半(よわ)には額から抜け出るのだろうか。いずれも昔は、そして今でさえも、黄昏(たそがれ)光氏(みつうじ)も共に(もう)でる御堂である。(*注4)……去る日にはお桐の姉が、今しがたは三千歳が、岸勇が、その紫、紅の姿で訪れたのである。

 ここの額を離れる時、お桐は(とう)(ろう)の影の霞を曳いて、あたかも絵から舞台へと抜け出たようであった。

「天上の摩天楼のようだね」

 清之助は清水寺を訪れるという思いが叶って、さも安心したようであったが、また、雲の端へただ二人して迫出(せりだ)し(*注5)に立ったように感じて、この馴れない舞台を危なっかしそうな素振りをして言う。

「ものの譬え(*「清水の舞台から飛び降りる」)にも聞く、高い所だとは承知をしていたんだが、こうして空の星を見た所は、何だか広くて明るい大きな井戸の底に居て、真っ昼間の暗い世界を澄まして眺めるような気もする。そして二人だけだからなおのこと、私は何故か夢を見ているような気がするよ」

 その通り。霞の舞台の上には、燈籠の翼がひらひらして、鶴のような蝶々の影が漂っているのである。



 注1:この部分、意味がよく取れなかった。当初、

「桜、紅葉、と言えば、吉野の桜や、龍田川の水面(みなも)に織りなす紅葉であるが、御手洗(みたらし)には金色(こんじき)(から)んだ蔦の(つる)唐草(からくさ)の模様も見えない」としていたが、自信なく、原文のままとした。


 注2:「菱形の其の綟子(もじ)(ばり)の下を行く」の意味が取れず、原文のままとした。


 注3:東海(とうかい)(うお)をして霊場に結縁(けちえん)なさしめ給う……「東海(とうかい)(うお)」の詳細解らず、そのままとした。意味は取れそうだが……。慣用句なのだろうか。「霊場」は清水寺。「結縁(けちえん)」とは、仏法に触れることによって成仏の可能性を得ること。


 注4:景清・阿古屋・頼政・鵺・淀君・黄昏・光氏……いずれも能、歌舞伎の登場人物。以下、少々長くなるが、西尾元伸氏の論文から引用して、読者の参考としたい。


[景清・阿古屋については、お桐も産寧坂で「琴責の阿古屋はん」(十九)と言っているが、この産寧坂の遊女、阿古屋の琴責めは、歌舞伎あるいは文楽で近松門左衛門の浄瑠璃『出世景清』と縁の深い演目である。『壇浦兜軍記』中に演じられる。源氏に追われる身となった景清の所在を問うために阿古屋は問注所に召還されるが行方を答えない。そこで拷問に掛けようというところ、詮議する重忠は、琴・三味線・胡弓の三曲を演奏させて(琴責め)、その音色で潔白を立証させるというものである。頼政・鵺は、謡曲『鵺』など多くの素材に採られた頼政の鵺退治譚である。淀君は、高安月郊『関ヶ原』を参照すると良いであろうか。秀吉は遺言により清水寺近くの阿弥陀峰に葬られており、『関ヶ原』では敗戦の後に淀君が阿弥陀峰に墓参する場面がある。黄昏・光氏は、柳亭種彦『偐紫田舎源氏』中にある野中の古寺の場面を取り上げ舞台化した歌舞伎『田舎源氏露東雲』に登場する。この場合、場所は清水寺という訳ではなく、光氏が舞の師匠東雲の娘である黄昏をともなって古寺を訪ねるという場面になるが、それが想起されているのであろう。そして、これら舞台上の人物が想起されたのは、清水への道中にお桐の口にした「死ぬるにはな、咽喉を突いた方が可うおすやろか、女子は然したらいかつい? え?」(十)という言葉と関係していよう。

 阿古屋は、近松『出世景清』では自らの行為によって囚われの身となった景清に詫びるものの、受け入れられず子らを殺して自らも喉を切り自害する。

               ……略……

 阿古屋が、お桐の言う「咽喉を突」いて死ぬという行為を行った女性であったことが知れよう。同じように頼政は平氏殿戦いに敗れて、淀君は大坂夏の陣の大阪城落城の折に自刃する。黄昏は『田舎源氏露東雲』のト書きに「たそがれはかくしもつたる剃刀を出し、咽へ突き立てる」とあるように、光氏の命を狙おうとした母東雲を諫めようとやはり喉を切るのである。

 能や歌舞伎の舞台の上には、このように自害という行為で命を失った様々な人物たちが、演者の身体を通して立ち現れ、行動し会話する。……以下略]


『楊柳歌」の京都、あるいは清水寺――<観音功徳>の顕現をめぐって――

論集 泉鏡花 第五集 Pp.166-168


 注5:迫出(せりだ)し……舞台で、切り穴から役者などを奈落から(せり)で舞台に押し上げること


つづく


※ 前章に引き続き、この章も、鏡花特有の筆致で情景が描かれる。私にとっては、難所の一つであった。ぼんやりとしたイメージとしては掴める気はするのだが、実際筋のきっちりした文章にするとなると、ハタと手が止まる。その部分は勢い、原文のままになってしまった。

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