21 魔法令嬢、お裁縫は苦手です。
「…………」
ルリエルは目の前の物体を見つめていた。白い布を正方形に裁断し、端を折り返して丁寧に縫い上げれば、完成するものは本来ハンカチである。しかし、ルリエルの目の前にあるそれは中央部分が妙に絞られ、四隅は不規則に波打ち、何故か途中から袋状になろうとしていた。
「ねえ、ルリィ?それは、何かしら?」
「ハンカチですわ」
「嘘をつきなさい」
間髪入れずに、ルリエルの友人・マリーメイから否定された。
穏やかな日差しが差し込む学園の教室では、窓の外から小鳥の囀りが聞こえ、遠くの運動場からは剣術の授業を受けている生徒たちの声が響いている。
先日の平行世界への侵入は途中でのズラかりに終わったが、しかしそれはそれで一歩前進。現在はステッキによる、『しばらく侵入は中止』宣言を受け、魔法令嬢という体力仕事からの一時の休息を堪能していた。ルリエルが待ち望んでいた、麗しき伯爵令嬢として過ごす平穏な学園生活そのものである。
しかし、問題があるとすればただ一つ。本日の授業は裁縫だった。
「だから先生が作れと仰ったのは正方形のハンカチよ。どうして途中から巾着袋になろうとしているの?」
「ねえ?なんででしょう?私にも分かりませんの」
本当に分からない。目の前の布はダイナミックに波打ち、謎の収納口が付いている状態になっている。
貴族令嬢たるもの、自分で一からドレスを仕立てるような技術までは求められないにせよ、刺繍を施したりする程度の裁縫技術は身につけておくべきものとされている。しかしルリエルは、これまでの人生において、裁縫は常々プロフェッショナルな使用人へ任せてきた。また、実家でも特に裁縫を強要されることは無かった。母アマーリエは、娘の裁縫能力をかなり早い段階で見限っていたのである。
「ルリィ、ここ。糸を引っ張りすぎなのよ」
向かい側に座ったマリーメイが、自分の手元を片付けながら呆れたように言った。彼女の前には既に完成した薄桃色のハンカチが置かれている。見事なイニシャルの刺繍は勿論、一角には細やかに薔薇の刺繍まで施されている。
シルクの生産を古くからの産業とするパラフォン伯爵家の娘でもあり、かつお洋服が大好きなマリーメイは、最近は自身でデザインしたドレスを展示会に出展するなど、勢力的に活動している。ハンカチの裁縫など慣れたもの。
「これは本当に同じ布と、糸で作られたものかしら……?マリーメイは本当にお裁縫が上手ねえ」
マリーメイが作った精巧なハンカチをしげしげと眺めながら、ルリエルは改めて己の作品へ視線を戻した。針目は大きいところもあれば小さいところもあり、真っ直ぐ進んでいたはずなのに途中から斜めになり、糸を強く引きすぎたせいで布そのものまで歪んでいる。その惨状をしばらく眺めているうちに、ルリエルはどこかで同じようなものを見たことがあるような気がしてきた。
夜の森。空中に開いた門。そこを縫い合わせるように赤い光を走らせ、出来上がるのは微妙に塞ぎ切られていない空間。
「……何だかものすごく身に覚えのある仕上がりですわね」
「何の話?」
「何でもございませんわ」
ルリエルはそっと目を逸らした。ステッキをうまく使いながら、刺繍よろしく門の封印をしなくてはならないのであるが、ルリエルはその作業が大変に苦手であった。《一応確認ですが、塞ぐつもりありますよね?》とステッキに最初に言われたときのことをルリエルはまだ忘れていない。
「でも不思議よね。ルリィって、細かい作業そのものが苦手なわけではないでしょう?髪を編んだりするのは上手じゃない?ダンスだって手先の動きまで美しいと先生にいつも誉められているじゃない。なんで刺繍はこんなにからきしなのかしら」
「針は私のお友達になってはくださらないのです……」
「なあにそれ」
