泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳 二十一
二十一
「行っても可いのかい」
清之助は愚にもつかないを言いながら、そのままお桐に導かれて、二つ三つ、春めいた星が輝く宵の天の下、この清水の階段の前に、切って据えたような龍頭から湧き出て、さらさらと流れて石に溢れる手水鉢の所まで来た。……この手水鉢の許へ寄るのに、可いも不可いもない筈である。が、実はこれが、お桐が、とどろき餅の角店から指さして教えた例の石燈籠の傍らにあるのだった。
……婆さんが児ヶ淵を教えて直ぐのことだった。お桐の姉はその石燈籠の下に腰を掛け、鳥籠にも似た深張りの洋傘をちょっと肩で支えたまま、洗い髪の花月巻で、簪の珠を晃々と青く瞬かせながら、紙切れに何かを認めていた。それを婆さんは目も放さないで眺めていたのだったが、それは、あわれ、枯草が繁っている中に咲き残った龍胆の花の蔭に、はな紙入れに挟んで残した、児ヶ淵へ沈んだ時の書き置きであったのだ……そんなことを婆さんが手に取るように話すと言う。
石燈籠に直ぐ近い、その手水鉢へと導かれたので、清之助はフト、お桐が気を入れて話した発奮に、姉と同じ姿で腰を掛けるのではないかと危ぶんだ。
そこでお桐を向こうへ廻して、自分は彼女を遮る形で、石燈籠を背にして立った。と見ると、お桐は伊勢物語の筒井筒に出てくる振り分け髪ではないが、今風に振り分けた髪を、白蓮の影が射している龍頭の清水に差し向けている。その清水には、御堂の広い、折れ曲がった遥か向こうにある廻廊に三つ五つ十と、莟を揃えたように灯し連ねている燈籠が、十五夜の朧の月に、白い珊瑚の枠を刻んで嵌めた菱形の形で、一つ、また二つと、そしてまた、遠くの燈も水に巴となって影を散らしてちらりと映っているのであった。
ああ、厳かに蒼く錆びている、その角、眼、口。深秘な龍の胸を透して、脈々と清らかな方円の霊地に濯いでいる。……それにしても如月の京の冷ややかにして清く、麗しいのは、鴨川に飛ぶ千鳥と、三千歳の手で入れてもらった酔い覚めの洋杯の水と、お桐の涙が人知れず氷る紅猪口と、いや、それよりむしろ、ここで掬った清水の柳の露の御手洗と……そして、やがて三筋の白銀の瀬に、油も緑に、三つの御明が颯と映って、白菊に玉が散るように裏透いて、水晶の簾がさらさらと鳴る音羽の瀧とであった。
さて、御手洗を前にした時、幸いにお桐の姉の談話からは離れた。が、その石燈籠を背にして、苔の冷たさは清之助の外套を透したのであった。
雪のような絹手巾を、ほつれ毛が柔順にかかった、美しい口に銜えながら、お桐は向こうに姿も一段高い所で、
「よう、お濯ぎや。……前刻壬生のお地蔵様拝む時、手を洗う言やはった。私、さっぱり気が着かいでな、手水鉢の許つつと通った。男のあんたでさえ、あない言やはるのに、私、女子でいながら、うっかりして恥ずかしおしたえ。けどな、あの混雑やはけ、その傍に戻るのはえらい難儀どすよって、……堪忍しておくれやす言うて、堪えてもうたえ。さあ、手をお出しやす。――美しい、澄んだ綺麗な水どすやろ」
手巾を銜えたその美しい歯で噛んだまま、熟と凝視めて、
「これがな、お見やす、氷の下の水やったら、私、ここへでも入って死にたい。……もったいないけど、流れてますせな。それでも(*それができなくても)ちょっと、済まんけど、手だけなと入れて見よか」
と、やや興奮気味に独り言のように言ったかと思うと、風船の糸を片袖に挟み、胸で圧えて、左の白い手を颯と水に潜らす。と、浅くすらりと、練絹のようなのが指に搦んだ。白魚に霞が流れて、春が暮れて行くような風情で、燈籠の幻の影をはらはらと追いつ追われつ……。
「ああ、綺麗だな」
と清之助は我を忘れた。目が洗われたような気がして、
「銀の色をした金魚のようだね」と言えば、
「嘘や! 鮒どすせ」
衝と火に触って遁げたように、手を引っ込めた。……肩が震えていた。
つづく
鏡花の情景描写はあまりにも美しすぎて、現代の言葉がついて行かない。
また、その構文も複雑で、どこにどう繋がっているのか、私など、よく読んでも、すんなり頭に入ってこない部分がある。
今回の手水舎での描写なども、縺れた糸を一つひとつ解くように辿りながら現代語に置き換えてみたが、自信はない。雰囲気は分かるのだが、筋の通った文にするのは難しい。




