泉 鏡花「楊柳歌」現代語勝手訳 十一
十一
「やっと電車に乗ったので、何とか一呼吸ついたくらいです。……それも混んでいたから、お前さんは立っていたんだ。
北野(*北野天満宮)へ月参詣をするんだってね。あの沸き立つような中で、御膳を供げるお前さんを見て、受付が顔馴染みらしく挨拶をした。そりゃ行くには行くんだろうが、行きがけ二条の停留場で、北と南と電車を取り違えた案内者と言うのだから……電車にさえ滅多に乗らない、何時も車なんだろう。――
病気上がりだというのに、その身体で、可いのかい、お桐さん。
坂も思ったより急だ。そうしてずんずん勢いよく上るが、我慢をしているじゃないかい。何故か顔色もよくない。暗いせいなのか。……本当に、私にしてくれるんなら、そこまでしてくれなくても可い。疲れたら言っておくれよ」
と少し、しみじみとなる……。
沈んだ中にも、お桐は元気で、
「よう案じておくれやす、嬉しおすえ。けどな、私気がせいせいして脚が軽いのえ。……身体にも歩行く方が可いのどす……それに、清水さんへ上るのよって、なおのこと勇むえ。――今日はどうしたやろ、この様子やと、まだまだな、一里二里、辛いこと些ともおへん」
「だって、呼吸がどうも発奮むようだぜ」
「寂寞なせいどす。貴下のが私に聞こえる。弱いえ。――私、動悸も打たんのだっせ。嘘ならちょっと触っておみやす。けどな、貴下の手が触らはったら、どうやら知れへん」
誰もいないはずの場所で足音が、かっと響いた。前途の暗紛れを、とつとつと靴の音がする。垣を築いたように高等学校の制服を着たのが三人、二人、三人と双六の目にきちんと揃って、雲が湧いたようにうらうらと下りて来て、傍目も触れず下へ通った。
何事もなく通り過ぎて、ホッとした。いかに清水詣といっても、些とこの同行二人の様子は、諸君に対して憚りがある。……清之助は俯向いて過ぎた。
饂飩屋、ぜんざい餅など、一つ二つ燈が見える。……がらがらと戸を鎖す絵葉書屋の店もあった。夜は人通りもないらしい。
「今にああして学校へ行くんだね、小児があって楽しみだね。」
と護謨風船のいきさつは忘れたようにわざと言った。
「嬰児はんどすか」
「ああ、そうさ」
「私の許のは女子どす」
なるほど、そこまでは知らなかった。
「じゃ、なおのこと可愛いだろう」
「憎いことおへんえ」
とわけもなく言ったものの、葛の葉(*安倍晴明の母となったと言われる狐)ではなし……子への念いはそんな簡単に口で言うだけではないはず。それが証拠に、袖口を引き合わせ、引き合わせ、護謨風船を持っているではないか。相当に風が染む……ひりひりと来て、外套の下でも手を出すのは辛いほど寒いのに、……誰のための玩弄物であろう。この母親の指一つ離れたら、紫の風船はたちまち消える。ただこの細い糸のように、嬰児が縋った絆を、どんな風が揺すぶって、そんな世を拗ねたことを言うのであろう。
「憎いことない、くらいじゃ不可いじゃないか。――抱くかい?」
「え?」
「小児は抱いて寝るのかい。……いや、ああ夜更かしをする稼業じゃ、思うように不可まいなぁ。……」
と半ば独り言になって、ちょっと黙った。
「乳母がいるの?」
「はあ、好い人だっせ」
「それでも間がありさえしたら、少しの間でも抱いておやりよ。でないと情愛が薄くなるとさ。……などと言うが、そんなら私が邪魔をしないで、今日一日抱かせれば可いんだよな。男の言うことはこんな風に勝手だ。……と言いながら、これだから客は不可ん。我ながら間違っている。しかし、こういうところも商売だから勤めねばならず、そんなこんなで、お前さん、冗談にも果敢ないことをいうのじゃないかい」
つづく




