泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳 二十
二十
二人はぴったりと門について、並んで差し覗いた。が、偉大なその拳だけが棟を圧する気勢がするだけで、網戸の中は暗かった。
仁王様は鬼ではいらっしゃらない。威厳げなその拳も、人を掴むようには見えないけれども、雄々しく、春寒の宵を裸でいらっしゃる。……この神は樗蒲市(*サイコロ博打)を好まれて、ソレ、一だと投げた掌、あの御力では、願った目が出るに違いない。……美婦を張れ、おのぼり来い! で、石の上の盆茣蓙で、こちらが負けて、お桐をとられるかもしれない。
とにかく、急ぐが一番。
「このな、……お待ちやす」
案内者は行き届いて、
「このな、ちょっと、角い柱に節があるンえ。同じように四本の柱の向こう裏にも節があって、そこへ口を付けてものを言うのを、こっちの節に耳を着けたら、蟻や言うても、蜂や言うても、密と響いて聞こえまっせ。一辺試してみまほか」(*注1)
と袖を挙げて柱のその節を掻い探るのが、雲を撫でる風に見えた。――
「薄暗うて知れ憎うおすえ」と、頼りなげに言う口に、自ずと親切が籠もっていた。……なに、木の節や、ものの音信を待たないでも、お桐の声が霞を伝わって彩に伝わる。
「もういいよ。お桐さん。そして、今のも……この門もやっぱり仁王様かい」
「此処なはな、矢大臣(*注2)はんどす」
「ああ、羨ましい」と伸び上がる。
「どうしてえ?」
「さぞ、可い心持ちの微酔いでいらっしゃるだろうと思って」(*注3)
「誰や?」
「矢大臣様です。その証拠には……何だか唄のような言い種だね」(*注4)
と笑いながら、
「どちらも真っ赤な顔をしておいでだろう」
「そんな、矢大臣はんがあるものどすか」
「東京のは皆そうさ。そして、醤油樽に腰を掛けて、生味噌を嘗めています。ああ、羨ましい」
「ほほほほ、えらい継児や、あんたはん、飲みとうおすか」
「瓶詰めでもいいから、ないだろうか」
「まあ、来てお見やす。茶屋はもう終もうたやろな」
残り惜しそうに言いながら、背後へ手を伸ばし、清之助を前へ曳くようにして衝と急ぐ。……踏み心地は、草でもなく、地でもなく、空高い庭は、するすると柔らかかった。
二、三軒、茶店の屋根が音羽山の影に仄めいたが、葦簀は畳まれ、床几も退けられて、柱と柱の間の空洞は中が凹んで暗く、ここは霊場の端なので宙に書いた卍に見える。……
お桐はなおも覗き込むようにしたが、左の端の店前で、
「悲しいな、あんた、お酒あげましょ思うたけど、遅うまで出ていやはる、この、とどろき餅のお婆はんも、もう帰らはった。辛抱おしやすや」
と優しく言う。
「はい」
「私、可厭や。そないな返事しやはって。ほほほ、まあ、お聞きやす。この店のお婆さんはな、赤ら顔の、歯の白い、眩しらしゅう目皺寄らかいて、仰向いて話しやはる、拵えたような人だっせ。
そしてな、私の姉はんが、児ヶ淵へ行かはった時のこと、よう知ってどすえ。……雪駄穿いて、洋傘持って、ふっと来やはった。児ヶ淵へは、どないして行きます問やはるよってに、……この山上って、谷へ行て、奥に入るやて、委しこと教えたら……戻りに来て、茶々よばれますえ、言うて、和と笑顔して行かはった」
と、熟と俯向いた、それから、瞳を上げて、
「お見やす……あれ、向こうの小さな御堂の傍に高い石燈籠がありますやろ、霞が捲いて上だけ、ふうわり浮いたようにみえるのんえ」
と頼りなさそうに指さしをする。
注1:清水寺の七不思議の一つと言われているもので、仁王門の向かって右外側、南西側の腰貫と南東側の腰貫は音が響き合うという。
注2:矢大臣……神社の随身門の左右に安置されている二神像の俗称。
注3:矢大臣という言葉には、その姿が似ているところから、居酒屋で空樽に腰掛けて酒を飲むこと、またはその人を指す意味もある。
注4:「その証拠には」……当時この文句が入った唄が流行っていたのだろう。詳細は不知。
つづく