もちろんルリエルも、自分に刺繍のセンスがないことは自覚している。しかし、これも令嬢としての学園生活に必要なことだ。一針、二針と慎重に進め、三針目を縫い終えたところで糸をしっかりと引くと、布がきゅう、と音でも立てそうな勢いで縮んだ。
「ちょ、ちょっと引っ張りすぎ、引っ張りすぎ!布が変な聞いたこともない音を立てているじゃない!」
「でも糸というものは、緩んでいたら不安ではありませんの!?しっかりと封じ込めないと」
「限度があるのよ!」
裁縫とは恐ろしい。魔族であれば殴れば大抵何とかなる。水をぶつけてもいいし、蹴ってもいい。最悪、巨大な水流に乗って吹き飛べばいい。しかし布は少々力を込めただけで形が歪む。何という繊細さなのだろう。
「私、お裁縫より戦闘の方が楽ですわ……」
「比較対象がおかしいのよ」
そんなやり取りをしているうちに、周囲の令嬢たちは次々と完成品を教師の元へ提出していった。そろそろ授業終了のベルが鳴る。ルリエルは自分の元ハンカチを両手で持ち上げ、しばし真剣に見つめる。
「これで……出すしか……」
と、ハンカチとなろうとしていた物を掲げたその時。窓辺から大きく風が吹いた。あっと思った時には、柔らかな巾着風の布は風に乗って、ひらりひらりと屋外へと放たれていった。
教師に中座の許可を取り、ルリエルは追いかけた。
外に出ると、一人の青年がハンカチとなろうとしていた物を拾い上げていた。ダークブラウンの髪を後ろへ撫で上げた精悍な顔立ちに、騎士を思わせる大きな体躯。エリオットとよく並んで歩いている生徒会の青年。
アイリス侯爵家の次期当主であるリージュ・アイリスだった。一応、学園内でもエリオットを通じて若干の顔見知りではある。
「ああ。君はディフロンション嬢だったか」
「リージュ様、ご機嫌よう。ハンカチを拾っていただいて、ありがとうございます。お裁縫の授業で作っていたのですが、飛んでいってしまったのです」
ルリエルの言葉を受けて、三度、リージュは手元の布らしき躍動感のある物体と、ルリエルを見返した。
「ハンカチ?」
「ハンカチですわ」
「取っ手が付いているが?」
「ハンカチですわ」
「随分と立体感があるようだが?」
「ハンカチですわ。……教科書通りに作っているはずですのに、いつもどうしても教科書と別の見た目になってしまうのです」
リージュが黙った。一瞬頭を抑えて、咳払いをした。
「……糸を引きすぎている。それから、針目の間隔が一定ではない。途中から布目を見ないで刺繍を進めたのではないだろうか」
「まあ?」
「角を縫う時は、一度針を止めた方がいい。そのまま無理に曲げるから布が寄ってしまうんだ。その辺りを注意するだけで、一応平面の布には戻るはずだ」
ルリエルは瞬きをした。彼は、騎士の名門アイリス家の次期当主。将来は騎士団長になるとも噂されている屈強な青年。僅か数秒ハンカチを見ただけで、ルリエルの裁縫の問題点を三つほど言い当てた。
「まあ、リージュ様は、お裁縫について詳しいのですね!」
「…………普通だ」
何故かそれ以上は聞くな、という雰囲気を感じたので、ルリエルは素直に頷いた。たとえば、若い頃はディフロンション領の騎士をしていた執事・ルーモスも掃除や給仕だけでなく菓子を焼けるし、ドレスのほつれの修復もうまい。騎士の家の人間が裁縫に詳しくても、別になんら不思議なことではないのだろう。
「教えていただいてありがとうございます」
「ああ」
ルリエルが頭を下げると、リージュは短く答えた。
「ちょっと!ルリィ、ベルが鳴ったからそろそろ提出しないと。……ってあら、リージュ様がいらしたの!?」
窓から身を乗り出して、マリーメイがこちらを見ている。しかし、それとマリーメイの姿が見えるとほぼ同時にリージュは、「では」と早々に立ち去って行ってしまった。
*
なお、受け取った教師はしばらく黙ったまま布を見つめ、一度裏返し、もう一度表へ戻した。
「ディフロンション嬢、次回も頑張りましょうね」
「はい……」
叱られるよりも、優しさの方が痛かった。




